幸せな人生の後半戦を支える「エイジテック」とは? ―Vol.2 : 池野文昭(医師/スタンフォード大学 主任研究員)
高齢化社会の課題を解決するテクノロジー「エイジテック」の最前線を各領域のリーダー達にインタビュー。喜びや幸せを運ぶエイジテックとは何かを紐解いていく本連載。第二回は、日本の僻地医療の現場からシリコンバレーに渡り、これまで200社を超える医療ベンチャーの研究や開発に関わってきた池野文昭氏に、博報堂シニアビジネスフォース 新しい大人文化研究所(以降、新大人研)の安並まりやと桟敷北斗がお話を伺いました。
<イスラエルを拠点に活動するエイジテック研究者のケレン・エトキン氏にお話を伺ったVol.1はこちら>
高齢化率40%。“未来の日本”を疑似体験した僻地医療
- 安並
- 池野さんは日本で僻地医療に携わった後、スタンフォード大学で医療機器ベンチャーの研究開発に関わっていらっしゃいますが、それまでの経緯など教えていただけますか?
- 池野
- 僕は1967年、静岡県の浜松生まれで、高校を卒業してから自治医科大学の医学部に通って医師になりました。自治医科大学というのは、都道府県がお金を出して大学運営をしていて、学費が0円なんですね。卒業してから地元に戻って9年間公立病院で働けば授業料がチャラになるという制度。それほど余裕のある家庭ではなかったので、自治医科大学を選んだのですが、この大学の一番のアピールポイントが僻地医療ができるということなんです。ネガティブに言えば、9年のうち4年間は僻地医療を“しなければならない”。僕も5年間総合病院で研修をした後、30歳で静岡県の山間の小さな病院に赴任しました。
はじめは本当につらかったですね。医師として脂の乗ってくる時期に、4年も先端医療から遠く離れた環境に身を置くことが不安でしかたなかった。でも、おじいちゃん、おばあちゃんと触れ合うなかで、だんだん楽しさを覚えるようになってきて。往診に行ったとき子供たちの勉強をみてあげたり、人と人が接する、地域に根ざした医療を味わうことができたのは目から鱗の体験でした。
正直、こんな僻地で何をやっているんだろう…と苦しんだこともありましたが、あるとき思ったんです。僕が赴任していた地域は、当時すでに65歳以上の人口が占める高齢化率が40%。この数字、2040年とか50年とか、将来の日本の高齢化率なんじゃないか、と。自分はひょっとすると、未来の日本で医療をしているのかもしれない。そう気づいたことでモチベーションも大きく変わりましたし、日本の将来を切実に考えるきっかけになりました。
- 安並
- そういった僻地での鮮烈な体験があってシリコンバレーに行かれた?
- 池野
- それが、僕シリコンバレーって全然知らなかったんですよ。行く直前までスタンフォード大学すら知らなかった(笑)。公務員としての9年間が終わるとき、静岡県内の病院に就職することが決まっていたのですが、その前に世界的に有名な「豊橋ハートセンター」という病院に見学に行かせてもらったんです。そのとき鈴木孝彦院長に「9年終わったら何をするんだ」ときかれて。また地域医療に戻ると言ったら「9年国のために働いて、本当にほかにやりたいことはないのか」と言われ、「一度海外に行ってみたい」と答えたのがきっかけ。それで紹介してくださったのがスタンフォード大学だったんです。
スタートアップとの研究開発と、日米をつなぐ活動に奔走
- 安並
- すごいエピソードですね。スタンフォードでは具体的にどんなことをされていたのですか?
- 池野
- シリコンバレーはスタートアップの中心地。そこで、ベンチャー企業とともに新しい医療機器を開発する研修室に入りました。実際にやっていたのは、豚を使った心臓カテーテル治療の実験です。それをひたすらにやっていましたね。スタートアップのエンジニアたちと毎日毎日(笑)。
- 安並
- いまでは医療機器分野の起業家養成講座で教鞭をとられていらっしゃいますよね?
- 池野
- 僕みたいなジャパニーズイングリッシュで、アメリカの教育も受けていない人間が、スタンフォードの教壇に立つなんて普通では考えられないですよ。ただ、僕に唯一強みがあるとしたら、ユニークネスがあるということ。僕のユニークネスは、ひとつが豚を使った実験ができるということ。もうひとつが、日本語が話せる、日本のことがわかるということ。それに尽きます。日本の医療や社会システムを理解して、日米を橋渡しする仕事を数多くやってきたので、その活動が少しずつ認められたということではないでしょうか。
- 安並
- 医療機器市場をみると、日本はアメリカに次いで世界第2位ということですが、シリコンバレーからみても魅力的な市場なのでしょうか?
- 池野
- アメリカが断然トップの約45%で、その次が約9~10%の日本。魅力的な市場ではありますが、本当に市場価値が高かったのはバブルの頃で、いまはGDP成長率も決して高くない。高齢化社会になってエイジテックがくるといっても、高齢者向けのテクノロジーにそれほど高い単価がつけられるとは考えにくいですよね。75歳で年収1000万円なんていう人もそんなにいないだろうし、じゃあ子どもが払ってくれるかといえば出生率も1.3くらい。この先どうなっていくのだろうという不安はあります。
高齢者が“社会とつながる”ためのエイジテックを
- 安並
- 近年日本でも活躍寿命を延ばすという議論が盛んになっていますよね。60・70代の方とお話をしていると、働きたいけれど自分の経験を活かしたポストが見つからないと悩んでいる方も多く、日本で起業する人の3人に1人は65歳以上という数字も出ています。高齢になっても働きたいという意欲のある方に対して、テクノロジーはどのように寄与していけるでしょうか?
- 池野
- 日本の健康寿命の長さは、ここ数年を平均しても世界トップ。これは大変誇らしいことです。やはり人間、人の役に立って、感謝されることがいちばんの生きがいになるわけですから、健康で働ける時間を少しでも長く保つことが重要だと思います。
いま注目していただきたい医学用語に「フレイル」という言葉があるのですが、これは英語の「Frailty(フレイルティ)」を語源とした和製英語。健康な状態と要介護の状態の間のことを指す言葉です。要介護の状態までいってしまうと元に戻ることはむずかしいですが、フレイルの状態であれば早めの対処で健康な状態に戻すことができる。この「フレイルの予防」と、「フレイル状態から健康状態に戻す」という2つのポイントでテクノロジーに期待できることがあると思います。
- 安並
- フレイルについてもう少し詳しくうかがえますか?
- 池野
- フレイルには3つの種類があります。ひとつめが、筋肉が落ちることで身体機能が低下する「身体的フレイル」。次が、記憶力の低下などで抑うつ状態になるような「精神的フレイル」。さいごが、社会とのつながりが薄くなることによる「社会的フレイル」。これら3つは独立して起こるものではなく、すべてが深く関係しているんです。
たとえば、二人暮らしの老夫婦のうち、おばあさんが突然亡くなってしまったとしましょう。話し相手がいなくなることで言葉数が減り、口の筋肉も弱っていく。テレビをボーッと眺めている時間が増えて、受動的な刺激ばかりなので脳が衰えていく。近所に友達もなく、出歩くことも少なくなって足腰の筋力も弱っていく。タンパク質を摂れば復活する筋力も、口のまわりが弱くなっているからうまく食べられない…。こんなふうに複雑に関連して、気がつくと要介護まで進行してしまうということが少なくありません。
日本には技術があるので、手足が動かなくなってしまった人をサポートするようなロボットは得意なんです。でも、根本的に要介護にさせないための一手が重要。
家の中で筋力を保つためのテクノロジーでもいいし、タンパク質を摂るためのフレイル予防弁当宅配サービスでもいい。ARやVRの技術を使って誰かとコミュニケーションを取れるようにしてもいいし、それだけだと出かけなくなっちゃうから、歩けば歩くほどポイントが貯まる万歩計連動のサービスをつくるとか。 テクノロジーだから機械を使わなきゃいけないなんてことはなくて、大事なのは社会とのつながりを保つこと。意外と泥臭いことだったりするんです。
すべてのテクノロジーはニーズドリブン、人間中心であるべき
- 安並
- そういった人と人とのつながりにテクノロジーが寄与できるということですね。
- 池野
- そのとき非常に大切なことが、ニーズドリブンであること。日本は伝統的にテクノロジー・プッシュなんですね。AR・VRの技術があるからこれを高齢化の問題に使おう、じゃだめ。やはり人間中心でないといけないというのが原点だと思います。その技術をどこに使うか考えるとき、アメリカではニーズマップから描きます。
- 安並
- スタンフォードの起業プログラムでもそういったプロセスを重視しているのでしょうか?
- 池野
- 高齢化社会のニーズを見つけたいのであれば、まず現場に行って観察することが重要。いわゆるデザインシンキングですね。ユーザーがまだ気づいていないニーズを、開発者自ら現場に行って見つけ出す。それは徹底的にやります。医療機器であれば病院に行くわけです。座学ではなく実践的なプログラムになっています。
そして、ひとつの開発チームにはエンジニアだけでなく、医者もいるし、文系の人間もいる。みんなが同じ専門性だと、ありきたりのアイデアしか出てこないんです。
日本の大学は文系・理系と分かれているけど、僕はそこから壊していきたい。医療は理系だから文系は関係ないってことではなく、いま日本に足りないのはエンジニアじゃなくて商品化していく人。文系の脳みそこそ、いまの医療機器メーカーに足りない部分だし、それこそが人の命を救うんだということを強く訴えたいです。
- 安並
- ニーズドリブンの重要性について日本で理解が深まらないのはなぜなのでしょう?
- 池野
- やはりメーカーだとエンジニア主導になってしまって、マーケティングの視点が欠けてしまうのかもしれません。いまある技術をどう使うか、もそうですし、人間の生活をサポートするテクノロジーの場合、国ごとに生活文化に合わせた最適化が必要なわけですね。たとえば日本で成功したエイジテックがあったとして、それを欧米にもっていくときはまったく同じものを転用することはできない。生活スタイルや文化にフィットさせなければ、受け入れられないからです。そういうときに必要なのがデザインシンキングであり、博報堂も大事にされている「生活者発想」なんだと思います。
- 桟敷
- 非常に参考になりました。さいごに、僻地医療をされているとき未来の日本で医療をしているようだったとおっしゃっていましたが、そのとき将来に“希望”を感じたできごとがあれば教えてください。
- 池野
- 正直、できれば未来の日本はこうなってほしくないと思いながら医療をしていました。でも、いちばんよかったのは、医療従事者と患者の目線が極めて近い、人間中心の医療ができたということです。それは高齢化だからということではなく、田舎だったからなのかもしれません。
田舎ってもちろん住みづらくもあるんですが、密なコミュニティがあるからこその居心地のよさがたしかにある。日本も高齢化が進むと、一人ひとりの行動範囲が狭くなるので、都会に暮らしていてもいわゆる田舎と同じような状態が起こり得ると思っています。そのとき、いいコミュニティづくりができていれば人生が豊かになるし、孤独死みたいなこともなくなるはず。僕がいま住んでいるのはスタンフォードから車で40分くらいの田舎町なんですが、みんな近所付き合いがあるし、近所で病人が出たり火事が起きたらお互いに助け合う関係性ができています。僕もそのコミュニティの一部であるという実感がもてて、そういう人間らしい生活に希望を感じますね。
30代前半で僻地医療に携わり、“人間”というものに深く関われたことで、僕の人生観は大きく変わりました。もう一回人生を一からやり直せると言われたら、同じように自治医科大学に通って地域医療をやっていると思います。これはいまだから言えること。本当の話です。
【取材後記~池野先生のインタビューを終えて】
お話の内容はもちろんですが、池野先生のお人柄やお仕事に情熱的に取り組まれている姿勢に心動かされました。池野先生とのインタビューから、ふたつの気づきがありました。
文系(生活者ニーズ)/理系(テクノロジー)の越境
前回のインタビューでも挙がっていましたが、シニアに本当に使われるテクノロジーをつくるには、生活者のニーズに基づいて設計されることは必須です。「必要なのはエンジニア(理系)のみでなくマーケティング(文系)」ともおっしゃっていましたが、生活者サイドとテクノロジーサイドがそれぞれ越境できるチームビルディングや組織づくりが、使えるエイジテックを開発するにおいて大事であることに改めて気づかされました。
エイジテック×コミュニティ
僻地の密なコミュニティは人生を豊かにするし、シニアにとって必要なことだとお話されていました。今までこのようなコミュニティは限られた環境でのみ叶うことでしたが、これからはテクノロジーによって容易にコミュニティが作ることができる可能性が高まると思いました。同窓会等、今まで関係性の継続、趣味等共通の目的を叶えるコミュニティ、さらには助けが必要な人と仕事が必要な人をマッチングさせる相互扶助型コミュニティ等、歳を重ねるほど、オンラインでのコミュニティニーズが多様化し、一層活用されていくのではないでしょうか。
新大人研ではシニアのコミュニティに着目し、調査・研究を行っています。シニアコミュニティ運営の経験や、生活者とのワークショップ等を通じて2つほど気づきがあったのでご紹介します。
・支援付与ではなく役割付与:コミュニティ形成においてもシニアを社会的弱者として捉え、彼らをどのように支援できるか?という視点で考えがちですが、実は彼らにしかできない役割や仕事を作った方が参加モチベーション喚起において有効です。長めのアンケートにびっしり書いてくださっている方に話を聞いたところ、自分の意見や考えが世の中の為になることがうれしいとお話されていました。
・多世代交流:ワークショップで高齢者の方々に好評のセッションは、弊社若手社員や学生を混ぜたセッションです。ひとつのテーマで世代による意見の違いや経験を分かち合ってもらうのですが、高齢者だけでなく若手にとっても楽しいようです。コミュニティと言えば世代で分けて考えがちですが、多世代で交流できる仕組みづくりも参加モチベーションを喚起する切り口となりそうです。
~次回以降もエイジテックの現場の方々に様々な観点から、ご意見を聞いていきます。ご期待ください。
この記事はいかがでしたか?
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池野 文昭医師/スタンフォード大学 主任研究員1992年、自治医科大学卒業。
静岡県内で地域医療に従事し、2001年に米国スタンフォード大学に留学。2013年、国内でMedVenture Partners, Inc を起業。2015年、Stanford Byer Center for Biodesignのジャパンバイオデザインのプログラムディレクター(US) に就任し現在に至る。
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博報堂シニアビジネスフォース 新しい大人文化研究所所長2004年博報堂入社。ストラテジックプラナーとしてトイレタリー、食品、自動車、住宅・人材サービス等、さまざまな業種のマーケティング・コミュニケーション業務に携わる。15年より新大人研のマーケティングプラナー兼研究員として、シニアをターゲットとしたプラニングや消費行動の研究に従事。19年5月、当研究所所長に就任。共著に『イケてる大人イケてない大人―シニア市場から「新大人市場」へ―』(光文社新書)
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博報堂シニアビジネスフォース 新しい大人文化研究所 研究員2014年博報堂入社。メディアプラナーとして、飲料、ヘアケア、製薬を中心に、アクチュアルデータ解析を起点としたメディア投資戦略を立案。21年4月から、博報堂ブランド・イノベーションデザインに所属。ストラテジックプラナーとして、パーパス策定、コミュニケーション開発を軸に、ブランディングを推進。21年12月、新大人研に参画。