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「モデリング」で世界を捉え人間とAIの共進化と価値共創をめざす(前編)
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「モデリング」で世界を捉え人間とAIの共進化と価値共創をめざす(前編)

博報堂DYホールディングスは2024年4月、AI(人工知能)に関する先端研究機関「Human-Centered AI Institute」(HCAI Institute)を立ち上げた。

HCAI Institute は、生活者と社会を支える基盤となる「人間中心のAI」の実現をビジョンとし、AI に関する先端技術研究に加え、国内外のAI 専門家や研究者、テクノロジー企業やAI スタートアップなどと連携しながら、博報堂DYグループにおけるAI 活用の推進役も担う。

本格的なスタートを切ったHCAI Institute を管掌する、博報堂DYホールディングスのCAIO(Chief AI Officer)である森正弥が、AI 業界をリードするトップ人材と語り合うシリーズ対談を「Human-Centered AI Insights」と題してお届けする。

第4回は、産業技術総合研究所人工知能研究センター首席研究員、人工知能技術コンソーシアム会長、人工知能学会副会長も務める本村陽一氏を迎え、博報堂DYホールディングス、マーケティング・テクノロジー・センター室長兼Human-Centered AI Institute室長の道本龍と共に、AI技術の発展やイノベーションの民主化、人間とAIの関係性について議論した。

本村 陽一氏
産業技術総合研究所人工知能研究センター首席研究員、人工知能技術コンソーシアム会長。
1994年、通産省(現経済産業省)工業技術院電子技術総合研究所入所。1999年 アムステルダム大学招聘研究員を経て2001年より独立行政法人産業技術総合研究所所属。2010年サービス工学研究センター副研究センター長、2015年人工知能研究センター副研究センター長および人工知能技術コンソーシアム会長、2016年より首席研究員。東京工業大学大学院特定教授、神戸大学客員教授、人工知能学会副会長を兼務。主な研究テーマに「次世代人工知能研究(データ知識融合型人工知能、社会現象の確率的モデル化と最適制御)」「ベイジアンネットワークによる不確実性モデリング」「サービス工学における大規模データモデリング」「人間行動モデリングのための確率・統計的手法の研究」がある。

ニューラルネットワークからベイジアンネットワークへ

本村
少年時代からいわゆる「コンピューター大好き人間」でした。家で8ビットCPUをはんだ付けしてボードコンピューターを自作するほどのめり込んでいまして、コンピューターが社会を変える力を持っていると、子どもながらに感じていたんです。その後もどんどんコンピューターに魅了され、コンピューター言語やOSをいろいろと試すということを学生の頃にやっていました。
当時、日本では通産省が10年をかけて進める『第5世代コンピューター』という人工知能プロジェクトが話題になっており、新聞などを通じてその存在を知りました。私はそのプロジェクトに関わりたいという強い思いを抱き、電子技術総合研究所に進むことを決めました。これが私のキャリアのスタートです。

その後、電子技術総合研究所では情報数理研究室でニューラルネットワークの研究に従事しました。データが持つ構造をニューラルネットワークがどのように学習するのかを探る中で、もともと問題に内在する構造を理解することの重要性に気づきました。その流れで、ベイジアンネットワークというモデルに出会い、その可能性に惹かれて1998年、私はベイジアンネットワークの学習アルゴリズムを実装し、グラフ構造を柔軟に変更できるプログラムを開発し、学会で発表しました。

本村先生のキャリアをお聞きしていると、AI技術の発展の歴史との符合に驚きます。
本村
時代にシンクロしたと思います。当時出たばかりのオブジェクト指向言語のJavaで、ベイジアンネットワークの計算モデルを忠実に表現できるため、動的に新しいノードを加えたり、ネットワークの構造を変化させたりしていました。しかし、ベイジアンネットワークを効果的に活用するには、大量のデータが必要です。1998年といえば、Windows98が登場した年です。ようやくインターネットが普及し始めた頃でしたが、家庭でインターネットに接続している人はまだ少数派でした。今でこそビッグデータという言葉は一般的ですが、当時はまだその概念すら浸透しておらず、本格的なビッグデータ時代が到来するのは10年以上も先のことでした。

そのため、いくら高性能なベイジアンネットワークのモデルを構築しても、学習に使えるデータが圧倒的に不足していました。まるで高性能なガソリンを積んだ車を所有していても、走らせるためのサーキットがないようなものです。開発したベイジアンネットワークは、Excelで集計したアンケートデータを分析する程度の用途でしか活用できず、その真価を発揮するには至りませんでした。真のビッグデータ時代が到来するまで、ベイジアンネットワークは眠らせておくしかありませんでした。

そこで、すぐにビッグデータの時代にはならないので、ロボットが人を理解するユーザーモデルの研究にいきました。ロボットがユーザーの意図を推定するためのモデリングという観点です。

なるほど。当時はJavaの普及によりオブジェクト指向も一般的なものとなっていましたが、その前から本村先生はSmalltalkでオブジェクト指向のプログラミングもされていたということで、その観点でもロボットのためのモデリングの研究にも取り組みやすかったのかと想像します。そしてリアルワールドコンピューティングの文脈も踏まえて、ベイジアンネットワークとロボットが組み合わさっていく世界を見すえていたということでしょうか。
本村
おっしゃる通りです。電子技術総合研究所で第5世代の次の国家プロジェクトである「リアルワールドコンピューティングプロジェクト」に参加する形で今のベイジアンネットワークを開発し、さらに第一期のIPA未踏ソフトウェアプロジェクトで完成させました。当初から実社会のコンピューティングというテーマだったので、人や社会の中で動くことを見据えていました。

さらに、もともとニューラルネットが得意だったので、画像認識による文字識別にも取り組んでいました。ベイジアンネットワークで事前分布を学習させておき、ニューラルネットと組み合わせたベイズ推定をするとコンテクストを理解できるという、まさに今の生成AIのアテンションがやっているようなことです。

例えば、画像認識や文字認識の研究よく知られる、「CAT」と「THE」の例を挙げましょう。文字上が少し開いた「A」と、上が狭い「H」は非常によく似ていますが、人はこれが英単語であるという知識と前後の文字によってAとHのどちらなのかを判断できます。ベイジアンネットワークでは、英語辞書からの学習とこの前後の文字情報(文脈情報)を事前分布として利用したベイズ推定で、文字認識の精度を向上させることができます。これは、現在の生成AIがアテンションをトランスフォーマーで学習して文脈を理解する仕組みに通じるものです。

こうした研究を通じて、実社会の情報処理においては、データそのものだけでなく、データが持つ背後の構造、つまりデータ同士の関連性や裏に潜む変数間の相互作用を理解することが非常に重要であるという認識を持つようになりました。

その後、AIは一旦冬の時代を迎えます。この時期に社会で進んでいたのがデータの蓄積です。2008年にサービス工学研究センターで大規模データモデリング研究チームの長になりました。当時はまだビッグデータと言われていなかったので大規模データと名付けました。

当時、工学研究の応用先の多くは製造業でしたが、実社会ではサービス業の重要性が増しており、サービス業の生産性向上は重要な課題となっていました。そこで、これまで温めていたベイジアンネットワークがついに日の目を見ることになります。ID-POSデータ(購買履歴データ)やインターネットのクリック履歴データといった、サービス業で取得できる大規模データが、ベイジアンネットワークの学習対象となったのです。

ベイジアンネットワーク、ニューラルネットをビジネス応用していく可能性は2000年頃から議論が進んだものの、インターネットの普及によりデータが集まって初めて現場での適用が見えてきました。2010年代に入っても適用としてはまずは製造業、特に需要予測のような領域から始まっていたわけですが、その前から本村先生は生活者接点といいますかサービス業での適用を既にやられていたという、その応用の先進性にも感嘆します。現代のAI活用のカバーの広さにもつながる話です。

イノベーションの民主化

道本
本村先生のお話は私自身の歩みと重なります。ベイジアンネットワークは漠然とした社会を、ありのまま捉えつつ、理解と洞察につなげていくために、確率モデルを使ってメカニズムの解明と現象を常にセットで考えています。その部分が物理出身の私のバックボーンと近く、腑に落ちました。

先生と初めてお会いしたのはサービス工学に取り組んでいた時期です。ID-POSの分析においても、現象とメカニズムの話に加えて、そこに顕在的・潜在的に存在する価値をどのように考えるか、その価値はデータにどう現れてくるのか、といった内容をお聞きして面白さを感じました。この世界観での分析や活用を進めていくには、データそのものをもっと利活用する社会になっていかなければいけないという部分でも意気投合しました。博報堂D Yグループは広告やメディア・コンテンツなどの情報、つまりデータを扱っています。社会の様々なデータを市場・社会に流通・価値化させる方法についても議論させていただきました。

本村
「情報の粘着性」という概念をご存知でしょうか。MITのエリック・フォン・ヒッペル教授は、「イノベーションは民主化する」と提唱しています。これは、価値やイノベーションはニーズとシーズの出会いで生まれ、それがニーズ側にシフトしているという考えに基づいています。

かつて、イノベーションはシーズ(技術の種)が中心でした。特許や知財を制する者がイノベーションの勝者でした。しかし、インターネットの普及によってシーズ情報はコモディティ化し、誰もがアクセスできるようになりました。

そうすると、今度はニーズ(顧客の需要)を捉えることがイノベーションの鍵になります。ニーズは、「いつ、どこで、誰が、どんな価値を求めているのか、秘めているのか」という、極めて個別性の高い情報です。この情報を中央に吸い上げてしまうと、ユニバーサルな同質性の中で埋もれてしまうわけです。ニーズとシーズの両方を深く知るためには、現場に足を運び、それぞれの状況に密着した情報を収集する必要があり、ニーズ側に近い方が有利になります。このことを「イノベーションが民主化する」という言い方で表現しています。ここで重要になるのが「情報の粘着性」という概念です。ニーズ情報は、特定の場所、時間、人物、そして状況に強く紐付いて異質性があります。言い換えれば、それぞれのローカルなコンテキストに「張り付いて」いるのです。

AIもまた、イノベーションと同様に民主化の流れにあります。現状のAIは中央集権的なサーバーで稼働していますが、今後はエッジ側へと移行し、あらゆる人と直接やり取りするようになるでしょう。生成AIも、汎用的なものからドメイン特化型やパーソナルAIエージェントへと進化し、異質性を強めています。これは、ユニバーサルなAIだけでは多様なニーズに対応できない、あるいは適さないからです。 そして、これがローカルなところでやり取りを始めると、ようやくこの情報粘着性が扱え、粘着性の高い情報が扱えるようになっています。

「民主化」という言葉の意味について深堀りさせていただいてもいいでしょうか? AIが現場に近づく、という意味は、ローカライズ、カスタマイズ、パーソナライゼーションといった言葉で理解できるのですが、「民主化」という言葉は「誰もが使えるようになる」という意味以上の何かがあるのでしょうか?
本村
エリック・フォン・ヒッペル教授の気持ちを推察するならば、「主導権が移る」という意味を込めていると思います。つまり中央が価値を決める世界から、私にとってこれが価値だという世界へ。その時代変化の意味が込められている民主化だと考えます。同じようにAIの民主化も単にエッジ側に移っていく以上の意味合いがあるかもしれません。イノベーションの民主化と異質性の拡大もセットで起こるのではないでしょうか。
AIの民主化はイノベーションの民主化とセットで起こる。イノベーションの主導権を移すことで、AIの活用も進むことができる、ということですね。その指摘は、AIと人間の関係性について考える際にも示唆を与えてくれると感じます。

 
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  • 本村 陽一氏
    本村 陽一氏
    産業技術総合研究所人工知能研究センター首席研究員、人工知能技術コンソーシアム会長
    1994年、通産省(現経済産業省)工業技術院電子技術総合研究所入所。1999年 アムステルダム大学招聘研究員を経て2001年より独立行政法人産業技術総合研究所所属。2010年サービス工学研究センター副研究センター長、2015年人工知能研究センター副研究センター長および人工知能技術コンソーシアム会長、2016年より首席研究員。東京工業大学大学院特定教授、神戸大学客員教授、人工知能学会副会長を兼務。主な研究テーマに「次世代人工知能研究(データ知識融合型人工知能、社会現象の確率的モデル化と最適制御)」「ベイジアンネットワークによる不確実性モデリング」「サービス工学における大規模データモデリング」「人間行動モデリングのための確率・統計的手法の研究」がある。
  • 博報堂DYホールディングス 執行役員/CAIO
    Human-Centered AI Institute代表
    外資系コンサルティング会社、インターネット企業を経て、グローバルプロフェッショナルファームにてAIおよび先端技術を活用したDX、企業支援、産業支援に従事。東北大学 特任教授、東京大学 協創プラットフォーム開発 顧問、日本ディープラーニング協会 顧問。著訳書に、『ウェブ大変化 パワーシフトの始まり』(近代セールス社)、『グローバルAI活用企業動向調査 第5版』(共訳、デロイト トーマツ社)、『信頼できるAIへのアプローチ』(監訳、共立出版)など多数。
  • 博報堂DYホールディングス マーケティング・テクノロジー・センター 室長
    大手金融機関にてデリバティブズやストラククチャードファインナンスの業務に従事し、その後、博報堂にて広告やマーケティングの研究開発業務に従事。
    主に、メディアにおける解析業務、データマーケティング、マーケティングサイエンス、マーケティングの投資効果分析、などの研究に携わり、現職に至る。
    マーケティング・テクノロジー・センターでは、生活者を理解するためのデータ開発、AIや機械学習といった先端技術による分析や自動化、XR/メタバースを活用した体験創出、統計解析技術によるマーケティング効果の測定やシミュレーター開発、など、幅広いマーケティングの課題に対し、テクノロジーで解決する取り組みを推進している。