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これからは、ヒトの行動特性×データの時代 ~なぜ私たちが「デジタルナッジ」を開発したか
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これからは、ヒトの行動特性×データの時代 ~なぜ私たちが「デジタルナッジ」を開発したか

博報堂グループで企業のマーケティング活動の基盤となる情報システムの設計、開発および活用支援を行う株式会社博報堂マーケティングシステムズは、慶應義塾大学経済学部・大学院経済学研究科の星野崇宏教授を技術顧問に迎え、行動経済学の知見をデジタルマーケティングに活用する新サービス 「デジタルナッジ」を開発しました。(プレスリリースはこちら

「行動経済学」とは、ヒトの進化の過程において獲得してきた心理や行動の特性をふまえて経済経営現象を理解する学問です。その特性を活かして、人々が自発的に望ましい行動を選択するよう促す手法を「ナッジ」といいます。
この「ナッジ」をデジタルマーケティングに取り入れることで、データだけに頼った従来型のコミュニケーションシナリオ設計のアプローチでは辿り着けなかった、より精度の高い仮説を導き出すことが可能となります。

今回、サービスを共同開発した経緯や「デジタルナッジ」でどのようなアプローチができるかについて、慶應義塾大学 星野崇宏教授と博報堂マーケティングシステムズのプランナー 吉田裕志が語り合いました。

意識していても抗えない、ヒトが持つ認知や行動の癖

吉田
近年、デジタルマーケティング市場が活性化する一方で、データドリブンなPDCAに思うような成果を実感できず、悩みを抱えている企業が多いように感じています。
星野
実際、改善活動や仮説のないABテストに疲れを感じておられる企業さんのお話はよく耳にしますね。
吉田
私自身も、限られたデータから最適解を導き出すことに行き詰まりを感じる事があり、何か他の方法が無いか模索していました。その時に行動経済学を知り、これをマーケティングに活用したら面白い!と思ったのです。そこで専門書を読み漁り、行動経済学の学会に参加して理解を深めていきました。中でも、AIや統計学、マーケティング等様々な分野に精通された星野先生の研究内容に強い関心を持っておりましたので、このような形で共同サービスを開発することができて、とても良かったと思っています。
星野
そうですね。日本は海外に比べて、特に民間企業で行動経済学の活用がまだまだ進んでいないので、博報堂マーケティングシステムズさんのようなデジタルマーケティングの会社と一緒にナッジを活用するサービスを行うことは、日本のマーケティング業界にとっても有意義な取り組みだと思います。
吉田
私はビジネス課題から行動経済学に興味を持ったのですが、星野先生はどのようなきっかけで行動経済学の研究を始めたのでしょうか。
星野
私はもともと理系出身で、最初はバイオテクノロジーを学び、その後に心理学へ進みました。しかし、心理学の実験は統制された環境で厳密に行われるもので、つまり実社会に則したものではなかったのですね。そこで、実社会の行動データが扱える統計学に進みました。のちに、私の論文を読んだ企業の方からお声がけをいただき、マーケティング分野での心理と統計の両方の視点を取り入れた共同研究をおこなうようになり、行動経済学にたどりつきました。
吉田
行動経済学は、経済学というよりも心理学に近い印象を持っています。経済学とは考え方が異なりますしね。
星野
そうです。まず、経済学と行動経済学は前提が異なります。経済学は「ヒトは合理的な存在で、自分が何をしたいか、したらいいかがわかっている」と考えます。行動経済学はその逆にあたる、ヒトの非合理的な側面に注目したものです。この行動経済学の前提は、経済学よりも心理学と共通しています。行動経済学の祖と言われているダニエル・カーネマンは、実は心理学者なんです。
吉田
近年は様々な研究が進み、ヒトの非合理的な行動についてのメカニズムが徐々に明らかになってきていますね。
星野
ヒトの非合理的な行動は、数十万年間続いた狩猟採集時代からの思考や行動のクセによるもので、そう簡単に変わるものではないことが最近わかってきました。自分で意識していたとしても抗えないのです。

ヒトの非合理性に関する研究はもともと心理学の領域なのですが、実験室研究で得られた心理学の研究結果が本当に現実の世界で通用するかどうかはわかっていませんでした。しかし、インターネットの普及もあり、現実での人々の行動のデータに心理学でわかっていた法則の多くが適用できることがわかってきました。特にここ10年くらいで、心理学とデータサイエンスが融合し、行動経済学の研究を加速しています。
また、カーネマンがノーベル賞を受賞した2002年を境に、多くの経済学者が心理学の研究を現実の経済経営現象に応用する面白さに気づいたようです。ちょうど私もこの時に、「ああ、自分がやっていることは行動経済学だったんだな」と認識したんです。

データ「だけ」マーケティングの限界

吉田
私はデジタルマーケティングの領域に関わって15年ほど経つのですが、近年、活用できるデータが急速に増えていると感じています。また、AIをはじめとしたデータ活用のテクノロジーの普及が進み、デジタルマーケティングではデータドリブンなPDCAがスタンダードな施策になっていますよね。星野先生は心理学、統計学など様々な観点でデータ分析を行われていますが、企業のデータ活用についてはどのようなお考えを持っていますか。
星野
そうですね。確かに、データドリブンな施策はネット広告やプロモーションメールの効率を上げることができます。しかしながら、過去のデータから過去の施策のどれが良いかはわかっても、今までに無い新しい施策を作ることはできません。
また、データドリブンな施策を行う場合は、すべてのデータを網羅的に扱っているわけではないので、分析するデータ、具体的にはサービスや顧客、実施時期によって結果が変わってくるという事を理解しておく必要がありますね。
吉田
例えばABテストにおいて、テストには無限の組み合わせがあり、どれくらいのパターンを繰り返せばよいかわからなくなってしまったり、何度もテストを繰り返すことで成果が頭打ちになってしまうというお話もよく耳にしますね。
星野
ABテストはあくまでABの勝敗を決める為のものであって、ABそのものが悪手だとPDCAを回してもパフォーマンスは上がりませんからね。ABテストにおいて、良いABの候補やそもそも何をABテストの対象にすべきかを設定できていない企業は多いと思います。
吉田
データドリブンとは異なりますが、UXデザインやカスタマージャーニーマップなどのシナリオを描いてマーケティングする手法も近年のトレンドです。ただ、これらもプランニングする人の願望や経験、勘が入ってしまうことで属人的になってしまい、その結果ユーザーが想定通りには動かないという課題があるのではないかと感じています。
星野
それは、UXデザインやカスタマージャーニーマップそのものは、情報や物事を整理して人に説明する観点で考えられていることが多く、背後のヒトの行動の本質を必ずしも捉えているわけではないからです。
属人的な勘や経験に頼らなくても、ヒトがこう動くという前提を知っていれば、そこから仮説を導き出すことができ、シナリオ設計や分析の精度を短い時間で上げて、打ち手の中から最適解を選ぶことができます。
近年、行動経済学を始めとする色々な分野で「ヒトがどう動くか」が研究され、解明されてきています。最短経路で行きたいと思ったら、これまでに蓄積された知見をいかに使うかということを考えるべきです。膨大な知見を活かさないのはもったいないですよね。

実はデジタルと行動経済学は非常に相性が良い

吉田
今回、行動経済学のデジタルマーケティング活用にあたって、その部分が非常に重要だと思っています。「ユーザーはこう動く」と考えてカスタマージャーニーマップを作っても、それが本当に正しいかはクライアントにも説明できないし、実装した後の成果も、何が実際に効いたのかわからないことが多かったのです。その点において、ナッジは学術的な理論に裏付けされたものですし、デジタル上で展開するとすぐに効果検証ができるので、相性がいいと思ったんです。
星野
相性はとてもいいと思います。
ナッジは色々ありまして、人によって最適なアプローチが変わります。例えば、健康診断を受けてもらうには、高齢で収入が多い人には「受けないと病気の発見が遅れますよ」と健康のことを伝えます。一方で、収入が低い人には「普段お金を払って受けるなら1万円ですが、今回は無料です」と伝える方が、より多くの方に受診してもらえるのです。
こういった出し分けのパターンは過去の研究を元に作りますが、デジタルの場合はデータを分析することで個別の最適化が簡単にできます。「この人にはこの打ち手がいい」といったことが短時間でわかるんです。
吉田
「デジタルナッジ」のサービスを試験的に開始してからは、次々と面白い施策が生まれてきていると感じています。通常UIは使いやすさを追求しますが、あえてUIを少し使いにくくするという先生の仮説が出たことは、非常に興味深いと思いました。
星野
なるべくストレスがないUIを作りましょうとよく言われますが、そのためにコンバージョンや利益が低下してしまうのでは企業としては本末転倒ではないでしょうか?提供しているサービスを多くの方に使ってもらうことのほうが、ユーザビリティよりも大事な場面はあるんです。
もちろん、ユーザーのストレスと成果のバランスを考えることも大切ですが。
有効な打ち手は意外と身近にあって、言われるとあたりまえのように感じたりするのですが、目的以外のことに注目しすぎると、いつの間にか選択肢から外れてしまったりします。目的を遂げるために、きちんと根拠がある選択肢をもっておくことが重要ですね。

継続的にヒトの心理・行動に働きかけるには?

吉田
私は、デジタルマーケティングのサービス設計やUI/UXの改善、ABテスト、コンテンツ制作等の課題に対して「デジタルナッジ」を活用していきたいと思っています。また、CRMの領域でも効果的な施策を考えていきたいのですが、継続的な効果を出すためにはどのような働きかけが必要なのでしょうか。
星野
そこは私も一番関心があります。先ほどの健康診断もそうですが、サブスクリプションサービスを使ってもらう場合など、1度何かを行ってもらうということにナッジは活用しやすいことがわかっています。でも、ずっと運動や禁酒を続けてもらう場合はハードルが上がります。これにも実は知見が既に膨大にあって、1度何かを行ってもらう場合とは少し異なり、どんなやり方でインセンティブを与えるかが重要になります。
サービスに全く関心を持っていない人に、インセンティブを与えれば効果が期待できますが、ヘビーユーザーにインセンティブを与える場合を考えると、元々インセンティブが無くても使い続けていたはずの人もいる訳ですよね。そこで、インセンティブが無くなった途端に離れてしまう、といったことが起こるんです。
吉田
確かにそうですね。無条件でもらえていたインセンティブが、ある日突然もらえなくなったら損をした気分になります。
星野
健康診断であれば、全く運動しない人が運動したらインセンティブをあげるようにして、続いているうちに少しずつ減らしていきます。同時に、運動によってどれだけ健康になったかを見せてモチベーションを維持してもらうようにします。最終的にはインセンティブが無くても、運動を続けてもらえる状態にするのが王道ですが、具体的には色々なテクニックが必要です。
吉田
インセンティブのプログラムは、かけるコストに対して適切な効果が出ているかわからず、なんとなく続けているケースも多くありそうですね。
星野
インセンティブには様々なタイプがあり、金銭的な報酬だけで良い効果が出るわけではありません。企業の場合は業態にあわせて、最初にきちっとしたインセンティブの設計をすることがとても重要となります。

ヒトそのものに対する知見をデジタルマーケティングに取り入れる

吉田
本日は、行動経済学について星野先生の様々なご見解をお聞かせいただきありがとうございました。
私自身も、データには価値があるけれども、限られたデータの中から最適解を導き出すアプローチには限界があるので、データドリブンな施策に偏りすぎるのは良くないと思っています。行き詰まりを感じたときは、マーケターの勘や経験といった属人的な判断に頼るのではなく、過去から積み重ねてきたヒトそのものに対する知見を活かすことが突破口の一つであるといえます。
星野
そうですね。データだけで分析しても、何故そのようになったかがわからないまま施策を実行することになります。しかし、行動経済学の知見があれば、「人はこういうメカニズムでこういう行動をする」ということが説明できるので、マーケターの方も安心して分析の結果を活用できると思うんです。
「デジタルナッジ」を活用すれば、従来よりも高い精度でマーケティングができるということに様々なメリットがあると思っています。先人が積み重ねてきた膨大な叡智を使い、“巨人の肩に乗る”ことが今こそ有効なのです。

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  • 星野 崇宏
    星野 崇宏
    慶應義塾大学
    経済学部・大学院経済学研究科 教授
    2004年3月東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。博士(経済学)。シカゴ大学客員研究員、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院客員研究員などを歴任。
    45歳未満の研究者に政府が授与する最も権威のある賞である日本学術振興会賞を受賞(2017年)。ほかに日本統計学会研究業績賞、日本行動計量学会優秀賞、日本心理学会国際賞、慶應義塾大学義塾賞など受賞多数。
    行動経済学会常任理事。マーケティング・サイエンス学会理事。
    経済産業省ナッジプロジェクト有識者委員。
    星野崇宏教授HP https://researchmap.jp/read0077211/ 
  • 株式会社博報堂マーケティングシステムズ
    コネクテッドプランニング部 部長
    2004年よりデジタルマーケティング領域においてプロデューサー、ディレクターとして経験を積んだ後、2018年博報堂マーケティングシステムズに入社。デジタルマーケティングの戦略立案や新規サービスの企画開発を行う。また、次世代デジタルマーケティング人材の育成にも力を入れており、トレーニングやスキルアッププログラムの開発を推進する。