フェムテック領域で必要な当事者意識と顧客理解 生活者、社会、企業の幸せな循環を目指して
この1、2年ほどで「Femtech(フェムテック)」という言葉をよく耳にするようになりました。金融領域ではFintech、教育領域ならEdtechなどと、特定領域でのテクノロジー活用に近年注目が集まっていますが、実はフェムテックは少し捉え方を変える必要があるようです。それは女性のヘルスケアに焦点を当てながらも、そこから「心身の不調」という、性別・年齢・立場を問わず皆に関係ある課題に取り組むものへ発展しうるからです。
博報堂DYグループの大広では、社内有志のメンバーから始まった「大広フェムテック・フェムケアラボ」が始動しています。2020年度に社内R&Dチームとして立ち上がり、翌年から全社組織へ。「生活者、社会、企業との幸せな循環関係」をテーマに、ヘルスケア関連企業などへの支援も進んでいます。立ち上げメンバーの平野陽子と大谷拓に、フェムテック起点でどのように顧客や社会とつながれるか、話を聞きました。
多くの人が、不調を抱えながら働き、日々生活している
――「フェムテック」は、一般的には「女性特有のヘルスケア関係の課題を解決するテクノロジー」を指しているかと思います。ただ、フィンテックのような先行した“X-tech”領域と違って、まだテクノロジーを全面に出したソリューションやビジネスが数多く生まれているわけではないですよね?
- 平野
- そうですね、やっと「言葉としては知っている」人が増えてきた段階だと認識しています。同時に、「女性領域のテクノロジー」と捉えてしまうと、発展の可能性をかなり狭めてしまうのかなとも考えています。先行分野との資金調達機会の差や各国のヘルスケアデータ可用性の違いも影響がありますが、単純なテクノロジー起点というよりも、課題にテクノロジーが応えていく領域という方が近しいです。
チーム化の前から3年ほどフェムテックに関して調査や議論をしたり、企業の方々ともお話ししたりする中で、ほかの“X-tech”とは少し違った見方をすべきではないかと感じています。人の心身の健康に関するデータは、デリケートな分、テクノロジーに制約があります。ですが一方で想像以上に広がりがあり、そして課題を捉えていくことを通して、生物学的な女性に限らず誰にでも関係のある市場が生まれそうだという実感があります。
――なるほど、今回はそうしたフェムテックならではの観点を踏まえて、理解を深めていけたらと思います。「大広フェムテック・フェムケアラボ」では、すでにクライアントへの具体的な支援も進んでいるのですか?
- 大谷
- はい。ヘルスケア関連のBtoC企業が中心ですが、ほかにもスキンケアやファッション関連の企業もあります。日によって肌の調子が違うので、それを加味したスキンケアだとか、ファッションでは吸水ショーツが代表的なプロダクトですね。フェムテック領域の知見があるかどうかで、やはり顧客理解に差が出て、取り組みの深さが違ってきます。海外では一定の知見を前提に取り組むのが当たり前になっているので、その潮流を日本にどう持ち込むかが直近の課題です。
――では、大広フェムテック・フェムケアラボの成り立ちと現在の活動を教えてください。
- 平野
- 大広フェムテック・フェムテックフェムケアラボは、フェムテックに関心がある有志によって2020年に立ち上がったプロジェクトで、翌年6月から全社組織になっています。大広には「成長活動ファンド」という社内R&Dの仕組みがあり、毎年さまざまなプロジェクトが生まれているんです。そのひとつとして、私が大谷に声をかけて2人で起案し、会社に答申したのが始まりです。現在は10名ほどのメンバーで、調査活動やセミナーへの登壇を通じて仲間となってくださる企業の方とお会いしたり、また具体的にクライアント企業からの事業やマーケティング課題でのご相談や、パートナー企業とのプロジェクトでの並走、企業向けのウェビナーやワークショップを担当したりしています。
――2019~2020年あたりだと、まだ日本ではフェムテックという言葉がほとんど広まっていない時期だと思いますが、なぜ着目したのですか?
- 平野
- きっかけは、自分にも周囲にも「もう少しうまく体と付き合って、いい状態で働けないか」という共通の課題意識があったことです。私自身、いくつかの業界で忙しく働く中で婦人科の不調を経験し、申し訳ない気持ちで周囲に話すと「実は私も……」と体験を話してくれる人も思いのほか多くて。話してくれて救われた一方、互いに気付けない状態に驚いたことがあります。
体のこと、特に性別固有の部分を話すのはどこかタブー扱いされやすく見えにくいですが、これだけ多くの女性が長く働くようになった今、不調にもっと早く気付いて解消する選択肢がもっとあってもいいのではないかと思ったんです。
その折に、海外では「フェムテック」という括りで女性のヘルスケアへのアプローチが始まっていることを知り、個人の柔軟な選択を助けるカギになるのではと考えて、掘り下げてみることにしました。同時に、女性だけに閉じることにむしろ違和感があったので、2人目のメンバーには男性に入ってほしいと考えました。
実際、2021年10月に行った調査では、「異性にも知ってほしい」という意見が8割を占めていました。合わせて市場や企業への期待も予想以上に高く、この3年での広がりを感じています。
不調やゆらぎは、女性特有ではない
――大谷さんは、なぜ参加されたのですか?
- 大谷
- 話を聞いたとき、実はちょうど「体と心と仕事」にまつわる課題を調べていました。身内に女性特有の不調がガクッときたときに、男性の自分には全然知識がないなとハッと気づいたことがあって仕事でもヘルスケア領域の案件が多かったので、平野の声掛けに二つ返事で参加しました。
R&Dプロジェクトとしても個人的にも、こうしたテーマの中心に男性がいることが大事だと思ったのも、理由のひとつです。実は、男性にも「更年期」があるんですよ。会社にプロジェクトを答申するとき、相対するのは役員の男性が多かったのですが、そこでその話をすると一気に「なるほど」と前のめりになって、当事者として関心を持ってくれたのを感じました。
――それは見方が変わるかもしれないですね。
- 大谷
- 内科や外科と違って、泌尿器科やメンズクリニックにはちょっと行きにくくないですか、と。女性が婦人科にかかったり、パーソナルな体の悩みを積極的に話したりするのに多少なりとも抵抗があるのがわかりますよね、と話すと理解してもらえた感覚がありましたね。顧客に寄り添う大広としてきちんと知って理解しておきたい領域ですし、そこには社会ニーズとしてのフェムテックがあるはずだと。
――大広フェムテック・フェムケアラボでは「生活者、社会、企業との幸せな循環関係」をテーマに掲げていますが、具体的にどういうことでしょうか?
- 大谷
- 生活者の課題や社会の要請を踏まえて、では企業がどのようにビジネスに転換できるかを模索していく。それによって、三方の間に好循環を生み出すことを目指しています。例えば「AIをどう生かすか」などと、技術を起点にビジネスを興す方向性とはまったく逆ですね。フェムテックは技術ではなく、顧客ファースト。もともと、個々人の課題に根差した社会の要請ありきで模索が始まった領域なので、それを前提に自社ができることを考えるという順番を守れば、ビジネスとして成立する……というのが僕らのチームのスタンスです。
周囲から「ソリューションやアプリはないんですか」と聞かれることも多いですが、何が最適解か、いくつもの選択肢の中から自社のお客様と一緒に探していく領域なので、画一的な解決策はないと思っています。一応、市場規模は年間2兆円と推計(※)されていますが、そこから入ると顧客が見えないし、自社の良さも生かせません。企業のアセットを、今の時代の流れにマッチさせて生かせるよう、アシストできればと考えています。
※出典:令和2年度産業経済研究委託事業働き⽅、暮らし⽅のあり⽅が将来の⽇本経済に与える効果と課題に関する調査(フェムテック産業実態調査)報告書(概要版)
https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/R2fy_femtech.pdf
- 平野
- これはフェムテックの領域の取組に限らずですが、新規事業となると、はじめは企業の幹部層も「必要なこと」と賛同しながらも、1年や2年の短いスパンで既存事業のものさしで見て「採算は取れたのか」といわれてしまう風潮も根強いようです。DE&I(Diversity Equity&Inclusion)やSDGsの領域も同じですが、そうした短期的な成果を求める風潮に悩むマーケティング現場や新規事業開発の方々は少なくありません。もちろん収益化を見込みながら、そこに向けたスモールスタートとファクトの積み重ねから広げ、持続可能なビジネスにしていく観点が大事だと思います。
社会から要請されているフェムテック
――なるほど。実際、初年度を経て全社組織化したのは、この領域に大広が寄与できると判断されたからだと思いますが、正式な活動になってからの変化はありましたか?
- 平野
- 社内に対しても外部に対しても、やはり存在感が増したと思います。活動をすればするほど「知る前には戻れない」実感があります。
例えばDE&I(Diversity Equity&Inclusion)の話題が社内で当たり前になると、これまでは普通に使っていた「嫁」や「主人」といった言葉にも、違和感を持つようになったりします。メディアの記事でも、旦那さん、奥さんではなく「パートナー」と表現されることが増えていると思います。
それと同じようにフェムテック領域でも、調査や議論を重ねて社内にシェアしていくうちに、少しずつ感覚が底上げされてきています。前述の調査で、体や心に起こる不調は本当に人それぞれだとわかったのですが、これを前提にすると、画一的な提案が有効だとはとても思えないですよね。
例えば、フェムテックの主な領域も、月経や妊娠といった項目だけではなく、男性と同じ健康課題でも女性には違う傾向が出るカテゴリーなども入ってきます。
体のそれぞれの働きが複合的に関係し、多種多様な不定愁訴や自覚症状が生まれます。
PMSと更年期で同じ自覚症状で悩んでいたり、「のぼせ」と「冷え性」といった真逆に聞こえることが同じ人に起きたり、感じている課題が十人十色だという前提が必要になります。
つまり、これまでの常識や、生活者に向き合うときの姿勢がアップデートされる。するとフェムテックに直接関係がない案件でも、クライアントへの提案の切り口やクリエイティブのアウトプットが変わってきます。そして、その先にいる顧客や生活者の方々が本当に求める価値ある商品やサービスをお届けできると思います。
――姿勢がアップデートされる、という意味での「戻れない」なんですね。
- 大谷
- 僕らがクライアント企業の方々と、ワークショップやディスカッションをさせていただくことで、皆さんの意識がありありと変わっていくのも感じます。最初は、新たなバズワードでどういうビジネスができるかという思考の方もいますが、次第に「女性だけの問題ではない、他人事ではない」「これは社会課題だ」「何とかしなければ」という実感の伴った空気が高まる。ご自身が今現在は不調を抱えていなくても、当事者意識を持って、顧客に向き合えるようになります。この「当事者意識」が、すごく大事だと思います。
実際のクライアント案件でも、当事者意識を持ってもらったことで、調査データなどだけで判断せず、ユーザーインタビューを入れた事例がありました。データではこうだけれど、本当にそうなのかと。結果、個々人の生の意見からインサイトを発見でき、より顧客のニーズを汲んだ展開になっています。
――先の調査で、ほかに特筆すべきことはありましたか?
- 大谷
- 年代による差が顕著でした。例えば家族間で体の不調を理解し、いたわり合いたいというスコアは、年齢が若いほど高く出ていました。さらに家族に限らず、性別にもかかわらず、お互いにいたわり合える環境づくりが大事だと答えた人も、若い人ほど多かったです。
- 平野
- 自分の体のことを周囲にオープンにするかというとピンとこないかもしれませんが、実は直近のワクチン接種ではまさに「オープンにする」状況が起きていたんですよね。「副反応つらかったね」とか、「明日2回目を打つので、あさっては使い物にならないかも」などを周囲に話していましたよね?
――たしかに! これも個人差が大きい、自分の体にまつわる情報でしたね。
- 平野
- そうです。そしてチームのメンバーの好調・不調がわかることが、生産性にプラスでもあると思います。具合の悪さや不安を押して会議をするより、差し支えない範囲で変更したほうがいい。こうしたことを、若い人たちは感覚的にわかっています。一方、上の年代の方々への理解には、まずはファクトを積み重ねていくことが有効だと思います。
フェムテック領域ならではの“データドリブン”とは
――平野さんは冒頭で「ほかの“X-tech”とは少し違った見方をすべきでは」とおっしゃいましたが、具体的にフィンテックなどとどういった部分で異なっているとお考えですか?
- 平野
- ビジネスにおけるテクノロジーの活用で、ひと昔前と違うところは、さまざまな情報が可視化され、それをもとに新しい価値を生み出せるようになったことだと思います。実際、フィンテックなども膨大で多様なデータを活用し、効率化や価値創造がなされています。
一方、フェムテック特有なのは、そのデータというのが「人の体と心」に関することで、「感情」と切り離せない点です。ビジネス視点で「フェムテックに取り組もう」とするのではなく、自分たちの生活をアップデートするのに、自社の知見や技術がどう活かせるかを考えていくのが大事になる……というのが私たちの考えです。
特に日本では、自分のデータ、つまり個人情報が取り扱われることに一定の心理的なハードルがありますよね。だから一層、データ取得は呼びかけの文言ひとつひとつ、丁寧にする必要があります。
――データの扱い方にも、注意すべき点がありますか?
- 平野
- そうですね。取得時に加えて、分析時、またデータ活用のアウトプットにも、ポイントがあると思います。
データから何を読み取るかという分析では、例えばクライアント企業の方々への意識調査で、「1カ月に1日以上、体調が悪いと感じる日がある」という項目が一般の方のスコアより多かった場合、まるでブラック企業のようにも見えますよね。
――たしかに。
- 平野
- ですがヒアリングをすると、ヘルスケア商品に携わっているから、自分の体調変化にも気づきやすいことが浮かび上がりました。この感受性こそ、企業の強みだったりします。数字の読み解きと、データだけでは読み取れない部分の融合を意識することが、フェムテックのデータドリブンのあり方だと思います。
さらに、データに基づいた顧客へのアウトプットを「自分が選んだ」「自分に合っている」と思えるようにすることも、重要な観点です。体にまつわることは十人十色、100人いれば100通りなのに、このタイプならこの薬、とラベリングされるのは抵抗感もある。その意味でも、実際にはその悩みを持っていなくても「当事者」の意識で共感し、寄り添うことが大事だと思います。
- 大谷
- “テック”にはそもそも、データを取得するテックと、常に進化し続けるβ版という意味でのテックの2種類があると思います。後者は、顧客の体の変化にちゃんと呼応することが不可欠です。自社のお客様の声をしっかりと聴きながら、プロダクトやサービスを磨いていく、そのプロセス自体が、今まさに広がりつつある日本のフェムテックのあり方なのだろうと考えています。
ほかの“X-tech”よりも、どちらかというと“ウェルビーイング”の概念に近いですね。顧客との向き合い方が違うから、データとの向き合い方も違う。どうしたら、一人ひとりが不調を軽減できるか。その解消に、企業のアセットがどう役立つか。結果として、健全に働けるとか、よりよく生きられるようになることがこの領域の目指すところです。
そして顧客理解に関しては、事業会社よりも広告会社のほうが長けている部分もあります。ユーザーインタビューでのインサイトの探り方なども、そのひとつですね。それが僕らに期待されている部分であり、貢献できることでもあると思っています。
“フェムテック”という言葉がなくなる世界
――最後に、今後の展望をうかがえますか?
- 平野
- 2021→2022年は、言葉や市場性は知っている人が増えたフェーズでしたが、2023年以降は、本腰を入れ浸透させていくような取り組みは増えそうです。
フェムテックでは顧客理解が不可欠ですし、企業の側では年代を超えて意見を聞く土壌も必要です。その観点も含めて、体の不調に向き合おうとしている企業に引き続き並走していきます。
さらに、ひとつの方法や技術で解決できる課題は少ないので、データ活用や画像認識など、複数のプレーヤーが入ってくれないと困る領域でもあります。中長期的には、企業がアセットを出し合ってともに進める座組もつくりたいですし、自社の事業として、フェムテックの先にある「性別固有のヘルスケア」や「ジェンダード・イノベーション」で社会に役立つことも視野に入れて、活動を続けていきます。
- 大谷
- 人を見ずにビジネスばかりを追いかけるのは、フェムテックだけでなく、もうどの領域や市場でも持続可能性が厳しい時代になってきていると思います。特にフェムテックでは、顧客との対話が大事です。対話した結果、提案されるものは、顧客に受け入れられやすいですし、LTVも上がる。結果、ビジネスの成果もついてくるはずです。
また、女性に限らず、体の不調は誰にでも関係がある悩みです。個々人に向き合うフェムテック領域の模索が発展すれば、やがて“フェムテック”という言葉自体がなくなって、それぞれが自分の心身に向き合うことを企業が手助けするビジネスが増えていくのでは。そのためにも、なにかと我慢しがちな男性の意識も変わっていくといいですよね。生物学的、社会的な男性女性を問わず、また上の年代の方々も含めてフェムテックへの理解や実践が進むよう促して、近い将来には皆が当事者として向き合える一助に僕らがなれたらと思います。
この記事はいかがでしたか?
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大広フェムテック・フェムケアラボ チーフプロジェクトマネージャーPMI「Project Management Professional」保有。
IT企業、事業会社でのWebマスター、商品企画開発、新規事業開発やプロジェクトマネジメント等を経て2019年より大広所属。「大広フェムテック・フェムケアラボ」では、女性のウェルネスやヘルスケアに取り組む企業の事業開発・コミュニケーション支援、ワークショップでの社内浸透支援、リサーチ等に携わっている。
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大広フェムテック・フェムケアラボ2013年株式会社大広入社。ヘルスケア・D2C領域を中心に、顧客関係構築や価値創造に軸足を置いたマーケティング戦略構築に従事。新規事業開発・コーポレートブランデイングなど幅広く経験。株式会社Hakuhodo DY Matrixに出向しながら、2021年に大広フェムテック・フェムケアラボを共同起案。性別の垣根を越えて「生きやすい社会」を実現すべく、サステナブルなマーケティング戦略の設計・実行支援を行う。JAAA主催「Innovative Communication Award」第1-2回大賞、第3-4回審査員。