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野球中継の価値を高めるデータの力 ──AIがバッテリーの配球を算出する「AIキャッチャー」
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野球中継の価値を高めるデータの力 ──AIがバッテリーの配球を算出する「AIキャッチャー」

野球は「データのスポーツ」とも言われます。過去のデータを参照しながら、勝ち筋をつくっていくのが野球の醍醐味です。そのデータをAIに学習させたらどうなるか──。そんな発想にから生まれたのが「AIキャッチャー」です。AIが膨大なデータをもとにピッチャーの配球を算出するこのツールを開発したきっかけや、それよって実現した野球中継の新たな楽しみ方について、日本テレビのディレクター・松岡祐樹氏と、開発を手がけた博報堂DYメディアパートナーズグループ・データスタジアムの上田貴司に語ってもらいました。

松岡祐樹氏
日本テレビ放送網株式会社 
スポーツ局 ディレクター

上田貴司
データスタジアム株式会社 
映像・メディア事業推進部

「野球」と「AI」の掛け合わせで生まれた画期的な仕組み

──はじめに、AIキャッチャーの概要をご説明いただけますか。

松岡
プロ野球の試合で、バッターを抑えるためのベストな配球をAIがリアルタイムで提示するのがAIキャッチャーです。仮にAIがキャッチャーだったら、こういうサインを出すだろう──。そんな発想に基づいてつくったツールです。

配球のベースとなっているのは、過去16年間のプロ野球の試合のおよそ400万球のデータです。それをもとに、ボールカウント、アウトカウント、イニング、点差、出塁状況などに応じて、バッターを抑えるためのベストな球種とコースをAIがリアルタイムで提示します。

<実際の放映画像>

しかし、ピッチャーが次に投げる球をAIが予測しているわけではありません。過去のデータに基づいて、「このシチュエーションではこの球を投げるのがピッチャーにとって最良である」ということをAIが判断しているわけです。当然、実際にキャッチャーが出すサインとAIが提示する球には違いがあります。その違いを含めて視聴者の皆さんに楽しんでいただきたいというのが、AIキャッチャーのコンセプトです。

──開発のきっかけについてお聞かせください。

松岡
プロ野球中継には70年近い歴史があって、これまでも最新の性能のカメラを使ったり、画角を工夫したりしながら、より楽しんでいただける番組づくりを行ってきました。私自身、ディレクターの立場になってから、何か新しいことができないかといつも模索してきました。その中で思いついたのが「AI」というキーワードです。野球とAIを掛け合わせたら何か面白いことができるのではないか。そう考えて、以前からお付き合いのあったデータスタジアムに相談させていただきました。
上田
過去のデータを学習させて答えを出させるのがAIの典型的な使い方の一つです。プロ野球で最もデータをいかす方法の1つはバッテリーの配球だろう。そんな話を最初に松岡さんとしましたよね。

しかし、AIは私たちにとっても初めてのチャレンジでした。膨大なデータはあるけれど、それをどのように技術的に処理して、どのようにテレビで見せていくのがいいのか。その点について相談を重ねました。オフシーズンの間の2カ月から3カ月という短期間でつくらなければならなかったので、作業自体はたいへんでしたが、チャレンジのきっかけをいただいたことにたいへん感謝しています。

膨大なデータがあったからこそ実現したツール

──開発においてとくにこだわったのはどのような点ですか。

松岡
配球を算出するスピード感です。ピッチャーが次の球を投げるまでのわずかな時間で、キャッチャーがミットを構える前に提示しないと意味がないからです。
上田
AIの配球をめぐって実況解説者が話す時間も確保したかったので、できるだけスピーディに算出する仕組みをつくる必要がありました。

──AIの配球の精度ははじめから完成していたのですか。

松岡
最初の頃は「野球がわかっていたら、そんな球は要求しない」というケースが何度かありましたね。AIは計算してその配球を提示しているのですが、例えば高めの変化球とか、初球のフォークボールといった要求は、実際のキャッチャーはあまりしません。視聴者がそれに違和感を抱くようになると中継を楽しめないので、データの学習の仕方をチューニングするなどして、できるだけ最良かつ自然な配球を提示できるようにしました。
上田
AIは、単にバッターを抑えるだけでなく、「ストライクを取る」「ランナーを進めない」「失点を防ぐ」といったいくつかの狙いを踏まえた上で最適と考える球種を選んでいます。その計算は複雑なので、開発者から見ても配球の根拠がわからないことはしばしばありました。それができるだけわかりやすくなるようにチューニングすることが必要でしたね。
松岡
とはいえ、根拠がすべてわかってしまったら、人間と同じになってしまいますよね。「AIのみぞ知る」というところがこのツールの面白さの一つのなので、そこのバランスには気をつけました。

──AIをうまく機能させるには膨大な学習データが必要になります。そのデータがもともとあったことが、ツール開発の成功につながったと言えそうですね。

上田
そのとおりですね。私たちは、2004年からの全試合の1球単位のデータを取り続けてきました。また野球についての深い知見も豊富にもっています。それがあったからこそ、AIを短期間で開発することができたわけです。
松岡
まさに、データスタジアムだからこそつくれたツールと言っていいと思います。

コアなファンにもライトなファンにも楽しんでもらえる

──視聴者からの反応はいかがでしたか。

松岡
昨シーズンは、地上波放送20試合でこのツールを使ったのですが、「面白い」という意見と、「普通に野球を見せてほしい」といった意見の両方がありました。新しい試みには、必ず賛否があるものです。話題にしていただいただけでもチャレンジした価値はあったと思っています。
上田
いろいろな意見があるだろうなとは開発時から思っていましたが、「AIキャッチャーに興味をもって野球中継を見るようになった」といったコメントがSNSに寄せられていたりするのを見て、やってよかったと思いましたね。AIの配球に対して「自分だったらこうする」と考えたり、「解説者の話がよく理解できるようになった」と感じたりした視聴者も多かったようです。
松岡
地上波のプロ野球中継の視聴者は、以前と比べて多様化しています。野球に詳しいコアなファンもいれば、野球のルールもよく知らないライトな視聴者もいます。AIキャッチャーのよさは、コアなファンの皆さんには「配球」という視点で深く楽しんでいただけるし、ライトなファンの皆さんにはAIを入り口にしてより野球に興味をもってもらえる点にあると考えています。その意味では、とても意義のあるチャレンジだったと思いますね。

──視聴率などへの影響はあったのでしょうか。

松岡
野球は試合時間が長いスポーツなので、盛り上がる場面もあれば、大きな見どころが必ずしもない場面もあります。しかし、点差が大きく開いてランナーもいないといった状況でも、AIキャッチャーがあれば、純粋にピッチャーとバッターの対決を1球単位で楽しんでいただくことができます。細かなデータをとったわけではありませんが、AIキャッチャーが視聴率の低下を防ぐ要因の一つになった可能性はあると考えています。

コンテンツの価値という点では、AIキャッチャーからの提示があることによって、逆に野球というスポーツの人間臭さが見えてくるところが面白いと思っています。AIが提示した配球とは異なる球をキャッチャーが要求して、それによってピンチを切り抜けたら、「やっぱりプロはすごい」ということになりますからね。

──AIキャッチャーは、優れた放送技術を称える一般社団法人映像情報メディア学会の「技術振興賞」を受賞しました。

松岡
放送の発展に寄与する新技術に贈られる賞で、処理の速さや分析手法などを評価いただいたようです。とても光栄な受賞でした。
上田
日本テレビとデータスタジアムが連名で受賞したところに大きな意味があると思っています。受賞後、いくつかのテレビ局やテクノロジー企業からの問い合わせもいただいています。
苦労してつくった甲斐がありましたね。

データにはコンテンツを面白くする力がある

──今年から、さらに新しい仕組みを導入したそうですね。

松岡
AIが算出する「イニング得点確率」を開幕戦から導入しました。野球中継をより楽しんでいただくという点ではAIキャッチャーと狙いは同じですが、こちらのほうがよりわかりやすい指標だと思います。

試合では、解説者が「さあ、この回は大きなチャンスです」と言うことがよくありますよね。画面に得点確率が表示されていれば、それがどのくらいのチャンスなのかがひと目でわかります。確率はバッターやアウトカウントによって変動していくので、状況ごとの変化を楽しんでいただくこともできます。

もう一つ、6月末から導入したのが「作戦成功率」です。これは、ヒット、送りバント、盗塁の3つの作戦の成功率をAIが算出するものです。例えば、ワンアウト1塁のシチュエーションで送りバントのサインが出たときの成功率をAIが提示するわけです。これによって、実際の監督はどんな作戦をとるのかがよりワクワクするようになります。

上田
この2つの仕組みを実現するために、AIのエンジンを新たに4つ開発しました。得点確率と、安打、送りバント、犠打のそれぞれの成功確率を算出するエンジンです。これにも過去の膨大なデータがいかされています。

──AIの仕組みをほかのスポーツ中継に応用できる可能性はありそうですか。

上田
もちろん可能性はあると思いますが、十分なデータがあるかどうかが鍵になりますね。AIの活用という点で言えば、例えばサッカーなどの競技で、画像認識技術を使って、カメラが選手の顔をキャッチしたらプロフィールや成績が表示される、といった仕組みは可能なのではないでしょうか。

松岡
スポーツ中継ではありませんが、昨季のオフシーズンのスポーツバラエティ番組でAIキャッチャーが使われたことがありました。AIが提示した配球をバッティングマシーンに入力して、それとバッターが対決するという企画です。想定外の使われ方でしたが、非常に面白かったですね。一番大事なことは、視聴者の皆さんに楽しんでいただくということです。その視点があれば、今後もさまざまな応用のアイデアが出てくると思います。

──最後に今後の見通しをお聞かせください。

松岡
打球がどこに飛ぶかを予測するとか、守備の面白さを伝えるなど、データを使ってできることはまだまだたくさんあると思います。いかに面白く見せるかがテレビの価値なので、仕組みをつくるだけではなく、見せ方の工夫を考えることも大切だと思っています。
上田
AIキャッチャーを通じて、データにはテレビコンテンツを面白くする力があることにあらためて気づきました。「データ×テレビ」「データ×コンテンツ」の可能性を引き続き探っていきたいと思います。
松岡
コロナ禍以前の2019年シーズンは、12球団の球場動員数が過去最高を更新しました。野球人気は根強いし、私自身野球は本当に面白いスポーツだといつも感じています。コロナ禍が収束するまでは球場で野球を見られない人も多いと思いますが、だからこそテレビでいろいろなことにチャレンジしていく必要があります。いろいろな方の意見をうかがいながら、テレビでできることをこれからも模索していきたいですね。
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  • 松岡 祐樹
    松岡 祐樹
    日本テレビ放送網株式会社
    スポーツ局 ディレクター
    2007年入社。
    スポーツ情報番組「Going!Sports&News」「news zero」や
    野球・ゴルフ・箱根駅伝・オリンピックなどのスポーツ中継番組を担当。
    2018年から野球中継のチーフディレクター。
  • 上田 貴司
    上田 貴司
    データスタジアム株式会社
    映像・メディア事業推進部
    2012年入社。
    プロ野球をはじめとした野球速報を担当。その後、高校野球に関するデータベースなどのシステム開発、AIを活用した事業開発にも携わる。