デジタル時代の「新・ブランド論」【第2回】デジタル時代のブランドを掘り下げていく「手がかり」とは
SNSなどデジタル環境の変化に伴い、生活者の情報選択・購買・消費行動は大きく変化しています。また、様々なテクノロジーの登場によって、企業の行うデジタルマーケティングも日々進化しています。その一方で、長期的な視点に立った企業と生活者との絆づくりである「ブランド」はどうでしょうか?デジタル時代において、改めてブランドとは、ブランディングとはどうあるべきなのか──そんな問題意識からスタートした「デジタル時代の新・ブランド論」構築プロジェクト。
本連載では、マーケティング、消費者行動論、社会心理学などに精通した研究者と博報堂DYホールディングスのマーケティング・テクノロジー・センターのメンバーによって進められているプロジェクトをご紹介します。
第2回では、デジタル時代のブランド論を検討するにあたっての「キーワード」について議論しました。生活者のニーズや購買行動の意思決定プロセスなどをめぐって、活発な議論が交わされました。
第1回はこちら
<プロジェクトメンバー>
(写真左から)
西村 啓太
博報堂DYホールディングス
マーケティング・テクノロジー・センター 室長補佐
本プロジェクト共同代表
柿原 正郎氏
東京理科大学経営学部国際デザイン経営学科 教授
石淵 順也氏
関西学院大学商学部 教授
澁谷 覚氏
早稲田大学大学院経営管理研究科 教授
本プロジェクト共同代表
杉谷 陽子氏
上智大学経済学部経営学科 教授
米満 良平
博報堂DYホールディングス
マーケティング・テクノロジー・センター 上席研究員
情報が多すぎるデジタル環境における購買行動の変化
- 西村
- 今回は、前回の皆さんのご専門も踏まえて、これからこのプロジェクトにおいて「デジタル時代の新・ブランド論」というテーマを掘り下げていくにあたってのキーワードについてお聞きしていきたいと思います。このテーマ自体が壮大なものなので、既にプロジェクトの中では様々なキーワードがでてきていますし、毎回ひとつひとつのワードに対してとても深い議論を重ねてきているわけですが(笑)。これまでの議論なども思い返して、改めて気になっているワードはありますでしょうか?
- 澁谷
- 本当に毎回刺激的で、話が尽きませんね(笑)。実務と研究、そして専門分野が異なる皆さんがブランドや消費者行動という共通のテーマで自由に議論できること自体が今まであまりなく、とても重要な取り組みだと改めて感じています。
- 杉谷
- そうですね。今までの議論の中で、私は特に、デジタルでの購買行動における「手がかり」について取り上げたいと思います。デジタル環境下は情報があふれかえっている一方で、人間の情報処理能力そのものは以前から大きく変わってはいません。デジタル環境によって変わったのは、購買行動の拠り所となる「手がかり」です。
従来の購買行動は、ブランドへの信頼や製品の機能、価格などが購買を決めるための重要な手がかりになっていました。しかし、今のデジタルの環境では商品やサービスの数が増え、それを取り巻く情報も膨大になった結果、消費者にとってはひとつひとつの情報を精査することが困難になっています。インフルエンサーのリコメンドやネット上でのレビュー、SNSでバズっているという現象を拠り所にするなど、購買行動の新しい「手がかり」がうまれているのではないでしょうか。
- 米満
- サブスクなど購買・所有ではなく、モノやサービスを一時的に利用するデジタル化された消費行動である「リキッド消費」も、デジタルによる生活者の消費スタイルの変化、とくにブランドなどへのこだわりが希薄化するという概念ですが、もっと手前の消費者の購買行動や情報処理プロセスにもデジタルによる大きな変化がありそうですね。
- 西村
- 購買行動の手がかりという視点で言えば、従来は例えば「お気に入りのタレントがTVCMに出ている」といったことも重要な要素の一つでした。
- 杉谷
- はい。つまり、デジタル環境によって、以前と比べるとインフルエンサーの影響が強くなっただけで、購買行動における「他者」の影響や役割は変わっていないとも言えます。消費者の思考や購買行動のメカニズムは、大枠では変わっていないと私は考えていますが、その中でも何かが変わったのか、変わっていないのか、細かく見ていくことは大事だと思います。
- 西村
- 情報を発信する立場から考える、購買行動の新しい「手がかり」の変化している部分をしっかりと捉え、コミュニケーションに入れ込んでいく工夫が必要ということかもしれませんね。
「短さ」と「ときめき」が求められるコミュニケーション環境
- 澁谷
- 杉谷先生は購買行動や情報処理プロセスの大枠について指摘くださいました。一方で、そのプロセス自体が以前と比べるととても短くなっているのではないかという気がします。この「短さ」というのは、デジタル時代を考える上でとても重要なキーワードだと思います。
これは単に時間が足りないということではなく、アテンション・スパン、すなわちマルチタスクが前提となっているデジタルの情報環境の中で、1つのことに集中できる時間が短くなっている、ということが大きな変化としてあるのだと感じています。例えば、メールを書いているような状況でも、SNSの通知が来たり、ZOOM会議が始まってしまったり…、ということがあるわけです。仕事だけにかかわらず、購買行動においても同様のことが起こっていると思います。
そのような状況においては、ひとつのことに時間をかけて情報と向き合うことがそもそも難しいですし、できればすぐに終わらせて次に控えている他のことに頭も切り替えていきたいという感覚があるように思います。
- 柿原
- 私もデジタル・コミュニケーションの側面から見たときにも、「短さ」は大きなヒントになると思っています。私はインターネット第一世代です。最初にインターネットを使ったとき、世界中の情報にアクセスできて、いろいろなものが見つかるという経験にとてもワクワクしたことを憶えています。その結果、デジタルやインターネットが大好きになりました。情報へのアクセシビリティが圧倒的に高まったこと、それがインターネットのもたらした最大のメリットです。
しかし、今はそのアクセシビリティの高まりに戸惑っている人も多いように見えます。アクセシビリティが高まるということは、接する情報が膨大になるということです。情報が多ければ多いほど意思決定の負荷は増すことになるので、むしろ情報は少ない方がいい。そのように考える人が少なくないのだと思います。だから、自分の代わりに情報を精査したり、検証したり、アドバイスをしてくれるインフルエンサーのひと言で即座に購買を決めてしまったりするわけです。
アクセシビリティの高まりによって様々な情報を取捨選択できるのだから、必要な情報を集めて、冷静に判断することがよりよい購買につながるだろうと考えがちなのですが、その一方で、極めて限られた時間の中で、しかも購買に限らず多くの情報を浴び続けている消費者の負荷は増している。情報がより少ないことを求める人が増えているから、企業のコミュニケーションはどんどん短いものになっていく。そんな流れになっているのだと思います。
- 西村
- なるほど。「短さ」に慣れた生活者が今後さらに増えていくと、情報処理行動とともに、企業の広告やマーケティングのあり方も変わっていくかもしれませんね。
- 米満
- 企業のメッセージが短くなればなるほど、説明的で合理的なものではなく、より消費者の感情に作用するような、シンプルで、理解しやすいもの、場合によってはある種の過激さが含まれているものが好まれるのではないか思います。
- 石淵
- 感情の作用という観点でいうと、このプロジェクトの中でも、皆さんとたくさんの洋服の中からときめいたものだけを残すという断捨離の手法の話をしたことがありましたね(笑)。
例えば、その「ときめき」のような感情をもとにして行動の判断することは、まちがいなく意思決定プロセスのショートカットになるわけです。デジタル空間に溢れている雑多な情報を一つ一つ丁寧に処理し出したらキリがない。時間制約のある中で、まあまあ満足がいく選択をするには、自分の直感や感情を基準にするのが一番確かである──。そう考える人が増えているということなのだと思います。先程の断捨離のプロセスでいうと、その直感や感情が「ときめき」ということになるわけですが、デジタル時代における情報処理や買物行動では、どのような感情が大事になるのか、とても興味深いテーマだと感じています。
また、感情を刺激するメッセージという点では、テキストよりも画像、画像よりも動画が有効だとされています。加えて、そこに誰か自分ではない他者がいた方が、自分自身も感情が励起されるということがあります。
デジタルにおけるブランドとの新たな信頼関係
- 柿原
- このプロジェクトでは何度も皆さんから話題にあがっている「信頼」も、大事なキーワードですね。ECサイトやブランドが信頼できるかどうかをほとんど気にせずに、気に入ったものがあったらすぐにものを買ってしまうということも、よくある購買行動だと感じています。
販売元がよくわからない海外のECサイトから商品を買ったり、D2Cのような普段は馴染みのない新興ブランドの商品を買ったりという行動も、少し前では考えもつかなかった行動ですが、当たり前のように定着しました。
- 西村
- ここまでプロセスの話をしてきましたが、情報処理や購買行動の結果うみだされる「信頼」は消費者行動やブランドにおける重要な指標の1つですよね。メーカーや店舗やプラットフォームに対する信頼があるから買うという購買行動がある一方で、信頼がなくても「なんかいいかも」と思えるきっかけがあれば買うこともあります。若い世代ほどそのような軽やかな購買行動は増えているようにも思います。
- 柿原
- そうですね。そこにあまり時間をかけたがらない。商品に対する専門知識がある人のコメントを参照したり、雑誌を読んで情報を仕入れたりするといった行動もあまりせずに、商品の専門家ではないインフルエンサーのリコメンドで買ったりする。しかし、購買をするからには、何かに「腹落ち」していることは確かだと思うんです。では、何に腹落ちしているのか。
実はそこが、私たちが考えようとしている新しい時代のブランド論にとって、とても難しいポイントになるかもしれません。というのも、ブランドとは企業と生活者の「約束事」であり「信頼」そのものだからです。それがあるから企業と生活者の間に長期にわたるリレーションシップが生まれ、それが継続的な購買につながるわけです。しかし、そのような信頼に基づいた長期的なリレーションシップが購買行動に何ら関係しないということになれば、従来のブランドの考え方を大きく変えなければならなくなります。
- 西村
- ここはプロジェクトでもぜひ深掘っていきたいポイントで、「なんかいいかも」という感覚や瞬間的な「腹落ち」の積み重ねが、私たちが考えるような信頼につながっていくのかどうか。非常に興味深い論点ですね。
- 澁谷
- 新しいブランドを立ち上げる際、ブランド自体は「空の器」であるとよく言われます。その器にいろいろな要素を入れていくことによってブランドの実質が出来上がっていくわけです。おそらく、その器に入れるべき要素が変わってきているということなのだと思います。どのような要素を入れていくことが有効なのか。それをぜひ見極めていきたいですね。
- 西村
- さて、ここまで皆さんから「デジタル時代のブランド論」の切り口となるキーワードや視点を出していただきました。それらを踏まえた上で、プロジェクトでは生活者調査など様々なインプットも行いながら、引き続きみなさんと議論を進めていきたいと思います。
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澁谷 覚氏早稲田大学大学院経営管理研究科 教授東京大学法学部卒業、東京電力(株)に勤務。慶應義塾大学でMBAを取得。同社退社後に慶應義塾大学で博士(経営学)を取得。新潟大学助教授、東北大学教授、学習院大学教授、レンヌ第一大学ビジネススクール客員教授等を歴任。学習院大学では2020~21年に国際社会科学部長を務めた。2022年より現職。
この間、情報通信サービス、IT系を中心に、食品、住宅、エンターテインメント等多くの企業において、特にデジタル・マーケティング戦略、顧客分析、ブランド構築、人材育成等の策定、実行支援を数多く経験。日本消費者行動研究学会会長、『消費者行動研究』編集長、日本商業学会『JSMDジャーナル』編集長、日本マーケティング学会『マーケティングジャーナル』副編集長、等を歴任。
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柿原 正郎氏東京理科大学経営学部国際デザイン経営学科 教授関西学院大学経済学部卒業、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス博士課程修了(Ph.D. in Information Systems)。関西学院大学商学部講師・准教授、Yahoo! Japan研究所研究員、Google(東京およびシンガポール)リサーチ統括(検索領域・APAC)等を経て、2022年4月から現職。専門は経営情報システム、ユーザー行動分析。Google在職中から続く研究テーマは、デジタル環境下における消費者の情報探索行動。最近は、eスポーツやVTuber等のエンターテイメントコンテンツビジネスにおける消費者行動についても研究を進めている。
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石淵 順也氏関西学院大学商学部 教授関西学院大学商学部中途退学(大学院飛び級入学のため)。同大学商学研究科博士課程後期課程修了。博士(商学)。福岡大学商学部専任講師、助教授を経て、2006年4月関西学院大学商学部助教授(現准教授)、2011年4月より現職。専門は、消費者行動論、マーケティングリサーチ、商業論。特に、買物行動、消費者行動における感情の働き、商業集積の魅力などを研究。主著に『買物行動と感情―「人」らしさの復権』(有斐閣, 2019年)。日本消費者行動研究学会理事、日本マーケティング学会常任理事、日本商業学会理事、日本マーケティングサイエンス学会学会誌編集委員等を歴任。
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杉谷 陽子氏上智大学経済学部経営学科 教授慶應義塾大学商学部卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。上智大学経済学部経営学科助教、准教授を経て、2019年より現職。専門は消費者心理学、ブランド論、マーケティング論。日本商業学会関東部会理事、日本マーケティング学会常任理事、消費者行動研究学会理事。日本商業学会『流通研究』編集委員、消費者行動研究学会『消費者行動研究』副編集長等を歴任。
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博報堂DYホールディングス
マーケティング・テクノロジー・センター 室長代理The University of York, M.Sc. in Environmental Economics and Environmental Management修了、およびCentral Saint Martins College of Art & Design, M.A. in Design Studies修了。
株式会社博報堂コンサルティングにてブランド戦略および事業戦略に関するコンサルティングに従事。株式会社博報堂ネットプリズムの設立、エグゼクティブ・マネージャーを経て、2018年より博報堂DYホールディングスにて研究開発および事業開発に従事。
2020年より一般社団法人日本インタラクティブ広告協会(JIAA)にて、データポリシー委員会、Consent Management Platform W.G.リーダーを務める。
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博報堂DYホールディングス
マーケティング・テクノロジー・センター 上席研究員マーケティング・リサーチ会社勤務の後、株式会社博報堂にてストラテジックプランニング・ディレクターとして、事業・ブランド戦略立案から顧客獲得、コミュニケーションに関するプラニングに従事。VoiceVision、ブランド・イノベーションデザイン局にて、生活者共創やユーザー・イノベーションを専門に、コミュニティ・プロデューサーとしてプロジェクト推進を行う。2021年より博報堂DYホールディングスにて、マーケティング実践領域の研究開発に従事。経営学修士(MBA)。博⼠後期課程。大学非常勤講師(マーケティング、消費者行動)。