未来の種は生活者の中にある。博報堂生活総研 所長に聞く、AI時代のマーケターが向き合うべき変化の兆し
2006年に誕生したマーケティング専門メディア「MarkeZine」は、2026年5月に創刊20周年を迎えました。まだiPhoneもなかった当時から現在に至るまで、デジタルやテクノロジーの進化により生活者の価値観はどう変化したのか。生活者の意識と行動に向き合い続けてきた博報堂生活総合研究所の帆刈氏に、同研究所の生活者調査を踏まえながら、今マーケターが向き合うべき生活者の変化の兆しをうかがいました。
※本内容は「MarkeZine」に2026年7月22日に掲載されたものです。
https://markezine.jp/article/detail/77076
iPhone前夜のロンドンで体感した時代の転換点
──MarkeZineが創刊した2006年から現在に至るまで、生活者の行動様式や価値観、企業とのつながりにおけるターニングポイントはどこにあったのでしょうか。

博報堂生活総合研究所 所長 帆刈 吾郎
博報堂は人間を「消費者」ではなく「生活する主体」ととらえています。その意識と行動を研究しているのが博報堂生活総合研究所(以下、生活総研)です。
2006年に発表した生活総研が発行するレポート『生活予報』では、「放電コミュニケーション」をテーマとしました。私自身の「生活者」としての実感からも、生活者の価値観や行動様式の変化の起点は、まさに2006年にあると考えています。

『生活予報2006 放電コミュニケーション 自己を活性化する生活者たち』(博報堂生活総合研究所、2006) 生活者を取り巻く情報環境が急速に変化してきたことに注目。ブログやSNSなどを通じた、生活者と世の中の人たちとの双方向のコミュニケーションを「放電コミュニケーション」と名付けました。コミュニケーションの中身と作法が従来のものと大きく変化した結果、人と人とのつながり方が変わり、日々の行動も変わりはじめていると紹介しました。(出典:「生活者展」1981-2021)
2006年当時はiPhone前夜。Nokiaがフィーチャーフォンを発売し、MySpaceがSNSの頂点にいた時代です。その頃、私はダイレクトマーケティングの最先端を学ぶため、ロンドンの企業に出向していました。そこで経験したのは、生活者を郵便番号で区分し、居住地域から推定した年収を基にターゲットして郵便を送る非常に地道なもの。想像とのギャップに戸惑いました。
しかし、その直後の生活者やマーケティングの変化は非常に目まぐるしいものがありました。テクノロジーが急激に進化し、新たな手法やマーケティングテクノロジー、今につながる高度化や効率化の取り組みが次々と生まれたのです。振り返ってみれば、この20年間は、2006年を起点とした大きな流れの延長線上にあると言えます。
進むべき先を示す「未来人」を探す
──生活者の行動データが可視化され、マーケティングの予測可能性が高まった20年間でもあります。こうした変化により、現代のマーケティング組織ではどのような課題が生じているのでしょうか。
マーケティング組織が考えるべきは、大きく分けて二つあります。一つが「人」へのリスペクトです。データマーケティングは、テクノロジーを駆使して人を操作するという考えに陥りやすい面があります。CVRを指標として重視するあまり、とにかくコンバージョンさせるためのデジタル広告を発信してしまうといった具合です。その先にいる一人の生活者が幸せになっているかどうか、という発想が弱くなってしまうのです。
もう一つの課題が、生活者の一側面しか見なくなること。Webサイトを見てクリックするといった日常の一場面だけを切り取っても、生活者の全体像は把握できません。個別の施策は最適化されるかもしれませんが、自社が掲げるビジョンや戦略全体を最適化することはできないのです。
──どれだけ一人の生活者に深く向き合えるかが、今後ますます重要となるのですね。
そうですね。ただ、生活者に向き合うというのも、結局は手段の一つなんです。 まず考えるべきは、何が目的かです。個別の施策を改善したいのか、それともビジネスをスケールさせたいのかで、見るべきものが変わります。
たとえば、生活者の実際の行動から集計されるアクチュアルデータも、あくまで行動の結果であり、行動の要因や未来はわかりません。これから先の方向性を定めるには、ポテンシャルデータもとらえる必要があります。
ポテンシャルデータとは、「行動の前に起こる意識の変化」を示すデータや、「変わった行動をしている人」のデータが当てはまります。未来を先取りした行動をしているn=1を見極め、その行動をホリスティック(全包括的)に考察することで初めて、目指すべき未来を考えることできるのです。
マーケターがとらえるべき生活者の変化の兆し
──マーケターがフォーカスすべき「生活者の変化の兆し」とは何でしょうか。
2013年にバンコクに駐在した際、タイの生活者の行動から感じたことがあります。それは、テクノロジーの「階層」に対する意識の違いです。
一般的に、東南アジアではFacebookが盛んなイメージがあります。なぜかというと、SNSを「OS」としてとらえているからではないか、と私は考えています。
パソコンの普及を段階的に経験した世代は、Windows95などのOSがあり、その上にSNSやECなど目的別のアプリケーションがあると認識しています。ところがタイでは、スマートフォンとFacebookがリープフロッグ(※)して同時に社会に浸透しました。そのためFacebookをすべての動作の土台となる「OS」ととらえ、Facebookの中で、写真の投稿もビジネスもすべてを行う発想になるのです。
※リープフロッグ現象:新興国や途上国において、先進国が時間をかけて発展させてきた既存の技術や社会インフラを飛び越え、最新技術が一気に普及することで急速な発展を遂げる現象

これは国による違いというより、世代の違いと言えます。テクノロジーの進化を段階的に経験した世代と、最初から最新技術に触れている世代とでは、テクノロジーとの付き合い方が根本的に異なるのです。タイに限らず、日本のZ世代、アルファ世代でも、まさにこうしたギャップが生じているのではないでしょうか。
アナログの価値を「新発見」する生活者たち
──世代間のギャップとして、テクノロジーに対する認識の違いに加え、日本ではどのような動きが起こるでしょうか。
2025年、生活総研では「育てるデジタル、信じるアナログ 両利き化する生活者」というテーマで調査を実施しました。2020年以降のコロナ禍により生活のデジタル化が一気に進んだあと、リアルな接触が回復して生活者の価値観はどのように変化したか調査したのです。
調査結果からは、コロナ禍以降もデジタル化が定着している一方で、アナログ回帰の傾向も見られました。すなわち、デジタルとアナログの両利き化です。

レコメンドやタイムラインという新たな概念を便利に感じる一方、Oxford word of the year 2024において「Brain rot(脳の腐敗)」が今年の言葉に選出されたように、テクノロジーにより主体性が損なわれている感覚が広がっているようです。
特に、アナログ回帰志向は若い世代のほうが強いようです。青春時代にリアルな接触が断絶した世代は、アナログの価値を「再発見」ではなく「新発見」していると言えるでしょう。たとえば、道に迷わないために開発された位置情報アプリが、現在は行ったことがない場所を探検し、偶然の出会いや迷うことを楽しむために使われるなど、価値観の転換が生じています。

ビジネスと日常の融合が生み出す感情ミュート社会
──世代別の変化以外にも、現在の日本社会全体に見られる傾向はありますか。
2026年に発表した「感情ミュート社会 出さない時代の新欲求」では、日本社会全体の傾向として、自分の感情を出す機会や相手が減っていることが明らかになりました。これは古くからある「本音と建前」の文化とはまた異なります。家族や友人にさえ、ネガティブな感情だけでなくポジティブな発言も抑えている生活者が増えているようなのです。

こうした変化が起こるのは、いくつかの理由があります。サービス業など第三次産業の増加もあれば、「○○ハラ」や炎上に対するコンプライアンス意識の高まり、そしてタイパ・コスパといった経済合理性の追求も理由の一つでしょう。
特にコンプライアンス意識や経済合理性の追及は、これまでビジネス領域で採用されていた論理が、日常生活の中に浸透してきたとも言えます。その是非はともかく、マーケターはこの変化をしっかりととらえ、そこから生じる新たなニーズに応えなければなりません。
AIではわからない生活者のリアルを集めに行く
──AIやデータの活用が進み、高度なデータ分析や最適化が可能となる半面、コモディティ化も指摘され始めています。マーケターが新しい価値や市場を創造していくためには、何が重要になるでしょうか。
AIは非常に便利なツールですが、そのアウトプットはあくまで「過去の集合知」に過ぎません。今マーケターに求められるのは、生活者の生の情報、すなわち「Human-Led Intelligence(人間主導の知性)」を導き出すことです。
AIの情報と生活者の生の情報との対比を、私は「カット野菜と泥つき野菜」に例えています。カット野菜はすぐに使えて非常に便利ですが、素材本来の姿、全体像がわからなくなる危険性がある。一方の泥つき野菜は、加工に手間はかかりますが、素材本来の姿そのままです。
AIのアウトプットは加工された二次情報か三次情報であり、どうしても生活者への解像度が下がってしまいます。だからこそ、一次情報に当たる必要があるのです。

──一次情報は重要ですが、とらえるのは非常に難しいですね。
正直、非常に骨の折れる作業です。生活総研による生活者インタビューでも、ご自宅を訪ねてその人の生活環境も観察しながら話を聞くなど、リアルな対面を行うべきところ、近年は時間や効率面からオンラインで実施することも多いです。業務効率性は追及しつつ、可能な限り生の生活者情報にあたることにも意識的にリソースを割くべきと考えます。
未来を創りだす生活者へリスペクトを
──最後に、これからの20年に向けてメッセージをお願いします。
「育てるデジタル、信じるアナログ」を研究している際、文化人類学や社会学に加え、進化人類学の書籍も読みました。その本によれば、ある1ヵ所から新たな鉄器が出土すると、その後次々と同じ鉄器があちこちから出土するそうです。人類はテクノロジーを開発・活用して進化してきましたが、半面、テクノロジーに依存してしまいやすい生き物とも言える。これはデジタルに限らない、連綿と続く人間の性質なのかもしれません。
しかし同時に、生活者はそうした危うい傾倒を自発的に引き戻し、バランスを保つレジリエンス(復元力)も持っています。だからこそ、生活者を操作しようとするのではなく、生活者をクリエイティブな存在としてリスペクトしなければなりません。テクノロジーが社会を変革する場面はもちろんありますが、なによりも「生活者の中に未来の種がある」という発想が生活総研の軸であり、これからのマーケターに求められる姿勢だと思っています。

※肩書は取材当時のものです
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博報堂 生活総研 所長1995年博報堂入社。マーケティングプラナーとしてクライアント企業のマーケティング戦略立案業務に従事。2005年に英国Tequila LondonとWolff Olines 社に出向。2014年タイバンコクに生活総研アセアンを設立、所長に就任。2020年帰任し、マーケティング局、経営コンサルティング事業立ち上げ等に従事した後、2025年より現職。


