
AIエージェント時代到来 求められる人間中心のITの姿
業界をリードするトップ人材と語り合うシリーズ対談「Human-Centered AI Insights」。
今回は、「AIエージェント時代」における人間中心のITの在り方をテーマに、ITを活用した業務変革に取り組むかんぽ生命 執行役員 早瀬 千善氏、AIを活用したソリューション提供で注目を集めるTokyoTechies CEO ドバ・ドゥック氏、そして博報堂DYホールディングス執行役員CAIO森正弥が鼎談を行った。
3名それぞれの視点から、現状のAIの課題と可能性、そして未来のIT開発に求められる「人間らしさ」の本質を深慮する。
顧客のCXだけでなく従業員のESの向上も見据えた取り組み
- 森
- まずは、早瀬さん・ドゥックさんの現在の役割や取り組みについてお聞かせください。
- 早瀬
- 執行役員IT企画部・管理部・DX戦略部の執行役補佐として、プロジェクトレビュー、働き方変革などを担当しています。
- ドゥック
- 当社は課題解決提案と開発を行う、ワンストップ型のITコンサルティングサービスを提供しています。ものづくりはもちろんですが、企画構想やRFP作成支援、ベンダー選定支援までをサポートしています。
- 森
- かんぽ生命ではどのようにデジタル活用を進めているのでしょうか?
- 早瀬
- 当社は古いレガシーシステムも多く抱えているのですが、ここ3~4年ではお客さまの体験を良くする、いわゆるCX(カスタマーエクスペリエンス)を向上させていくための活動が進んでいます。一例としては、保険の申込書類などの多くは紙に記入していただいていましたが、リモートワークも浸透し、お客さまもデジタルを利用することが普通のこととなると、紙に書いてもらうのは手間だと感じる方が増えますよね。これまでのやり方はお客さまのCXに改善の余地があったといえるでしょう。
- 森
- デジタル活用によりどのような効果が見られますか?
- 早瀬
- 保険ビジネスでは、保険料をお預かりし、保険金をお支払いするというのが最も基本であり重要なサービスです。これまでお客さまからご連絡を受けてから保険金をお支払いするまでには一定の日数がかかっていましたが、手続きがデジタル化されたことで、最短で翌営業日に保険金をお支払いすることが可能となりました。当社のコアビジネスでのサービス内容の向上により、お客さまからの満足度も上がった一つの事例であると思います。
- 早瀬
- さらに、従業員の満足度向上という観点でも効果が見られます。当社では定期的にES(エンゲージメントスコア)を社員アンケートに基づいて算出しているのですが、デジタル活用で業務負荷が低減する等、その数値が向上しました。もちろん、これはデジタル化の効果だけではないと思いますが、デジタル化により従業員の満足度向上にもつながっていると言えるのではないでしょうか。お客さまだけでなく社内の従業員も含め、システムが使いやすくなった、便利になったという効果を図るためには、まず満足度を把握することは重要であると思います。
- 森
- 我々はクライアント企業だけでなく、そのお客さまである“生活者”の視点も大切にしていますが、生活者は、消費者であるだけでなく、働き手であり、親や子であり、学び手でもあるなど、多様な役割を担っていると考えています。そうした一人ひとりのリアルな姿を理解することで、デジタル活用やマーケティングも、より人間らしい方向に進められると考えています。
効果測定の難しさと全体最適化の必要性
- 森
- デジタル活用、さらにはAI活用を進めるにあたって、従来のITシステム構築と比べて効果を測定する上での難しさはあるのでしょうか?
- ドゥック
- 最近はアジャイル型の導入も進みつつありますが、日本のITシステム構築のプロセスはどうしてもハイブリッド型で、きちんと要件定義をして、企画通りにやらないと危険だと捉えられています。AI導入も同様で、やはりコンサバティブな考え方がありますね。
「このAIを導入することでどのような効果があるのか」「ROIを測定できるのか」というのはよくお客さまから聞かれる言葉です。特に将来性のあるAIや技術的に早い段階のAIにおいては、導入効果を図るのが難しいかなと思います。
- 森
- おっしゃるとおりですね。AIはボトムアップ的な要素が大きく、どの企業でもエンジニアや現場のマネージャーがすでにさまざまなことを試しているという現状があると思います。現場がどのようにAIを利用していて、実際にどの程度の効果が出ているかを集め、レポートをまとめていく必要があります。それに加えて、当社では、AI活用の相談を受ける機会も増えていますが、効果やROIの説明と、期待を超える提案が求められています。
- 早瀬
- 確かに投資対効果も大切な側面です。例えば、この施策でどれぐらい契約が増えたのかだとか、単純作業を減少させたことにより、クリエイティブな時間がどれだけ増やせたか、といった効果測定です。予算等の制約により、開発したい案件の半分しか実行できないとした場合に、選定した案件が高い効果をもたらしたのか、逆に却下された案件は定性的な効果も含めて劣後していたのかなど、一定の精度で見ていく必要があります。
- ドゥック
- 測定が難しいという意味では、エンジニアの満足度も計測が難しいです。
確かに会社や経営にとってはこの50件をやった方が正しいというのはありますが、その案件のほとんどがレガシーシステムのメンテナンスだった場合、エンジニアのモチベーションは保ちにくいといえます。
- 森
- 我々もAIの活用で同じような悩みがありますね。たとえば個々のプロジェクトの生産性について、エンジニアの満足度も重要な要素ですが、おっしゃる通り、プロジェクトがビジネスのKPIにどう貢献しているかの測定も同様ですね。それに加えて、全体を見たときにそれが最適化なのかというポートフォリオの議論があります。これら3つの視点がやはり必要ですが、これらをつなぎ合わせて考えるのは難しいといえるでしょう。たとえば生産性もよく、ビジネスにも貢献しているものの、企業として全体最適化はできていない、といったケースもあります。
- 早瀬
- ITの投資対効果を高めるためには、ビジネス視点も必要ですが全体最適化に関して言えば、プラットフォームによる共通化を図る場合には、横のつながりも必要です。全体最適と個別最適では、バランスをとることが難しいケースもあり、非常に悩ましいポイントです。
- 森
- まさにその通りで、現場で個別に導入を検討する動きが強いと、結果として縦割り構造が強化され、いわゆる“サイロ化”が進行してしまうという逆説的な状況があると感じています。
個別導入でシステムのサイロ化が起きると、データもどうしてもサイロ化されていきます。データの基盤をどう構築し、どのようにデータ活用を進めていくかを整理し、ノウハウのサイロ化まで起こさないように全体をマネジメントしていくことが大切ですね。
AIエージェントの進化と人の介在の必要性
- 森
- 続いてAIエージェントについてお話できればと思います。
AIエージェントはある程度厳格に指示しなくても、自然言語でオーダーを与えることで自ら調べ、自ら計画を立てて、実行のためのリソースを集めて、場合によっては最終的なアウトプットも作ります。早瀬さんは、AIエージェントはまずどのようなところから使われていくと見ていますか?
- 早瀬
- 保険事業は金銭を取り扱うものであり、公共性・社会的責任のあるビジネスです。ハルシネーションなどAIの誤りが許されにくいといえるでしょう。誤りの許容度をどのように決めていくかにもよりますが、仮に一つもミスをしてはいけないということであれば、コア業務にはなかなか適用しにくいのではないでしょうか。一方で、金銭に直接は関係しない周辺業務や、責任がある業務でも人がきちんと確認するといった制約下であれば、AIエージェントを活用できる領域はあると思います。
- 森
- 自動化や効率化で価値を発揮しやすいが、どう責任ある業務で使われていくかということですね。責任ある業務というところでいきますと、先ほど早瀬さんがおっしゃったCXの重要性と同じで、我々もクライアント企業と生活者の間をつないでいくような、一歩進んだAIエージェントが必要になっていくとは期待しています。たとえば、クライアント企業が生活者の理解を深められる、ペルソナとして振る舞うAIエージェントだったり、あるいは生活者が企業の理解を深められる、企業やブランドのパーパス、フィロソフィーを学んだAIエージェントによる接客のイメージです。ドゥックさん、システム開発の領域でのAIエージェントの活用はどう見ますか?
- ドゥック
- これまで「エンジニアはコードを書いているときに分からないことをAIに聞く」という使い方だったのが、ここ数ヶ月ぐらいで「AIが作成したコードをエンジニアが時々直す」という使い方に変わっている印象があります。ひとつの山を越えたのではないでしょうか。
恐ろしいのは、シニアクラスのエンジニアであればAIの誤りを自分で判断できるのですが、新卒やジュニアクラスのエンジニアは難しいということです。
よく分からないままAIに投げて仕事を終わらせるのは危険だなと思っています。
- 早瀬
- もしかするとAIがシステム開発で求められるテストまで実施できるようになるとすれば、「テストを通ったコードであり信頼できる」、という判断とすることも考えられます。AIが高度で複雑なコードを生成し、人はその内容が分からないかも知れないけれども、要件に対して設定したテストをクリアしているので品質は担保されていると考えて受け入れるということですね。
すぐにそのような世界は来ないかもしれませんが、それが実現したと仮定すると、人の役割は要件をきちんと定め、テストが適切な範囲をカバーできているかをチェックする、といったことになるのではないでしょうか。
- 森
- これは重要なポイントですね。これまでシステム開発においては、開発やテストに時間を取られることが予想されるがゆえに、要件定義に十分な時間をかけられないというケースも少なくありませんでした。開発やテストをAIに任せられれば、要件定義に十分な時間を割けます。
時間をかけてお客さまと会話をし、良いシステムを作れるようになるのではないでしょうか。
お二人のお話を伺っていく中で、やはり、AIエージェントの活用においても人間の介在は不可欠ということでしょうか?
- ドゥック
- AIエージェントが自動的にアクションを起こしたとしても人間の介在は不可欠だと思っています。システムインテグレーターとしては、人間が介在するインターフェースを作らないといけないですね。たとえば、当社が支援したあるサポートセンターの自動化案件では、全業務の80%まで自動化を達成できたのですが、お客さまの要望として「対応履歴を確認し、自分たちが望ましいと思う回答に更新できること」というものがあり、実際に私たちはそのような機能を実装しました。性能を上げていくことも大切ですが、人間がチェックできる仕組みを作らないと、そもそもAIを活用することは難しいといえます。
- 森
- ヒューマン・イン・ザ・ループという言葉があります。これはもともと機械学習の言葉で、機械学習モデルを運用するためにはデータのラベリングや品質チェックなど人間が介在した形でループを作る必要があるという意味です。
一方で、AIエージェントにおいてはこのループがより広くなっていくのではないか。ドゥックさんのおっしゃるとおり、人間がどのように介在するかというところをデザインしていく必要がありますね。そうなると、人間の介在価値は全体最適を見ていくところになっていくのでしょうか?
- 早瀬
- そうかもしれません。すべての領域をIT化するのは現実的ではなく、今後も取捨選択が必要でしょう。どこをデジタル化し、どのAIを活用するかは、やはり人の判断が必要になってくると思います。
- ドゥック
- テストまで自動化できれば人間の関わりは薄くなりますが、UXの向上という観点ではまだまだ難しいかもしれません。人間は同じものを見ても、かっこいいと思うかイマイチと思うか、人によって全く違う意見を持つこともあります。AIに対して期待はありますが、ここまでたどり着くためにはもう少し時間がかかると思います。
今後の期待と展望
- 森
- 最後に、本日の鼎談を踏まえ、今後の展望についてもお伺いできますでしょうか?
- 早瀬
- 当社は幅広い地域および年齢層のお客様にご利用いただいています。とりわけ高齢者について、「ITやデジタル技術が苦手である」という先入観を持ちがちですが、現在ではスマートフォンは普及が進むなど、状況は変化しています。そう考えると、お客さまに郵便局まで足を運んでいただくのが良いのか、こちらから訪問すべきなのか、あるいはオンライン対応が適切かなど、さまざまな選択肢があることに気づきます。デジタル化を進める上では、このようなお客様自身の変化も捉えていかなければと考えています。
- ドゥック
- 我々はシステムインテグレーターとしてソリューションを提供していますが、自分たちの業務をいかに楽にするかというだけではなくて、お客さまに自分たちの提供価値を分かりやすく伝えることも工夫するべきだなと思いました。今後弊社は生成AIを活用したSaaSを提供し、頑張っていきたいと思います。
- 森
- 博報堂DYグループでは、「人間中心のAI(HCAI)」というコンセプトを掲げており、人とAIの関係性がどのようにあるべきかを探求しています。今後の人とAIの関係において、あるいは我々のHCAIの取り組みに関して、期待されることは何でしょうか?
- 早瀬
- 人間中心というコンセプトに関して言えば、保険は人間の集まりで生まれたビジネスであり、多くの人が集まることで安心感がより高まっていくという構造があるとも言えます。金融取引がベースにあるとしても、安心といった要素も含めて考えると、「この会社の保険に入ることが安心・幸せにつながる」といった観点でAIを活用することも考えられ、人間中心のAIにつながっていくのではないでしょうか。
- ドゥック
- ぜひHCAIの皆さまには世の中に論文やヒントを発信していただければと思います。
システム開発だけではなくてビジョンも含めて参考にしながら、自分たちのものづくりも改善していきたいですね。
- 森
- 本日はありがとうございました。
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早瀬 千善(はやせ かずよし)氏株式会社かんぽ生命 執行役員
IT管理部・IT企画部・デジタルサービス推進部担当執行役補佐2000年 楽天株式会社へ入社。楽天市場のアプリケーションエンジニアを経て楽天グループシステムインフラ整備に従事したのち、FinTech(金融)セグメントのシステムシナジーを推進。楽天生命株式会社 常務執行役員 兼 楽天株式会社 保険カンパニー CTO。ALAGIN(高度言語情報融合フォーラム)幹事。2021年9月、デジタル庁に入庁し、審議官やデジタル社会共通機能グループ長などを歴任。
2024年09月から株式会社かんぽ生命保険の執行役員IT企画部・IT管理部・DX戦略部の執行役補佐に着任。
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ドバ・ドゥック氏Tokyo Techies株式会社情報通信学部卒業。大学2年時に日本企業AXISSOFTから奨学金を受け、日本語を学び、東京での仕事のオファーを受け来日。ソフトバンク、LINE、楽天など日本大手テクノロジー企業で12年間の豊かな開発経験を持つ。中でもソフトバンクでの6年間では多くの高額案件をマネジメントし、Alibaba Cloudの立ち上げに大きく貢献したキーパーソンとなった。2017年にTokyo Techiesを設立し現職となる。
日本コンピュータビジョンのコンピュータビジョンアーキテクト Information Technology特許取得(楽天)、認定スクラムマスター取得、AWS認定ソリューションアーキテクト-アソシエイト、日本とベトナム初の教育を目的としたハッカソン「Hackademics」を主催。
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博報堂DYホールディングス 執行役員/CAIO
Human-Centered AI Institute代表外資系コンサルティング会社、インターネット企業を経て、グローバルプロフェッショナルファームにてAIおよび先端技術を活用したDX、企業支援、産業支援に従事。東北大学 特任教授、東京大学 協創プラットフォーム開発 顧問、日本ディープラーニング協会 顧問。著訳書に、『ウェブ大変化 パワーシフトの始まり』(近代セールス社)、『グローバルAI活用企業動向調査 第5版』(共訳、デロイト トーマツ社)、『信頼できるAIへのアプローチ』(監訳、共立出版)など多数。