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【第7回】触覚技術をウェルビーイング経営に活用する道筋とは~東大・稲見研究室×博報堂ミライの事業室(前編)
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【第7回】触覚技術をウェルビーイング経営に活用する道筋とは~東大・稲見研究室×博報堂ミライの事業室(前編)

2023年1月に設立された「commissure (コミシュア)」 は、東京大学先端科学技術研究センターの稲見昌彦教授の研究室から生まれたスタートアップです。触覚提示技術ソリューション「Skin Stretch Distribution」をベースに事業拡大を目指すcommissureの創設者の2人と、博報堂ミライの事業室で企業のウェルビーイング経営を支援するメンバー、そして身体技術やメタバースの研究に取り組む稲見教授が、研究における「越境」の重要性や、アカデミアと企業の連携のあり方などについて語り合いました。前後編の2回にわたってお届けします。

稲見 昌彦氏
東京大学 先端科学技術研究センター 教授

溝橋 正輝氏
commissure Co-Founder 代表取締役 CEO

堀江 新氏
commissure  Co-Founder 代表取締役 CTO

久保 雅史
博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ ミライの事業室
ビジネスデザインディレクター

諸岡 孟
博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ ミライの事業室
ビジネスデザインディレクター

■東大稲見研発スタートアップcommissure

諸岡
博報堂ミライの事業室のメンバーが、東京大学の研究室や東大発スタートアップの関係者の皆さんをお招きして語り合う連載も今回で第7回となります。今回は、触覚技術を中心にさまざまなテクノロジーを駆使してXR、メタバース、人間拡張などの分野で最先端をいく東大先端科学技術研究センター稲見昌彦先生と、稲見研究室から発足したスタートアップ「commissure(コミシュア)」の創業者のお二人に話を伺っていきます。
この前編では、高いポテンシャルをもつ稲見研のテクノロジーとの掛け算を通じて見えてくる、僕らのウェルビーイング経営事業構想について、お伝えしていきます。それでは稲見先生、まずは研究分野について概略をおしえてください。
稲見
いまや幅広いシーンで普及がすすむXRやメタバースですが、その実現に欠かせないテーマが「身体」です。稲見研では、身体にまつわる各種データのセンシング、身体の原理や仕組みの解明、身体関連の新しいサービスやソリューションの開発など、身体に関して多岐にわたる活動を展開しています。身体拡張や人間拡張といったキーワードで語られることも多い分野ですね。人間の身体能力や知覚などを技術のちからで増強・拡張させることを目指しています。

稲見研の詳細はこちら → https://star.rcast.u-tokyo.ac.jp/

身体分野において重要な要素の一つが触覚です。稲見研では研究室立上げの初期から、触覚に関する研究や開発に力をいれて進めてきました。そうした活動の中で事業可能性を見出して創業したのが、commissureという稲見研発スタートアップです。

諸岡
稲見研は、研究領域が広大でかつそれぞれの深さも相当ですが、そのなかでも重要な触覚分野の社会実装を担うのがcommissureというわけですね。そのcommissureの創業者である溝橋さんは、もともと稲見研メンバーではなく外部から加わったんですよね?
溝橋
そうなんです。以前スタートアップを経営していた頃、あるベンチャーキャピタルの方に「テクノロジーベンチャーの経営に興味はないか」と聞かれたことがありました。私は「無理です」と即答しました。文系人材のネットワークはありましたが、理系人材の知り合いは一人もいなかったからです。

しかしその方が言うには、「テクノロジーベンチャーには経営人材が不足していて、CTOがやむなくCEOをやっているケースが多い。経営ができる人材をみんなが探している」とのことでした。なるほど、それならこれまでの経験や知見をいかすことができるかもしれない。そう考えなおして進んでみたところ稲見研に出合い、触覚技術を社会実装するための会社としてcommissureを設立したわけです。

commissureの詳細はこちら → https://commissure.co.jp/

■触覚技術のもつポテンシャル

諸岡
溝橋さんとともに共同創業した堀江さんは稲見研の出身ですね。どのような経緯で触覚技術の研究に取り組み始めたのですか。
堀江
私はもともと大学で 機械工学を学んでいたのですが、学部生時代に触覚技術に触れる機会があり、「これは世界を変えられる技術だ!」と思いました。そこで、修士課程は触覚技術について最先端の研究を行える研究室を選びました。

触覚技術にじっくりと関われるようになったのはこの頃からです。博士後期課程から東大の稲見研に移ったのは、社会との接点を大切にするスタンスで研究を深めていきたいと考えたからです。そのようなモチベーションがあったので、スタートアップの創業はとても自然な流れでした。

諸岡
僕はふだん、東大本郷キャンパスの近辺に出没することが多く、稲見研が拠点をかまえる駒場リサーチキャンパスには来る機会がありませんでした。ですが昨年、たまたま見つけた駒場リサーチキャンパス公開イベントに参加して、稲見研を訪問しました。そのときに堀江さんが、映像にリンクした触覚刺激を体感できる椅子型の装置のデモをしていて、僕も体験させてもらいました。実際にやってみると思ったよりもリアリティがあって、率直にワクワクしましたし、可能性を感じました。そのときからの関係性で、commissure創業の際にはいち早く堀江さんからご連絡をもらって連携をスタートさせることができました。
堀江
博報堂の皆さんとこうしてすぐに連携し始めることができたように、企業との距離が近く連携を実践しやすいというのは、稲見研の社会接点重視という方針を端的にあらわす特徴のひとつかもしれません。
久保
commissureの特徴的な触覚技術について、改めて概要を教えてください。会社としては「触覚提示技術によってデジタルと身体とをなめらかに繋ぐ」というビジョンを掲げていますよね。

溝橋
触覚の活用という分野は、視覚や聴覚とくらべるとまだまだ発展途上です。ただ人間の生命活動において、触覚は重要な要素を担っています。触覚が無くなると、自分の境界や世界の輪郭がわからなくなってしまうため、例えばものを器用に掴むことや安定して立っていることすら難しくなります。稲見研では身体拡張から始まる触覚の研究を長年積み重ねており、ここで培った技術を活かしてcommissureでは触覚提示プロダクトの開発に取り組んでいます。
諸岡
触覚で特定の刺激をつくり出すことで、たとえば母親が子どもの背中をさすって不安を和らげてあげるのと同じ効果を生み出すことができるのではないか、という相談をcommissureにしました。commissureのプロダクトをそのように活用することによって、ストレスを軽減し、ウェルビーイングを高めることができるのではないかと思います。

堀江
十分に可能性はあると思いますね。皮膚をやさしく撫でると、脳内からオキシトシンやβエンドルフィンという物質が分泌され、幸福感が高まり、ストレスが軽減すると言われています。触覚技術によってその効果を生み出し、ウェルビーイング向上に役立てていくというのは、まさしく僕たちの技術の実装の方向性の1つだと思います。

■ウェルビーイング経営と触覚技術の掛け算

諸岡
博報堂ミライの事業室は、企業のウェルビーイング経営支援に取り組んでいます。この取り組みは、commissureの事業と非常に親和性が高いと僕たちは考えています。ミライの事業室のウェルビーイング領域を中心で担っている久保さんに取り組みの概要を説明してもらいましょう。
久保
博報堂DYグループは、生活者発想という理念を掲げています。企業のウェルビーイング経営を支援するには、これを「従業員発想」に応用して、一人ひとりの社員の皆さんの立場に立って何が必要かを考えることが重要です。従業員発想のウェルビーイングのテーマとして、メンタルヘルス、ストレスマネジメントなどが考えられます。それぞれのテーマに応じて、外部のスタートアップの皆さんとも連携しながら、企業や自治体向けのソリューションを開発していくことが僕たちのミッションです。これまですでにいくつかのソリューションをリリースしてきました。

現在特に着目しているのが、「管理職の役割を担う方々」のウェルビーイングです。社員のウェルビーイングを高めるためには、職場の環境づくりが極めて重要です。環境要因として、働く「場の空気感」も含まれます。上長である管理職の機嫌がずっと悪かったり、モチベーションが低かったりすると、そのチームに漂う空気感が重たいままで、心理的安全性が保たれないからです。管理職のウェルビーイングが高まるとチームの雰囲気も良くなり、成果や業績にもポジティブな効果を見込めると考えています。

溝橋
管理職のウェルビーイングはなかなか根深いテーマですよね。チームメンバーのコンディショニングやリカバリー、管理職同士のライバル意識や上級管理職からのプレッシャーで追い詰められ孤立化してしまう、などなど仕事面だけでもいろんなペインがありそうですし、仕事の負荷が高いぶん家庭や趣味などプライベート面へのしわ寄せも大きそうな印象があります。

久保
まさにその通りだと考えています。ではどうすれば管理職のウェルビーイングを高めることができるか。多くの企業には2つの課題があります。管理職が自分自身の状態を客観的に把握できていないということ、そして管理職をケアする仕組みがないということです。そこで僕たちは現在、管理職がフィジカル・メンタルの状態を自分自身で適切に把握し、それに対するケアプログラムを提供する仕組みづくりに取り組んでいます。

この仕組みに、commissureの技術や稲見研の知見がダイレクトに役立つのではないかと僕たちは考え、皆さんとこれまでディスカッションを重ねてきました。フィジカル・メンタルの状態計測メニューとして、およびケアプログラムメニューとして、さまざまな応用がきくポテンシャルがあると思います。

■他の五感との掛け算で高まる触覚のポテンシャル

諸岡
たとえばストレスマネジメントに五感刺激を活用する際、触覚以外にもいろいろな可能性があると思います。複数の感覚刺激の組み合わせは技術的に可能なのか。それによってどのくらいウェルビーイング効果が高まるのか。その点についてどうでしょうか。

堀江
ウェルビーイングの向上やストレスマネジメントという観点から見れば、複数の感覚を組み合わせた方が効果的だと思います。触覚技術だけでももちろん新しい体験を提供することは可能ですが、「触覚のコンテキスト」も非常に重要です。
皮膚を撫でられている感覚を得られたとしても、誰に撫でられているかによって感じ方は大きく変わります。触覚に視覚、聴覚などを組み合わせることによって、よりリアルな体験を提供するコンテキストをつくることができると考えられます。
久保
触覚と視覚の組み合わせの効果は大きそうですね。自分の一方の手を隠して、ゴム製の手が見えるようにしておき、その「偽の手」に触覚刺激を与えると、自分の手を触られているように感じる。そんな現象があります。ラバーハンドイリュージョンと呼ばれている現象です。これはいわば「身体性のエンジニアリング」と言っていいと思います。これまでの身体性を再編集する作業だからです。
諸岡
触覚と視覚を組み合わせる技術は、メタバースにも応用できそうですね。
堀江
おっしゃるとおりです。昨今のVRの学会のセッションで最も多いテーマは、実は触覚なんです。メタバースの中で視覚と触覚の相互作用を活用する研究は、海外でもかなり進んでいます。メタバースの進化と触覚技術の進化は、今後パラレルに進んでいくと考えられます。

久保
ほかに、聴覚や味覚にも可能性がありそうです。味覚といえば、フードテックの分野でいろいろな味を技術的につくり出す取り組みが進んでいますね。
溝橋
それと嗅覚との組み合わせも、現段階ではあまり研究が盛んではないと思いますが、そのぶんチャレンジする価値は高いと思います。
堀江
触覚技術だけを見ても、皮膚に振動を与える方法と、僕たちが実現したスキンストレッチという方法では原理が異なります。それぞれの原理とほかの感覚技術の組み合わせを考えていけば、可能性はさらに広がるような気がします。
諸岡
触覚のもつポテンシャルは広大ですね、これから博報堂とcommissureの連携でどんなものをつくり出していけるのか、この先が楽しみです!

■データ活用によるパーソナライズの可能性

諸岡
博報堂DYグループは、さまざまな分野の企業との広範なネットワークを持っています。commissureの技術を社会実装していくときに、そのネットワークはとても有用なのではないかと僕たちは考えています。
溝橋
それもおっしゃるとおりですね。commissureだけでは実現できないコラボレーションの可能性が大いにあると思います。ネットワーク力だけでなく、スポーツ、モビリティ、ヘルスケア、エンターテイメントなど、たいへん幅広い領域の知見をお持ちなのも博報堂DYグループの強みだと感じています。これまでも何度かミーティングをさせていただきましたが、僕たちにとって貴重な学びの機会となっています。
諸岡
技術をベースに新規事業をつくっていく場合、技術の先進性だけに依存してしまうとビジネスとして成立させるのが難しくなります。その技術が生活者や企業にどのような新しい体験、新しい価値をもたらすのか、つまり、UXやUIが非常に重要です。commissureの研究開発力や技術力、博報堂DYグループのネットワーク力やUX/UIをつくる力。それらを組み合わせれば、ビジネスを成功させるピースがひと通り揃うと思います。
溝橋
テクノロジーによってビジネスをドリブンし、一方で、社会や企業の課題解決に向けた方法論やマーケティングの力でビジネスをドリブンする。スタートアップの成長にはその両輪が絶対に欠かせません。今後ご一緒できることはとても多いと思いますね。
諸岡
僕は、五感に関する技術は徐々にパーソナライズの方向に向かうと考えています。それぞれの個人に最適な刺激を提供していくことが求められるようになったときに重要になるのがデータです。その人の年齢、嗜好性、心身のコンディション、困りごとなどのデータから、最適な感覚刺激を生み出していく。そんなデータドリブンな方向性も今後は必要とされると思います。テクノロジードリブン、イシュードリブン、データドリブン。その組み合わせ方を模索していきたいですね。
溝橋
触覚についてもデータドリブンな考え方を適用する研究が増え始めています。また、昨今話題の生成AIはテキストや画像を高い精度で生成可能にしました。今後、この生成AIによって、触覚を始めとした身体に近い領域に関する情報の生成が可能になるかもしれません。
久保
感覚技術をウェルビーイングに応用し、それをビジネスにしていくという取り組みは、未開でありチャレンジングだと思います。まさに新しい領域であり、それを開拓していくことには非常に大きな意味があると思います。
溝橋
触覚技術は、世界の中でも日本が間違いなくトップランナーです。そう考えれば、その技術を活用したビジネスにおいてトップランナーになることも決して不可能ではないと思います。僕たちの力でマーケットを切り開いて、多くの人に価値を届けていきたいですね。

(後編に続く)

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  • 稲見 昌彦氏
    稲見 昌彦氏
    東京大学 先端科学技術研究センター 教授
    1999年東京大学大学院工学系研究科博士後期課程修了,博士 (工学).東京大学助手,JSTさきがけ研究員,電気通信大学講師,助教授,教授,慶應義塾大学大学院教授,東京大学大学院情報理工学系研究科教授等を経て2016年4月より現職.JST ERATO稲見自在化身体プロジェクト研究総括,IPA未踏IT人材発掘・育成事業PM,超人スポーツ協会代表理事等を兼任.
  • 溝橋 正輝氏
    溝橋 正輝氏
    commissure Co-Founder 代表取締役 CEO
    1988年、兵庫県神戸市生まれ。大学卒業後は野村證券(株)、(株)サイバーエージェント、
    (株)セールスフォース・ジャパンを経て2020年9月にH.R.I(株)代表取締役に就任。2期連続YonY150%以上の売上成長を達成、2022年7月に(株)DirbatoとのM&Aによりグループイン。2021年度より情報経営イノベーション専門職大学の客員講師就任。
    2023年1月に堀江新と(株)commissureを創業、代表取締役を務める。
  • 堀江 新氏
    堀江 新氏
    commissure  Co-Founder 代表取締役 CTO
    1993年、福島県福島市生まれ。博士(工学)。東大先端学際工学専攻にて身体性の理解に基づいた触覚提示手法の研究や企業との共同研究を主導した。学振DC2・JST ACT-X研究代表として研究を推進。東大先端研特任助教に着任し、2023年1月に溝橋正輝と(株)commissureを創業、代表取締役を務める。2023年4月より慶応メディアデザイン研究科特任助教としてムーンショット型研究に従事。
  • 博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター
    航空会社・外資系広告代理店を経て、2007年博報堂入社。ビジネスプロデューサーとして、通信キャリア・飲料メーカー等をはじめ、国内外ナショナルクライアントのマーケティングコミュニケーション領域での戦略立案~実行支援にフロントラインで携わった後、現職。
    ミライの事業室では、ウェルビーイングテーマでの事業創出をリード。また個人のウェルビーイング体験を深めるために、#サウナー#ヴィパッサナー瞑想見習いとしても活動中。
    京都大学経済学部(環境経済学)出身。
  • 博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター
    1983年生まれ。東大計数工学科・大学院にて機械学習やXR、IoT、音声画像解析などを中心に数理・物理・情報工学を専攻し、ITエンジニアを経て博報堂入社。データ分析やシステム開発、事業開発の経験を積み、2019年「ミライの事業室」発足時より現職。技術・ビジネス双方の知見を活かした橋渡し役として、アカデミアやディープテック系スタートアップとの協業を通じた新規事業アセットの獲得に取り組む。東京大学大学院修士課程修了(情報理工学)。

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