マーケティングシステムの今~マーケティング&ITの実務家集団が語る事業グロースへのヒント【vol.22】顧客データに「文脈」を与える ― データエンリッチメントと、顧客理解の再発明
マーケティング活動において、データとテクノロジーが果たす役割は年々高まっています。データ基盤整備やCDP(カスタマーデータプラットフォーム)活用、マーケティングオートメーション、AI活用といった言葉は、もはや特別なものではなくなりました。一方で、それらを「実際の事業成長」に結びつけられている企業は、想像以上に少ないのが実情です。本連載では、博報堂マーケティングシステムコンサルティング局(以下、マーシス局)のメンバーが、事業グロースに向けた「生活者発想×データ×テクノロジー」の挑戦について、日々現場で向き合っている知見や視点から発信していきます。
第22回のテーマは「データエンリッチメント」です。CDPの整備が進み、顧客の行動事実の可視化が当たり前になった今、多くの企業が「データはあるのに、次の打ち手がわからない」という閉塞感を抱えています。その正体は「なぜその行動に至ったのか」という顧客の動機や価値観が構造的に見えていないことにある——本稿では、この「Why」の空白をどう埋めるかという問いに対して、我々が現場で辿り着いた考え方をお伝えします。
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土井京佑
株式会社博報堂
マーケティングシステムコンサルティング局
データプラットフォーム推進部 部長
1. 「データが揃った」のに、なぜ顧客が見えないのか
ここ数年、我々がクライアント企業とお話しする中で、ある種の「逆説」を感じることが増えてきました。
CDPやCRMの導入が加速し、顧客データの統合・可視化は着実に進んでいます。数年前には「データが統合されていないことが課題」と語られていた企業が、今では「統合はできた。でも、その先が見えない」と語るようになっています。データが揃ったにもかかわらず、顧客がよく見えない。この逆説の正体は何でしょうか。
我々が現場で繰り返し直面してきた結論は、こうです。CDPにどれだけ精緻なデータが蓄積されても、「なぜその顧客がその行動をとったのか」という問いには答えられない。
購買データや行動ログは、あくまで「いつ・誰が・何を・いくらで」という行動の結果を記録した台帳です。「30代女性・月2回購買・平均単価8,000円」というデータから購買パターンは読み取れますが、「なぜこの商品を選んだのか」「何がきっかけで離反するのか」という行動の背景は記録されていません。さらに言えば、「毎月買っている」という事実は「気に入っている」のかもしれないし「他に選択肢がなく仕方なく続けている」のかもしれない。結果だけを見て原因を推測すると、顧客を大きく見誤るリスクがあるのです。
この「Why」の空白は、施策の画一化という形で現場に表れます。アパレルECが「30代女性・月2回以上購買」に一律で新着アイテムのメールを送るとき、そのセグメントには「トレンドを追いかける人」と「定番品を愛用する人」が混在しています。金融機関が投信未保有者に一律でNISAのDMを送るとき、「投資に前向きだがきっかけがない層」と「元本割れリスクに強い抵抗感を持つ層」が同じ扱いを受けることになります。小売業が休眠顧客に一律でクーポンを配布するとき、不満を持って離反した方にとっては「値引きで誘導しようとしている」という印象になるかもしれません。
CRMの開封率の頭打ち、ターゲティング精度の伸び悩み、LTV施策の限界——これらの多くは、データの「量」ではなく「質」の問題です。「何を買ったか」はわかるが「なぜ買ったか」がわからない。「原因のデータ」の不在こそが、画一的施策の根本原因なのです。
【図表①:1st-Partyデータが抱える、Whyの空白】

2. 「顧客を理解する」とは何か ― 生活者発想が問いかけるもの
ここで少し視座を上げて、「そもそも顧客を理解するとはどういうことか」という問いを立ててみたいと思います。
優秀な営業担当者は、購買データだけを見て提案を考えたりはしません。会話の端々から生活の変化を察知し、何気ない一言から価値観を読み取り、「この方は今、こういう状況にあるのではないか」という仮説を立てたうえで提案を組み立てます。この営業担当者が行っているのは、行動データの分析ではなく、生活者としての文脈の理解です。
博報堂は45年以上にわたり「生活者発想」を掲げてきました。これは単なるスローガンではなく、マーケティングの対象を「消費者」ではなく「生活者」として捉えるという思想です。生活者とは、商品を買うだけの存在ではない。家族がいて、仕事があり、不安を抱え、未来に期待を持って日々を営んでいる。その全体像の中に購買行動は埋め込まれており、購買データだけを切り出しても「全体像」は見えてきません。行動の背景にある生活の文脈や価値観まで含めて理解して初めて、本当に意味のある提案が見えてくる。
AI時代においてはこの生活者理解がさらに高度化し、かつ「常に更新され続ける」ことが求められています。一度作ったペルソナに依拠し続けるのではなく、顧客一人ひとりの変化を追いかけ続ける「動的な顧客理解」が不可欠です。この問いの中から生まれたのが、我々が取り組むデータエンリッチメントというアプローチです。
3. 行動データに「生活者の文脈」を重ねる ― データエンリッチメントの考え方
データエンリッチメントとは、企業が保有する既存のデータに対して、外部のデータソースや分析手法を用いて新たな情報を付加し、データの価値を高める手法の総称です。たとえば、顧客の住所データに国勢調査の地域統計を掛け合わせて世帯特性を推定する、購買データに外部の市場調査データを重ねてカテゴリ関心度を付与する——こうしたアプローチは、すでに多くの企業で実践されています。
しかし、従来のエンリッチメントの多くは「属性の補完」や「興味関心の推定」にとどまっていました。つまり、「What(何に関心があるか)」を充実させることはできても、「Why(なぜその行動に至ったか)」まで踏み込むことは困難だったのです。
では、「Why」をどう把握するか。まず思い浮かぶのは顧客アンケートやインタビューですが、数十万~数百万人に継続的に実施するのは非現実的ですし、調査の枠組みの中では回答者が無意識に「企業が求める回答」を選ぶバイアスも存在します。
この課題に対して我々が開発をしたのが、博報堂独自に蓄積した生活者データを活用したデータエンリッチメントです。博報堂は毎年数千人~数十万人規模で、日常の価値観、消費の判断基準、メディアとの関わり方、ライフスタイルの傾向などを体系的に調査・蓄積してきました。まさに「生活者発想」の結晶ともいえるデータ資産です。この生活者データをAIの「教師」として、「このような属性・行動パターンの人は、このような価値観を持つ傾向がある」というAI推論を、一人ひとりの顧客データに対して行います。
【図表②:博報堂生活者データのデータエンリッチメントのプロセス:行動データに生活者文脈を重ねる】

強調したいのは、これが「興味関心タグ」のような表層的なラベリングではないという点です。Web行動から「旅行に興味がある」と推定する次元ではなく、なぜその行動に至ったのか、その人の生活の中でその行動がどんな意味を持つのかを読み解こうとするものです。価値観やライフスタイル、購買の意思決定プロセス、メディア接触スタイル、ライフイベントの兆候、心理的な傾向——こうした生活者インサイトが顧客一人ひとりに対して推論できるようになります。さらに、推論結果には「なぜこの価値観が推定されたのか」を追跡できる説明可能性を持たせており、ブラックボックスではない透明性の高い設計としています。
4. 「なぜ」がわかると、何が変わるのか
データエンリッチメントによって「なぜ」がわかるようになると、マーケティングの実務は具体的にどう変わるのでしょうか。
【図表③:Whyがわかることで、何が変わるのか】

セグメンテーションの次元が変わります。「30代女性・年収600万円」という属性のセグメントから、「トレンド追従型」「定番品愛着型」のように価値観と動機に基づくセグメントへ。これは「より細かい分類」ではなく「より本質的な分類」です。
コミュニケーションに文脈が生まれます。メッセージの内容だけでなく、伝え方のスタイル、タイミング、チャネルまでを顧客の文脈に沿って設計できます。先に述べた「優秀な営業担当者が自然にやっていること」を、数十万人規模で実現する試みです。
離反の「兆し」を、行動が変わる前に捉えられます。特に厄介な「静かな離反予備軍」——行動データ上はアクティブに見えるのに、内心では不満を抱えている層——を、価値観の変化から検知できるようになります。
商品開発に「顧客の眼差し」を持ち込めます。自社商品が「どんな価値観の人に」「なぜ選ばれているのか」を定量的に把握でき、次の企画をデータに裏打ちされた洞察から出発させることができます。
我々がこの取り組みを通じて伝えたいのは、「顧客を理解する」ということの射程を、もう一段広げる必要があるという問題提起です。
CDPに蓄積される行動データは欠かせない基盤です。しかしそれは、顧客という存在の一面を記録しているに過ぎません。購買の背後にはその人の価値観があり、生活文脈があり、ライフステージの変化がある。その「全体像」に迫ろうとする姿勢こそが、マーケティングの解像度を変えるのだと我々は考えています。
データは「何が起きたか」を教えてくれます。しかし「なぜそうなったか」を教えてくれるのは、生活者一人ひとりの内面への想像力と、それを支えるテクノロジーの掛け合わせです。我々マーシス局は、その交差点に立ち、クライアント企業の事業成長に貢献し続けたいと考えています。
参考プレスリリース:博報堂独自の生活者データとAIを活用し、顧客データから価値観・ライフスタイル・購買動機などの生活者インサイトを読み解く「Data Enrichment for 生活者インサイト」の提供を開始
※肩書は取材当時のものです
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株式会社博報堂
マーケティングシステムコンサルティング局
データプラットフォーム推進部 部長生成AIの実装支援から新たなCX開発、事業戦略支援まで、データ・AI活用によるクライアント支援を推進。プロトタイピングによる高速検証、生成AIを活用した人材育成・業務効率化・マーケティングデータ活用・CX革新など、幅広いテーマに対応。データ・AI活用における「Can be(現実的に実現可能なこと)」を重視し、ビジネス成果に直結するデータ・AI利活用モデルの確立に取り組んでいる。

