データ・クリエイティブ対談【第15弾】 「技術力」と「ビジネスモデル」と「思い」の融合が新しい産業を生み出す(前編) ゲスト:元プレイステーション開発責任者 茶谷公之氏/博報堂DYホールディングスCAIO 森正弥
各界の識者をお招きして、広告ビジネスを越えたテクノロジーやデータの活用のあり方について対話する連載「データ・クリエイティブ対談」。
今回は、プレイステーションの開発に初期から関わり、エンターテインメントとテクノロジーの融合を推進してきた茶谷公之さん、博報堂DYグループのAI領域のトップである森正弥とともに、プレイステーション成功の要因や、新しい技術を世の中に広めていく方法などについて語り合いました。
茶谷 公之氏
オフィスちゃたに 代表取締役CEO
森 正弥
博報堂DYホールディングス
執行役員/CAIO
篠田 裕之
博報堂DYメディアパートナーズ
メディアビジネス基盤開発局
海外で認められた日本のゲーム
- 篠田
- 2023年に出版された著書『創造する人の時代』を拝読して、ぜひ一度お話を伺いたいと思っていました。お会いできてたいへん嬉しく思っています。はじめに、茶谷さんのこれまでの歩みをお聞かせいただけますか。
- 茶谷
- 大学院修了後に、ソニーの開発研究所に入所しました。当時の所長は、テープレコーダーなどを開発した伝説的なエンジニアである木原信敏さんでした。研究所は「木原学校」と呼ばれていて、ここで技術を学んだ人たちが次々に新しい事業を起こしていました。
研究所で僕が最初に担当したのは、いわゆる第二世代のAIです。手書き文字を認識する技術開発チームに所属して、ソニー最初のペン入力のコンピューターの開発に携わりました。
その後1年ほどアメリカに留学させてもらったのですが、留学中もずっと頭にあったのは、CG(コンピューターグラフィックス)技術のことです。日本に帰って来てから、CGを使うゲーム機の開発が進んでいると聞いて、すぐにその部署に所属させてもらいました。それがのちのプレイステーション1です。上司となったのは、「プレイステーションの父」と言われる久夛良木健さんでした。僕は海外でプレイステーション用ゲームを制作する人たちをサポートするチームに入りました。
その後、ソニー・コンピューターエンターテインメント(以下SCE、現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)に移り、アメリカに赴任になってプレイステーション2の北米展開を担当しました。ちょうどマイクロソフト社がゲーム市場に参入した時期で、「これは負けられない。せめて引き分けにしたい」と思っていました。結果、プレイステーション2はアメリカで販売台数を伸ばしました。歴代プレイステーションの中で最も販売数が多いのがプレイステーション2です。
その後SCEのCTOに就任し、プレイステーション3の開発に取りかかろうと思っているときに、プレイステーション2にハードディスクレコーダーを搭載するという話が持ち上がり、続いてポータブル機であるプレイステーション・ポータブルの開発プロジェクトもスタートしました。プレイステーション3の開発が始まったのはそのあとで、ほぼ同時にプレイステーションネットワークの開発も動き始めました。
僕がSCEにいたのは、プレイステーション4の基本アーキテクチャーをつくったところくらいまでです。
その後ソニーに移ってクラウドコンピューティングなどを担当してから、ソニーを離れて楽天の執行役員となりました。
その後は会計事務所KPMGのデジタル子会社の社長、マッキンゼーのデジタル子会社の日本統括を経て、2024年4月に自分の会社である「オフィスちゃたに」を立ち上げた。そんな流れですね。
技術とビジネスモデルのイノベーションを同時に実現する
- 篠田
- 僕は大阪大学出身で茶谷さんの後輩に当たります。茶谷さんの大学時代の専攻は電気だったのですか。
- 茶谷
- 電気工学科です。大阪大学に行こうと決めたのは、ソニーに入社したかったからです。中学生の頃にソニーのラジオを買ってもらって、短波ラジオを聴くようになりました。それで南米やアフリカの放送を聴くのが趣味でした。当時のソニーの社長は盛田昭夫さんで、彼の出身が大阪大学です。社長が卒業した大学に入れば、ソニーに行けるだろう。そんな安易な発想で大学を選んだわけです(笑)。
- 篠田
- なるほど。技術の世界に進むきっかけがラジオだったわけですね。僕は大学ではコンピュータサイエンスを勉強していたのですが、ハードウェアの設計には距離がありました。
大学院時代、イタリアのボローニャ大学に短期留学したことがあって、そこでインダストリアルデザインを学んだことで視野がとても広がりました。フェラーリやドゥカティといった企業の工場を見学して、ソフトウェアとハードウェアをプロダクトデザインの中で融合させていく方法も知りました。ソニーはそういったトータルな設計やデザインにすごく秀でているというイメージがあります。
- 茶谷
- 1980年代にソニーの社長だった大賀典雄さんは、デザイン室を社長直轄にしました。プロダクトデザインはトップマターであるという考えがあったからです。社内にもたくさんのデザイナーがいました。「デザインのソニー」という文化が根づいたのは、あの頃だったと思います。
- 森
- 大賀さんがデザイン室を社長直轄とされたのは、ソニーがいかにデザインを重要視していたかを示す象徴的な出来事ですね。トップダウンでデザインを推進することで、全社的にデザインへの意識を高め、文化を作り、トータルな設計へのこだわりにつながったのだと思いました。
- 篠田
- 優れたプロダクトデザインを成立させるためには、基盤や部品の配置といった緻密な設計が求められます。それだけでなく、販路やマーケティングなども含めたビジネスモデルのデザインも必要ですよね。『創造する人の時代』には、プレイステーションのゲームソフトにカートリッジではなくCD-ROMを採用したことで新しいビジネスモデルが生まれたという話が詳しく書かれています。
- 茶谷
- プレイステーションの成功の要因は、一般に技術力にあったと考えられています。もちろん技術は重要でしたが、実はビジネスモデルの要素がとても大きかったのです。CD-ROMであれば、需要に応じて増産することがすぐにできるし、販路も拡大できます。それによってゲームソフトの販売モデルが大きく変わりました。
同時に、CD-ROMの採用は技術面にも影響を与えました。従来のゲーム機にはFM音源と言われるものが使われていて、チープな音しか出せませんでした。CD-ROMを使うことで、実音に近いリッチな音を再現することが可能になりました。また、グラフィックスのクオリティも格段に向上しました。
- 森
- なるほど。技術の革新を実現した。しかしそこにはビジネスモデルの挑戦も存在していたと。ビジネスモデルと技術の相互作用によってイノベーションが実現したというのは示唆の多い話です。プレイステーションはまさしく画期的な、革命的なプロダクトだったと思います。
- 篠田
- 著書の中では、チーム運営の重要性についてもお書きになっています。
プロダクトをつくるには、多岐にわたる領域のプロフェッショナルが1つのチームとして動く必要があります。しかし、同じチームの中で対話が成立しているように見えても、実は認識にはずれがあることがしばしばあります。そのずれをほったらかしにしておくと、のちのち大きな問題が発生しかねません。その点について、あらためてお考えをお聞かせいただけますか。
- 茶谷
- プレイステーションのように半導体の設計からスタートするようなプロダクト開発の場合、CPUをつくり、GPUをつくり、その上にOSを載せ、デバイス側のアプリケーションフレームワークをつくり、さまざまなアプリケーションと連携させるといった一連の作業が必要になります。さらにゲームがネットワーク化すると、ネットワークプラットフォームのつくり込みもしなければなりません。データセンターを整備し、デジタルコンテンツ配信のサーバーを立ち上げ、ユーザーID認証システムをつくるといった作業です。
僕は、そういったダイナミックレンジが非常に広いプロジェクトをCTOとしてまとめなければなりませんでした。当然、ディスカッションは多岐にわたります。ナノサイズの回路から全地球規模のネットワークまで、テーマを行ったり来たりしながら議論を繰り返すわけです。チームの中には、おっしゃるようにさまざまなジャンルのプロがいて、使う用語が違ったりもします。だから、対話が一見成立しているように見えても、実は齟齬があるということが起こりえます。そこはすごく意識して、齟齬が発生する可能性がある場合は、必ず事細かに確認するようにしていました。
- 森
- ナノサイズから地球規模まで、同じプロジェクトの中で議論の対象となる規模感が大きく変わるというのは、想像するだけでも大変そうです。それぞれの専門分野のエキスパートが集まるチームでは、おっしゃる通りそれぞれの専門用語や思考回路が異なるので、プロジェクトマネジメントとしては共通言語や共通認識を作りあげることが大切ですが、そこを丁寧にやられていたのは並々ならぬ苦労があったと推察します。
ITとエンターテインメント技術の違いとは
- 篠田
- 大規模なプロジェクトの全体像を描くのはたいへんなことですよね。
- 茶谷
- たいへんでしたが、役割分担はありました。CTOである僕の主な役割は、ハードウェア、ミドルウェア、ソフトウェアに関する部分です。一方、プロダクトを量産する際に必要とされる「量産設計」という役割もありました。大量の製品をいかに安く、かつ安定的につくることができるかを考える仕事です。それを担うのはCPO(チーフプロダクションオフィサー)でした。
1つのプロダクトを1000万台つくる際には、1000万の供給量がある資材や部品を選ばなければなりません。また、CPUやGPUの製造を外部に委託する際は、1000万台分をつくれるキャパシティがあるプレイヤーを選ぶ必要があります。そういった点を1つ1つクリアしていくのがCPOの仕事です。CTOである僕とCPOの役割分担と連携があって、そのそれぞれの領域にチームがいて、その中でいろいろなプロが統一的に動いていく。それがプレイステーションのプロジェクトの形でした。
- 森
- 一般的なIT領域の開発には、一種の「遊び」があることが許されています。すべてを完全に決め込んでしまうのではなく、多少の余裕を持たせ、そこに生まれる課題をそのつど解決していくことでクオリティを上げていくという発想です。それに対してプレイステーションは、とことんまで突き詰めて、その段階で究極のものをつくるという発想で開発されていたようですね。
- 茶谷
- そこがエンターテインメント機器とITの違いですよね。ゲームユーザーには一切忖度がありません。一度使ってみて、使いにくかったり、面白くなかったりしたら、二度と使ってもらえない。ですから、開発者は徹底的につくり込むことを目指さなければならないわけです。
一方、ITに求められるのはスケールであり、汎用性です。森さんがおっしゃるように、性能的に多少見劣りするところがあっても、まずは大きく広げていって、問題が生じたら改善していくというのがIT開発に求められる発想です。同じ技術開発でも、ITとゲーム機には大きな差があるように思います。
(後編に続く)
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茶谷 公之オフィスちゃたに 代表取締役CEO
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