マーケティングシステムの今~マーケティング&ITの実務家集団が語る事業グロースへのヒント【vol.24】数万件にのぼる顧客の「声」を経営の武器に変える ── VoC×AIエージェントがもたらすCX変革の新パラダイム
マーケティング活動において、データとテクノロジーが果たす役割は年々高まっています。データ基盤整備やCDP(カスタマーデータプラットフォーム)活用、マーケティングオートメーション、AI活用といった言葉は、もはや特別なものではなくなりました。一方で、それらを「実際の事業成長」に結びつけられている企業は、想像以上に少ないのが実情です。本連載では、博報堂マーケティングシステムコンサルティング局(以下、マーシス局)のメンバーが、事業グロースに向けた「生活者発想×データ×テクノロジー」の挑戦について、日々現場で向き合っている知見や視点から発信していきます。
第24回のテーマは「VoC(Voice of Customer:顧客の声)×AIエージェント」です。多くの企業がWebフォームやコールセンターを通じて膨大なVoCを収集していますが、その大半は「処理されるだけで活用されない」データになっています。従来型のVoC分析が「過去の集計」にとどまる中、生成AIと生活者データを掛け合わせることで、VoCを「未来のリスク予測」と「全社のアクション」に変換する新しいアプローチが生まれつつあります。本稿では、VoCを経営の武器へと昇華させるための考え方と、博報堂のマーシス局が現場で取り組んでいる実践について述べます。
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土井 京佑
株式会社博報堂
マーケティングシステムコンサルティング局
データプラットフォーム推進部 部長
1. 「データはあるが、活かせていない」── VoC活用の構造的課題
我々がクライアント企業のCX(顧客体験)改善を支援する中で、繰り返し耳にする言葉があります。「顧客の声は大量に集まっている。しかし、それを次の打ち手につなげられていない」。
実際、多くの企業がWebサイトの問い合わせフォーム、コールセンター、SNS、NPS調査(顧客ロイヤルティを測定する調査)といった複数チャネルから月間で数万件規模のVoCを収集しています。データの「資産化」は進んでいますが、問題はその先にあります。
我々が現場で目にする構造的課題は、大きく3つの断絶に集約されます。
第一に、データ蓄積と分析の断絶。VoC、NPS、SNS監視データなど複数のデータソースが存在していても、それぞれがサイロ化しており、相互に掛け合わせた立体的な分析ができていません。たとえばNPSのスコア推移とVoCの傾向をエリア単位で突合すれば「声を上げていないが不満を持っている層(サイレント予備軍)」の存在が見えてくるはずですが、そうした横断的な分析すら行われていないケースが多いのです。
第二に、分析と現場アクションの断絶。顧客対応部門では、日々のVoCを局所的・緊急的に処理することに追われ、体系的な整理や具体的な改善アクションへの紐付けが行われていません。拠点間の横断的な傾向把握や比較分析も不在です。
第三に、現場と経営の断絶。VoC分析に基づく拠点評価指標が存在せず、経営判断の材料としてVoCが昇華されていない。結果として、顧客の声は「対応部門の中だけで消費される」情報にとどまっています。
この3つの断絶が意味するのは、VoCが「収集」されてはいるが「活用」されていないという、多くの企業に共通する構造的問題です。そしてこの状態の放置は、単なる機会損失ではなく、経営リスクに直結します。1件の小さな不満の背後には同じ不満を持つ無数の顧客が存在し、その兆候を見逃し続ければSNSでの拡散や顧客離反という形で経営を揺るがしかねません。月間数万件を人力で確認し、属人的な優先度判断でエスカレーションする体制も、すでに持続可能性の限界を迎えています。
2. 「過去の集計」から「未来の予測と行動」へ ── VoCインサイトAIエージェントという構想
では、VoCをどう活かせばよいのか。我々が提唱しているのは、VoCを単なる「過去の集計対象」から、未来のリスクと機会を予測する「経営の武器」へと転換するアプローチです。この考え方は、生成AIを活用したVoC分析ソリューション「DATA GEAR Voice Analysis」で培ってきた知見を基盤とし、それをAIエージェントによる業務実行・改善アクションまで拡張した発展的な構想です。
従来型のVoC分析は、「何が起きたか」を把握するための集計に留まります。カテゴリ分類、件数の推移グラフ、ダッシュボードでの結果報告──これらは過去を振り返る「報告のための分析」です。我々が目指すのは、「なぜ起きたか」を解明し、「次に何が起きるか」を予測し、「どうすべきか」を導き出す「予測とアクションのための分析」です。

【図表①:単なる「過去の集計対象」から、未来のリスクと機会を予測する「経営の武器」へ転換】
この転換を実現するのが、生成AIと博報堂独自の生活者データを接合した「VoCインサイトAIエージェント」という構想です。そのアーキテクチャは、表層・深層・未来の3フェーズ、7つの分析レイヤーで構成されます。
【図表②:7つの分析レイヤー】
Phase1:表層(スマート分類)
生成AIによる高精度な自動分類に加え、確信度スコアに基づく有人判定の分岐を行います。ポイントは、感情的なクレーム表現に埋もれた「構造的な問題の兆候」をフラグ付けできることです。たとえば激しい言葉遣いのクレームの中から「反復性」を検知し、特定拠点における構造的なオペレーション課題を抽出します。
Phase2:深層(背景推定、生活者プロファイル)
ここが博報堂ならではのアプローチです。LLMによる基本属性の推定に加え、博報堂が保有する大規模な生活者データと統計的に接合することで、「テキストに書かれていない」顧客の価値観、生活パターン、リスク特性までを立体的に推論します。たとえばサービスへの不満を1件受け取ったとき、その背後にある生活背景──時間的制約、家庭環境、情報発信への感度──まで立体化することで、一般的なテキストマイニングでは到底たどり着けない解像度のインサイトが得られるのです。
Phase3:未来・行動フェーズ(リスク予測、サイレント予備軍検出、アクション変換)
顕在化した1件のVoCから背後に潜むサイレント予備軍の規模を定量化し、放置した場合の拡大リスクをスコア化します。さらに、分析結果を各部門(顧客対応、現場オペレーション、サービス開発、経営・広報)が直ちに実行可能な「具体的な改善アクション」として自動翻訳し、適切な部門に分配します。

【図表③ :VoCを「全社のアクション」に変える仕組み】
3. 「ツール導入」ではなく「業務プロセス改革」として取り組む
ここで強調したいのは、VoC×AIの取り組みは「新しいツールの導入」ではなく「業務プロセスの改革」として位置づけるべきだということです。
多くのVoC分析プロジェクトが期待した成果を出せないのは、技術の問題ではありません。いかに優れたAI分析エンジンを構築しても、その結果が現場のオペレーションに接続されなければ「分析しただけ」で終わります。我々が提唱するアプローチでは、AI開発の前にまず業務コンサルティングを置きます。
Step 1:現状の徹底的な可視化。既存のVoC対応業務フローをAs-Isとして可視化し、ボトルネックを特定します。月間数万件の処理にどれだけの工数を費やし、本来人間が判断すべき件数はどの程度か。この棚卸しなしにAI導入の要件は定義できません。
Step 2:データの棚卸しと品質評価。理想論のAIを語るのではなく、現在保有するデータの品質・粒度・整合性を確認し、「今あるデータで何ができて、何が足りないか」を正直に線引きします。
Step 3:あるべき姿の定義と合意形成。 To-Be業務プロセスの設計には、現場の受容性が不可欠です。本部・先行拠点を交えたワークショップを通じ、机上の空論を「実運用ルール」に昇華させます。
Step 4:PoC成功指標の定義。「初動対応時間の短縮」「エスカレーション精度の向上」など、定量的なゴールを合意した上でシステム開発に着手します。
このアプローチの核心は、ビジネス要件とシステム要件を完全に一致させることにあります。業務の実態を踏まえた設計だからこそ、現場で確実に「使われるAI」が完成するのです。
4. 「クレーム件数」から「改善プロセス」への評価転換
VoC×AIがもたらすもう一つの重要な変革は、評価指標の転換です。
従来、多くの企業ではクレーム件数を「減点方式」で評価してきました。しかし、この評価方法はVoCの隠蔽や報告の萎縮を引き起こす構造的リスクを内包しています。現場がクレームを「見つけてはいけないもの」として扱い始めれば、改善の芽も同時に摘み取られてしまいます。
我々が提唱するのは、「改善アクションの実行度」を評価する加点方式への転換です。AIが提示する推奨アクションに対して、拠点がどれだけ迅速かつ適切に対応したか。現場の小さな改善活動から本部へのエスカレーション、他拠点へのベストプラクティス横展開まで、前向きな改善行動を多階層で評価します。さらに、クレームの深刻度改善トレンド、対応報告と実際のVoC推移の突合、お褒めの言葉の増加率といった多角的な指標を組み合わせることで、より本質的なサービス品質を測定できるようになります。
VoCを「隠すべきもの」から「業務改善の武器」へと再定義し、現場が前向きに課題解決に取り組む組織文化を醸成する。この評価の転換こそが、VoC×AIの取り組みを「一過性のシステム導入」ではなく「持続的な経営変革」として根付かせる鍵だと考えています。

【図表④:「集計」ではなく「改善アクション」を届けるレポート】
5. 「集計する声」から「未来を予測する声」へ
VoCの活用は、多くの企業にとって「重要だが、手が回らない」領域であり続けてきました。月間数万件の声を前に、対応部門は日々の処理に追われ、経営層にはその情報が届かない。この構造を放置すれば、顧客の声は「コストを生む存在」のまま死蔵され続けます。
しかし、生成AIと生活者データの接合によって、VoCは「過去の集計対象」から「未来を予測し、全社のアクションを駆動する経営資源」へと生まれ変わる可能性を持っています。重要なのは、これが単なるテクノロジーの話ではないということです。業務プロセスの再設計、評価指標の転換、現場の意識改革──テクノロジーの「周辺」にこそ、成否を分ける本質があります。

【図表⑤:従来型VoC分析との決定的な違い】
博報堂の生活者発想とは、顧客を「その商品を消費する人」としてではなく、「多様化した社会で主体性を持って生活している人」として捉える考え方です。VoCに刻まれた一つひとつの声の表層的な処理にとどまらず、そこに込められた「本当の声」を読み解くこと。その営みの延長線上に、CXの本質的な向上と企業価値の最大化があると、我々は確信しています。
※肩書は取材当時のものです
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株式会社博報堂
マーケティングシステムコンサルティング局
データプラットフォーム推進部 部長デジタルマーケティング支援会社を経て、2014年に博報堂へ入社。
博報堂DYグループ横断のData & AI事業「DATA GEAR」を立ち上げ、事業戦略からソリューション開発、組織運営までを一気通貫で統括。生成AI、AIエージェント、データ基盤を活用したEnterprise AI transformationをリードし、業務改革・CX革新・事業開発を推進している。テクノロジーパートナーとのアライアンス推進をはじめ、クライアント企業におけるAI-Ready/With AI transformation推進を通じ、実践的なデータ・AI活用と事業推進。

