豊かな生活者インターフェースを実現するには? AIとクリエイティビティ、協業の可能性
スマートフォンなどの通信デバイスによって、決済サービスによって、あるいは車や家電などのモノによって――今、生活者と企業は多種多様な接点によってつながることが可能になりました。博報堂では、こうしたインターフェースを通して生まれる新たなサービスの市場を「生活者インターフェース市場」と名付け、先日行った「HAKUHODO Executive Forum 2019」にて発表いたしました。本稿ではそれを踏まえ、Preferred Networksの西川徹氏を迎えて展開したキーノートの模様をお届けします。
爆発的に広がる生活者インターフェース市場
キーノート「クリエイティビティとAI技術によって生み出される生活者インターフェース市場の未来」では、博報堂でテクノロジー領域の各種活動を主管する取締役常務執行役員の中谷吉孝をモデレーターに、AI開発を手掛けるスタートアップで国内トップのユニコーン企業であるPreferred Networks代表取締役社長の西川徹氏、そして博報堂でクリエイティブセンターを担当する執行役員の嶋浩一郎を交えて、近い将来に生活がどう変わるか、そこにどのように企業が関与し関係を築けるかについて議論しました。
「生活者インターフェース市場」とは、生活が劇的にデジタル化し、あらゆる接点からネットワークに接続するようになったことから新たに生まれているサービスの市場を指します。スマートフォンや各種デジタルデバイスを介してはもちろんのこと、決済サービスや各種交通機関の利用、あるいはさまざまなIoT機器を通して企業は生活者と常に接触できるようになりました。そのため、今この市場は爆発的に広がっています。
生活者の一挙手一投足、あるいは感情の動きでさえデータとして捉えられると、そのデータ量は膨大になる。そこで大きな役割を果たすのが、AIです。一方、そのインターフェースに接触するのがあくまで生身の生活者であるだけに、人の自然な動作や心理に関する深い洞察とアイデアも、インターフェースのクオリティを左右します。つまり、AIとクリエイティビティの協業が、精度の高いインターフェースの設計においてとても重要になってくると言えます。
そうした前提の下で、ディスカッションがスタート。以下、その内容を対話形式でご紹介します。
人の役に立ち、受け入れられる“家庭用ロボ”の開発
- 中谷
- はじめに、Preferred Networks (以下、PFN社)と博報堂とのかかわりをご紹介します。同社とは、マーケティングやコミュニケーション領域における新たな価値やビジネスの萌芽をともに模索する目的で、2年ほど前に資本業務提携をしました。その後、博報堂DYグループにスポーツテクノロジーラボを立ち上げ、PFN社の協力を得ながら開発を進めてきました。Jリーグの協力の下、全試合の試合映像を提供していただき、ディープラーニング(深層学習)技術を活用したサッカー戦術・分析支援ツールなどスポーツアナリティクス領域の開発をしています。また、アニメーション制作を武器に企業コミュニケーションを実施している博報堂グループの映像コンサルティング会社であるクラフターに技術提供いただいたりしてきました。
- 中谷
- 今日、博報堂から発表した「生活者インターフェース市場」は、いわば人とモノとの境界線から生まれる市場です。ここでどのような価値を新たに提供できるかという問いにおいて、データ処理の精度を決めるAI技術はとても重要です。AIによってインターフェースが高度化するだけでなく、喜びや感動を演出する余地も広がります。我々は生活者とのインターフェースの場にクリエイティビティを発揮して、単に効率性を提供するにとどまらない、心を動かす場にしたいと考えています。
PFN社は産業界でAIロボットを実用化させているほか、ライフサイエンスやケミカル、エネルギー領域の研究も進められています。並行して新たな取り組みとして家庭用ロボットを開発されたとのことで、まずその内容をご紹介いただけますか?
- 西川
- 2014年に創業してから培ってきた産業用ロボット分野での技術をベースに、より生活者に近いところで動けるロボットの研究に着手しています。共同研究をしているトヨタ自動車の生活支援ロボットHSR(Human Support Robot)をプラットフォームとして、昨年“全自動お片付けロボットシステム”を開発しました。従来、ロボットは決まった動作を効率的に精緻におこなうのは得意ですが、日常生活の中でリビングに散らかったさまざまな物体を片付けるには都度の認識と状況判断が必要で、ロボットにとっては不確実性が高く非常に難しいタスクです。
そこで当社では大量のデータを使って物体の形状を学習させ、どこをどうつかめば安定するかを自律的に判断する精度を高めていきました。同時に直感的なインターフェースも大事なので、話し言葉の理解などにも注力しました。実際、開発当初はエラーも多く、実現までには半年以上かかりましたね。
- 中谷
- 元々、産業界に留まらず、ごく一般の生活者に役立つAI技術の開発や活用も視野に入れていたのですか?
- 西川
- そうですね。たとえばコンピューターもかつては産業界に閉じていたのが、パーソナルコンピューターが登場してスマートフォンが普及して、世界中のあらゆる人が活用するようになっていますよね。それと同じように、人に役立つタスクをこなせて、家庭内を含めて社会のあらゆる場所で活躍する「パーソナルAIロボット」の実現に向けてまさに今動き出しているところです。今後、生活者のインターフェースとしてロボットを活かせる、そんな世界観を実現させたいと考えています。
テクノロジーと人との調和を図った体験をつくる
- 嶋
- お片付けロボットはまさに、生活者インターフェースそのものだと思いました。これが企業のサービスだとしたら、企業ブランドが家庭の中で直接生活者とあらゆるタイミングでインタラクションするようになるんですね。
生活者インターフェース市場ができることで、クリエイティビティが発揮される仕事も変わってきています。生活者インターフェース市場では生活者とモノをつなげる、そのためにはそこに新しい生活の体験を提供しなければなりません。そんな新しい体験を提案する、実際にそういう仕事も増えています。
つまり、広告に代表される表現物をつくる仕事と同時に、じゃあそのスマートホームの鏡の前で、コネクテッドカーの中で「生活者はどんな体験をするのか?」という体験をつくる仕事もクリエイターの仕事の範疇になる。その体験自体がサービスで、課金が発生するとなると、データとAI活用はますますクリエイティブと密接になってくると感じています。
西川さんはたくさん産業用ロボを手掛けてこられましたが、ロボットを家庭に入れていくにあたって考慮したポイントなどはあるんでしょうか?
- 西川
- そうですね、たとえば工場のような場では生産性の向上のためにロボットを使っているので、最も重要なのはスピードと精度です。遅かったら意味がない。かたや、家の中で同じようにロボットが動いたとしたら……それはもう、恐怖でしかありません。
ごく一般の人には、ロボットがどのくらいパワーを出せるのかを予測できないですよね。人間は予測不可能な動きをされると“得体の知れないもの”として警戒し、怖いと感じます。なので第一に、あまり速い動きは避けて、その上でスムーズにタスクをこなせるようにしました。
- 嶋
- テクノロジーを使って物事を便利に、最適化しようとしているのに、そこに一点集中すると生活者にとって恐怖を生んでしまう。そこにはすごいギャップがありますね。あえて、スピードを落とすことで日常生活にロボットが馴染む。スピードのほかに、どんな工夫をされたんですか?
- 西川
- これも工場では不要ですが、使う人との間に多少インタラクションさせるようにしました。ランプを点滅させたり、言葉で応答したり。つかむものを決めたとき、「つかんでいいの?」みたいにこっちを向いてアイコンタクトしてくるとか。かわいらしく見えるような仕草をあえて加えたりしています。
- 嶋
- つまり、テクノロジーの力を最大限活用することと、人との調和を図ることのバランスを取らないといけないわけですね。そうすると、人の気持ちをよく理解したうえで、どの機能をどう装備するかが重要になる、と。
AIは効率化を超えてLOVEを生み出せる?
- 中谷
- AIやロボットを通して、逆に人間の理解が深まるという現象が起きているのは興味深いです。西川さんの視点では、どのような気づきがあるのでしょうか?
- 西川
- そうですね、冒頭でご紹介いただいたクラフターさんとの取り組みでは、社長の古田さんとおもしろいディスカッションをさせてもらいました。なにかの物体をつかむ表現をするとき、実写だと気にならないのに、アニメでそのまま描くと重たいのか軽いのか伝わらないんだそうです。なので、わざわざ少し傾けて、わずかに時間を貯めてから持ち上げるようにして質量を表現する、と。それは、ロボットに多少の人間らしさを加えることに通じると感じました。
この動きを実際に実装するには、大量のデータを学習させて、“重たさが伝わる”といったあいまいな感覚をAIに落とし込む必要があります。学習させ、動きを生成して試し、人の反応を見てフィードバックして……というループを回すことは、人間の理解にもつながるなと思いますね。
- 中谷
- 人間とインターフェースするロボットが家にやってきたとき、それが本当に機能するかどうかは、人の感じ方にまで十分配慮したUXが大事になるわけですね。
- 西川
- ええ。単に指示通りに動いてデータを吸収するというだけでなく、ロボットから人間に働きかけ、それによってまた新しいフィードバックを得ることで、より現実に即した役立つ存在になっていきます。
- 嶋
- そうして進化するロボットが生活者インターフェースとして家庭に入り、ブランドの顔を担っていくとすると、AIにも「これはA社っぽい」「こっちはB社らしい」といった個性が求められるようになるのかなと思うんですが、それは可能なんでしょうか?
というのは、ブランディングを仕事にしている僕からすると、便利で効率的なブランドに必ずLOVEを感じるかというとちょっと違う気がしていて。LOVEを得るには、どこかで非合理的なチャーミングさだったり個性みたいなものが必要になると思うので、果たしてAIもそうなっていくのだろうか、と。
- 西川
- そうですね、あと5年ほどはやはり効率化や最適化がAIの主戦場になるのは間違いないですが、私たちはその先に、嶋さんがおっしゃるような“AIが多様性を理解して表す”ことも実現するだろうと考えています。
たとえば今、ライフサイエンス領域でがんの診断にAIを活かす研究をしていますが、がんという病気は人によってまったくパターンが違い、多様性を極めているんです。そこに、ディープラーニングが持つ多様性理解の特性がうまく合致して、高い診断精度を出せています。
人の感じ方の多様性を理解するのも、これから人に関するいろいろな項目がデジタル化されていって、そう遠くない未来に実現するのではないかと思います。今進んでいるのは、人の目の動きの理解ですね、うきうきしているとかだるいとか。それこそ、学習して試してフィードバックを得て、という先ほどのループが家庭で繰り返されれば、人のバラエティが精緻にわかっていくでしょう。
「仮説を立てる」能力は、AIに置き換わらない人の強み
- 中谷
- AIもいずれ個性を発揮して、ブランディングに寄与するようになるかもしれない?
- 西川
- そういう可能性も十分ありますし、逆に中央集権的なユニバーサルモデルのAIは効率が悪い、ともいえます。たとえば国家や地域で異なる文化や言語などの情報をすべて処理しようと思ったら、計算機が足りません。AIの重要な特徴のひとつはネットワークでつながれることなので、それぞれがローカライズしながら、中央に集められた情報とも行き来することで、個性を理解したり個性が現れたりするのではないかと思います。
人の近いところにローカライズされたAIがあると、中央集権モデルよりも処理速度が速いので、よりリアルタイム性が高くなります。学習もリアルタイムでできる。人間や組織も、情報を全部中央集権的に集めて決めようとすると時間がかかるのと同じで、適切にローカル側に権限移譲することで意思決定のスピードを速くできます。
そういった部分で、家庭では必然的にローカルなアーキテクチャー、言い換えると嶋さんの指摘する個性やバラエティのあるAIになっていくのでは、とも思っています。
- 中谷
- 非常に興味深いですね。そこはまだ、開発途中なんですか?
- 西川
- そうですね、AIのローカル性はまさに注目が集まってきて、急速に技術開発が進んでいます。数年前、私たちはエッジコンピューティングという概念を提唱しましたが、今はエッジで処理させるという考え方はかなり一般的になっています。
- 嶋
- 先ほどおっしゃった、目の動きから感情を捉えてデータ化するようなことが人間とのインタラクションでどんどん進んでAIが精緻化するなら、僕ら博報堂の強みである生活者発想とのセッションに大きな可能性があると感じます。何十年も前から、人間の気持ちや感覚を一歩先回りして新しい欲望を見つけることをやってきたので、そこで培った発想やクリエイティビティはAIの開発に少なからず影響するのでは、と。
- 西川
- 私も今後、そこがすごく重要になっていくと思います。AIは急速に発展しているとはいえ、やはりまだまだ今の技術では「人間はこういうシーンではこんな行動をとるのでは」「その背景にはこんな感情がコアになっているのでは」といった仮説を立てる段階には、到底たどり着けていないんですね。
仮説が立てられれば、コンピューターはうまく振舞うことができます。でも仮説を立てるには人間を深く観察し、そこで起きていることを見出す必要がある。その一連を踏まえてコンピューターに実装するまでは、当分まだ人じゃないとできないと思います。
- 嶋
- 僕らのクリエイティビティとAIとの協業がうまくいけば、生活者インターフェース市場でより機能する設計や豊かな体験をつくれると思います。同時に、僕らのクリエイティビティもAIに負けじと進化しなければいけない。やる気が出るお話ですね。最後に博報堂に期待することと、マーケティングやテクノロジーの仕事をする方へメッセージをいただけますか?
- 西川
- 今後5年ほどは効率化や最適化が追究されるとお話ししましたが、その先は人間のクリエイティビティや人間が勉強する過程をどうやって機械が支援できるか、というところに焦点があたると思っています。そのとき、これまでずっと生活者の理解に努めてこられた博報堂の知見を私たちにぶつけてもらえれば、それがコンピューター上で出現するならこうだと返せる。それにまたフィードバックをいただく、そんなセッションをぜひしたいですね。
AI、特にディープラーニングの技術はさまざまな分野に影響を与え始めていますが、重要なのはそれ自体の成長以上に、そこにどうやってデータを入れてやるか、なんです。解決すべき問題を見出すのはやはり人の高度な能力ですし、これまでのビジネスはその能力によって支えられてきた側面が大いにあると思います。それがすぐにコンピューターには置き換わりませんが、一方でコンピューターの方が得意な部分もあるので、両方を行き来しながら、一緒に新しいイノベーションを生み出すために協調していけると嬉しいです。
この記事はいかがでしたか?
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西川 徹株式会社Preferred Networks
代表取締役社長 最高経営責任者東大大学院在学中の2006年に友人達と、前身となる株式会社Preferred Infrastructureを創業。2014年に機械学習技術のビジネス活用を目的に株式会社Preferred Networksを設立し、現職。
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株式会社博報堂 取締役常務執行役員1981年博報堂入社。主に研究開発部門で、データ・テクノロジー関連の開発・実用化等を推進。現在はマーケティングテクノロジー領域での様々な活動を主管し、その能力強化とビジネス推進を担っている。
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株式会社博報堂 執行役員
兼 株式会社博報堂ケトル 取締役・クリエイティブディレクター1993年博報堂入社。2002~04年博報堂刊「広告」編集長。2004年「本屋大賞」創設に参画。2006年博報堂ケトルを立ち上げ多数の統合キャンペーンを実施。雑誌「ケトル」の編集等コンテンツ事業も手がける。主な著書に『欲望する「ことば」~「社会記号」とマーケティング』など。カンヌクリエイティビティフェスティバル、ACC賞など多くの広告賞で審査員も務める。