強い顧客接点を生み出す戦略とIT ~「1→10」のフェーズに必要な「機動力」とは
マーケティングシステムコンサルティング局(MSC局)は、「広告の外側」にある生活者接点を構想、開発、運用することを目的に博報堂内に立ち上がった新しい組織です。具体的には、広告のような瞬発的な接点ではなく、アプリやWebサイト、店頭など定常的な接点を構築します。その接点を活用して、様々なビジネスに活用する取り組みがCRMの潮流になっています。前回は、MSC局でCRM構築のコンサルティングおよびプロジェクトマネージャーを担当している荒井友久に、CRM構築では「1→10」のフェーズが見落とされがちであることについて語ってもらいました。今回は、「1→10」のフェーズを成功させるために必要な機動力について話を聞きました。
「試しにメールを出してみる」で数ヶ月掛かかることも
──前回の話のポイントを簡単にまとめてみます。
・顧客接点の構築に失敗する企業は、「0→1」のアイデア出しのフェーズが終わったら、すぐに「1→100」を目指してしまう
・一方、成功している企業は、間に勝ち筋を見極める「1→10」のフェーズを挟んでいる
・「1→10」でやるべきことは、①共感をじっくり作り上げる、②最も価値が出せるものに提供物を絞る、③たった1つのKPIを見つける、の3つ
さて「1→10」を成功させるために、最も重要なこととは何でしょうか。
- 荒井
- 「1→10」でやるべき3つのことは、すべてやってみないと分からない、つまり試行錯誤が必要なことです。ビジネスチャンスを逃さないためには、できるだけ短期間で終わらせたい。したがって、検証サイクルをいかに早く回すかが最も重要なこととなります。
たとえば、マーケティングオートメーション(MA)の導入プロジェクトで、試しにメールを出してみて、効果検証をすることになったとします。
どういった顧客セグメントをターゲットにするかを、マーケターが考える場合、採用しているMAツールで、その顧客セグメントが設定できるのかが分からないこともよくあります。そこでMAツールを担当しているシステム会社とやり取りすることになります。それだけで1カ月程度掛かることも珍しくありません。何とか顧客セグメントを設定できたとして、今度はどのようにメールを配信するかということをシステム運用担当の会社と打ち合わせすることになります。さらに結果の分析については、分析が得意な会社が出てきて、どういう表頭・表側のレポートを作るのか、そもそもそのようなレポートが作れるのかという話し合いになります。
結局、たかだか1種類のメールの効果を評価するまでに3カ月掛かってしまった――というような場合もあるのです。
このように、早い検証サイクルを作ると言っても、なかなか難しいのが現実です。
──いったいどうすれば早い検証サイクルが作れるのでしょうか。
- 荒井
- 我々MSC局のような、すべての領域の専門家が一通り揃っているチームをリードエージェンシーとしてプロジェクト体制に組み込むことで、「機動力」を確保することです。
その際にリードエージェンシーとして我々が心がけることは以下の2つです。
・領域の一気通貫性を高める
・SoRとSoEの両方の人材をフル活用する体制作り
領域の一気通貫性を高める
──まず「領域の一気通貫性を高める」とは?
- 荒井
- 生活者との接点を考える上で、まずビジネス戦略と整合性を取ることは言うまでもありません。よく見かける場合ですと、戦略については経営コンサルティング会社、戦略から生活者価値を見つけだすのは広告会社、接点となるアプリやWebサイト等を作る場合は制作会社、そこから業務をデザインしていくのは、業務系コンサルティング会社、さらにシステムとして実装するのはSI企業、データ分析は分析専門企業と分断されている場合です。クライアントは数多くの企業と向き合いながらプロジェクトを進めていく必要があるわけです。もちろん、全てがこんなに細分化されているわけではありませんが、少なくとも複数の会社を活用しながら進めていくことがほとんどです。
その上クライアントの中でもIT部門、マーケティング部門、営業部門などと縦割りになっており、その上経営層とコミュニケーションを取る必要もあります。
このように社内外に様々な領域があるわけですが、我々がリードエージェンシーになることで、それぞれの領域を担当する社外の企業に対して、RFP(提案依頼書)を書き、オリエンテーションを行い、各企業からの報告をとりまとめ、クライアントと1つのチームになって判断および内部調整していくことで一気に機動力が高まります。
──これは本来、クライアントの仕事だと思うのですが。
- 荒井
- これだけ多くの領域を一気通貫でマネージメントするには、すべての領域に関する専門家が必要になります。それをクライアント社内で用意するのは非現実的なことです。2~3年といった長い期間があれば可能かもしれませんが、「1→10」はできるだけ短期間で決着したいわけですから、我々のような専門家集団を体制に組み込むことが得策となります。
経営トップの中には、「マーケティング部門とIT部門が連携して協力し合えばできる」と考えている方もおられるようですが、現実はそれほど簡単ではありません。
SoRとSoEとでは人材の種類がまったく違う
──続けて、「SoRとSoEの両方の人材をフル活用する体制作り」について説明をお願いします。まずSoRとSoEとは何でしょうか?
- 荒井
- 「システム」という言葉で一括りにする人が多いのですが、実はシステムは大きく2つに分けることができます。それがSoRとSoEです。
SoRは“Systems of Record”の略で、変化への対応よりも確実性・安定性を重視するシステムのことです。人事システム、会計システム、生産管理システム、勘定系システム、運輸会社の運行管理システムなどが該当します。基本的に停止してはいけないシステムです。
SoEは“Systems of Engagement”の略で、顧客との繋がりを担うシステムです。スピードやユーザーの使いやすさ、心地よさを与える見た目などが重視されます。スマートフォンのアプリが代表的なものです。
SoRとSoEでは、必要とされるITエンジニアの種類・開発言語・開発手法などがまったく違ってきます。
SoRの人材にSoEを作れと言っても、根本的な思想もスキルも違うので難しい。逆にSoEの人材にSoRを作らせると、意味もなくリッチなUIにしてしまう代わりに、システムの安定性が確保できないという問題が出てきます。
お互いの思想や価値観はもちろん、開発言語まで違うので、容易に行き来できないのです。
どちらの人材も必要
──マーケティングシステムの構築においてはどちらの人材が重要なのでしょうか。
- 荒井
- どちらが重要とかどちらが優れているかという話ではなく、両方の人材が必要です。以前はSoRとSoEを別物と捉え、独立に構築することが行われていましたが、今では両方を組み合わせていくことが必要とされてきています。
たとえばコンビニの決済アプリにクーポン機能を組み込むとしたら、アプリを作るといったSoE的発想だけではできません。POSレジの制約が分かり、POSと管理会計がどのように連動しているかを熟知したSoRエンジニアがいなければ、どんなにいいアイデアが出たとしても絵に描いた餅になりかねません。
実際、とあるプロジェクトでは、SoE側の人材は国内でも有数のデジタル開発企業と広告会社のチームで、出てくるアイデアはどれも素晴らしいものでした。しかし「本当に実現できるの?」というアイデアが多かったことも事実です。そもそもプロジェクトには、その業界ならではの業務システムの全体像を把握している人がいなかったのです。
そこで我々がそのプロジェクトに入ってまず実施したことは、各業務部門にヒアリングしてシステムの全体像を把握・理解することでした。その上でRFPを作成し、各開発会社にオリエンテーションしたのです。
──両方必要だということは、両方を含めた体制を作るということになります。その際に留意すべきことはありますか。
- 荒井
- 組織にはハード面とソフト面があります。ハード面は体制やミッションです。ソフト面は価値観やDNAです。SoRとSoEとでは、ソフト面が徹底的に噛み合いません。したがってこの2つの間に入ってコミュニケーションを媒介し、融合することができる人材が絶対的に必要となります。それは双方と話ができるだけの専門性を持っているということですが、個人ですべてを持っている人はなかなかいません。通常はチームで対応することになります。MSC局にはその能力があります。
MSC局のサービスマップ
──最後にMSC局のサービス全体について教えてください。
- 荒井
- これを見ればMSC局のサービスの全体像が分かる「MSC Service Map」(図)というものがあります。
左から右がフェーズの流れで、大きく構想フェーズ、開発フェーズ、運用フェーズに分かれています。
構想フェーズでは、生活者との接点をどのように作れば、生活者にとっての価値が出せるのかを検討する支援をします。
開発フェーズでは、タッチポイントシステム・配信システム・デジタルインターフェースの大きく3つのカテゴリと、それぞれにアプリケーション・業務・データベース・データ分析という4つのレイヤーがあります。
それぞれのカテゴリやレイヤーに特化して強い会社はありますが、MSC局はこれら全体を把握していることが強みとなっています。
たとえばある飲料メーカーで、スマホでレシートをスキャンするとポイントが貯まるキャンペーンを実施したことがあります。一見ありふれた機能に見えますが、既存ツールではうまく実現できないという、システム的には難易度が高いものでした。LINEでレシートを受け取って、最終的にはCDP(Customer Data Platform)に履歴を蓄積する機能開発を行ったのですが、これは3つのカテゴリと4つのレイヤーを網羅的に把握しているMSC局なしでは困難を極めたでしょう。
──Service Mapのフェーズは、構想が「0→1」、開発が「1→10」、運用が「10→100」と捉えればいいのでしょうか。
- 荒井
- そうではありません。「0→1」については確かに開発や運用はありませんが、「1→10」でも「10→100」でも、Service Mapのすべてが必要になります。「1→10」では特に機動力が必要となりますから、これらすべてを把握している度合いが高いほど成功の確率が高まります。
──「1→10」ならではの留意点はありますか。
- 荒井
- 「10→100」となると、システム運用専門の会社に運用をアウトソーシングすることもあるでしょう。しかし「1→10」では運用の主体はマーケティング等のユーザー部門になります。ITの専門家ではない彼らが運用できるように、運用負荷が少ないアーキテクチャーを採用することが必要になってきます。
クライアントにとっては、こういったことまでも配慮できるパートナーを選ぶことが重要ではないでしょうか。
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博報堂 マーケティングシステムコンサルティング局プロセスコンサルティング部長2012年博報堂入社。事業戦略・マーケティング戦略から情報システム開発までを一気通貫して支援する、ストラテジックプランニングディレクター。 大手SIerの経営企画を経て、大手メディアサービス企業の不動産広告事業における事業企画・営業推進にて、事業を成長させる事の難しさ・泥臭さを最前線で経験する。その後、経営コンサルティングファームにて第三者として事業支援を行った後、クリエイティブとの融合による、新しい事業支援のあり方を作るために博報堂に転身。