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プライバシーテック×AIの最前線──統計合成データが示す「安全性と有用性の両立」
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プライバシーテック×AIの最前線──統計合成データが示す「安全性と有用性の両立」

今、勢いのあるAIスタートアップを紹介し、そのトップランナーと語り合うシリーズ対談「Human-Centered AI Challengers」の第2回は、「プライバシーDX」を推進するAcompanyの代表取締役CEO 高橋亮祐氏、取締役COO 佐藤礼司氏をお迎えします。

博報堂DYホールディングス 執行役員/CAIO 兼 Human-Centered AI Institute代表の森正弥と、Human-Centered AI Institute所長補佐の西村啓太が、Acompany社の「秘密計算」や「合成データ」をはじめとするプライバシーテックの最前線と、博報堂DYホールディングスとの「統計合成データ」実証実験の成果を伺いながら、人間中心のAI活用の未来について議論します。

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これまでのキャリアについて

本題に入る前に、まずはAcompanyの創業経緯や皆さんのキャリアについて伺いたいと思います。高橋さん、起業されたきっかけなどを教えていただけますか?
高橋
はい。私たちAcompanyは2018年に創業しました。もともとは秘密計算の技術開発からスタートして、お客様のニーズに応えていく中で、個人データや機密データの取り扱いに秘密計算技術の可能性を見出していただくケースが増えてきました。

そこでプライバシーやガバナンス周辺のケイパビリティも強化し、今ではプライバシーテックをデータ活用やAI領域に展開する事業を展開しています。

佐藤さんは途中からジョインされたそうですね。
佐藤
私は約3年前にAcompanyに参画しました。それ以前はアクセンチュアでITコンサルタントとして約10年間、ICT戦略の立案から情報システムの開発・運用までを幅広く経験し、その後、財務コンサルティング会社を経て2019年にはAIスタートアップに入社しました。

一貫してITやデータ活用、AI技術による社会課題解決に取り組んできたので、Acompanyでも機密データの課題解決を中心に、事業開発とITコンサルティングのスキルを活かして活動していますね。

Human-Centered AI Instituteとの接点についても教えていただけますか?
佐藤
約2年前、博報堂DYホールディングスさんと業務提携を結ばせていただき、その前から私たちの秘密計算技術を中心に、プライバシーや機密データの安全な取り扱いについて協業を進めてきました。

西村さんたちと新しい取り組みや課題解決のアプローチを模索する中で、合成データというテーマにも着目し、今回の実証実験につながりました。

西村
そうですね。業務提携は2022年12月20日にリリースを出しましたが、その半年ほど前から接点があり、当時まだHuman-Centered AI Instituteができる前、私がマーケティング・テクノロジー・センターの担当をしていたときに佐藤さんと初めてお会いしました。

当社グループは長年、生活者データの安全な保全と活用に取り組んでいて、その技術パートナーを探していたところでしたね。

「AI×プライバシーテック」が不可欠になる理由

生成AIの登場によってAIの活用領域が急速に広がっています。従来のAIでは人間がデータを整理して枠組みを決め、その中で分析するというアプローチでしたが、生成AIではAI自身がデータを柔軟に解釈できるようになりました。

これにより非構造化データも含めたデータ活用の可能性が広がっていますね。

高橋
おっしゃる通りです。AIの進化によってユースケースが想像以上に拡大しました。特に今、企業が求めているのは汎用的な知識だけでなく、自社の業務や知見も理解したAIです。

しかしそのためには、企業の機密データやユーザーの個人データをAIに学習させる必要があり、ここでデータ活用とデータ保護のトレードオフが生じます。

西村
私たちもデータ活用において、単に「何でもできるAI」よりも「あなたのことを知っているAI」の重要性を感じています。しかし金融や医療など機密性の高いデータを扱う業界では、データをクラウドに上げられないという制約があります。

これが多くの企業のAI活用の「ノックアウトファクター(許容できない条件)」になっているんです。

この問題は本質的なジレンマですね。AIの性能向上には質の高いデータが必要ですが、質の高いデータほど機密性やプライバシー上の懸念が生じる。特に個別の業務やドメイン、部門に特化したAIを作ろうとすると、この矛盾がより鮮明になります。

だからこそ「プライバシーテック」が注目されているわけですね。

プライバシーを守りながらAIの高性能さを両立

高橋
プライバシーテックの中核技術の一つが「秘密計算」です。これは暗号化したままデータを処理できる技術です。従来の暗号化ではデータを分析する際には一度復号する必要がありましたが、秘密計算ではその必要がなく、暗号化されたまま高度な処理ができます。

最近の代表例としては、Appleの「Apple Intelligence」があります。

何が特徴的なのでしょうか。
高橋
Appleはプライバシー保護を企業価値の軸としていますが、生成AIの性能を高めるにはクラウドの計算リソースが必要です。そこで彼らは端末からクラウドへデータを送る際に秘密計算を組み込み、データが暗号化されたまま処理されて戻ってくる仕組みを実現しました。

ユーザーのプライバシーを守りながらAIの高性能さを両立させる好例です。

佐藤
もう一つ重要な技術が「合成データ」です。これは元データの特性や特徴を模倣した人工的なデータです。AIの第3次ブーム頃から注目されてきましたが、生成AIの登場でさらに重要になっています。

特にGDPRなど厳格なプライバシー規制がある欧州では、元の個人情報ではなく合成データを使うことで、プライバシーを保護しながらAI学習ができるというメリットがあります。

合成データは、元データの統計的特性を保ちながら、個人を特定できないようにする高度な技術です。今回の実証実験においても重要な文脈です。

安全性と有用性のバランスが重要

佐藤
今回行った、博報堂DYホールディングスとの実証実験では、「統計合成データ」の有用性と安全性を検証しました。

合成データの生成には大きく2つのアプローチがあります。一つは元データから直接機械学習モデルを学習させて合成データを生成する「機械学習直結型」。もう一つは元データを一度統計情報に変換してから合成データを生成する「統計経由型」です。

西村
当社では従来から統計データを活用してきましたが、限界も感じていました。私たちが扱う調査データは数十万ID程度ですが、広告配信では数億レコードを扱います。また調査データは「聞いていないことは分からない」という制約もあります。

そこで統計データと合成データを組み合わせることで、これらの課題を克服できないかと考えました。

統計データの限界は理解できます。10年前なら平均値を代入したり、データを複製したりする手法でも対応できましたが、今はより高精度な手法が求められています。

合成データの課題は「安全性と有用性のバランス」だと思いますが、どのように評価されたのでしょうか?

佐藤
安全性を高めるためにデータをより分かりづらくすると有用性が下がり、有用性を追求すると個人特定リスクが上がります。そのため、本実証では有用性・安全性の両面で評価を行いました。特に安全性の部分は、社会的にも標準的な評価指標や基準が定まっていない部分もあり、多角的に複数の指標を用いて評価を行いました。

今回は技術面では群馬大学の千田准教授、法務面では渡邊弁護士に評価のアドバイスをいただきました。

擬似的な世界を作り出す

西村
実験結果で興味深かったのは、統計経由型の合成データが予想以上に元データの傾向を保持していたことです。「ビールを飲む人の年代分布」といったクロス集計でも、大まかな傾向が維持されていました。

当初は機械学習直結型の方が精度が高いと予想していましたが、実際には統計経由型も十分な精度を持っていたんです。

高橋
これを理解するには「パラレルワールド」という例えが分かりやすいかもしれません。例えばドラえもんの世界で言えば、マンガとして抽象化されたエッセンスからAIが新たにその世界(ドラえもんのような世界観やキャラクター)を再現するような感じです。

元の世界と似ているけれど、同一ではない擬似的な世界を作り出すわけです。

その例えは非常に分かりやすいですね。データの安全性を担保しながらも、統計的な有用性は保たれている。単純なマスキングや乱数置換だけでは達成できない、高度なバランスが実現できているわけですね。
佐藤
はい。そして「2%の確率で元データが推測できる」といった数値評価だけでは、その2%が許容範囲なのか重大なリスクなのか判断が難しい。

そこで今回は技術と法律の両面から多角的に評価し、実用可能性を検証した経緯がありました。

「同意ボタン」は形骸化している

佐藤
ここで一転して、グローバルな視点でプライバシー規制に関して触れると、EUのGDPRは世界的な影響力を持っています。興味深いのはGDPRでは「同意取得」よりも「適正な処理」に重点が置かれていることです。

企業が技術的にプライバシーを保護していれば、必ずしも個別の同意だけに依存する必要はないという考え方です。

その点は日本との大きな違いですね。日本では同意原則があるのですが、ケースによってはこれが問題になることもあります。例えば、長い規約を読まずに同意ボタンを押すだけの「約款同意」のようなものです。同意することが当たり前のようなUIになっていてユーザーが気づいたらプライバシーの提供や利用について相当のことに同意をしていることになっている。それでは、本当の意味でのプライバシー保護になっていないのではないか、ということですね。それを踏まえると、技術的な保護と適切なガバナンスの両立が必要です。
西村
同感です。現在の「同意疲れ」の状況は、生活者にとっても企業にとっても好ましくありません。同意したからと言って、生活者が本当に理解し、主体的に関与しているわけではないんです。
高橋
私自身も日常生活でそれを実感します。不動産契約などで個人情報の取り扱いについて同意を求められても、後から変更や破棄のリクエストは実質的に難しい。

私たちはいわゆる「プライバシーの自動運転」を目指しており、これはユーザーが特に意識しなくても技術的に保護される状態です。車の自動運転のように、専門知識がなくても安全に利用できる環境を作りたいと考えています。

日本はプライバシーテックで逆転を

西村
そういった文脈においては、実は秘密計算は日本が強みを持つ分野なんです。日系大手企業が先行して技術研究・実装を進めており、世界的にも高い評価を得ています。以前は「技術的に重要だが用途が限られる」と言われていましたが、AI時代を迎えて具体的なユースケースが明確になってきました。

これは日本にとって大きなチャンスですね。生成AIやLLM開発では米中に後れを取りましたが、プライバシーテック領域では日本の優位性を活かせる可能性があります。ただ技術だけでなく社会実装も重要で、生活者との対話や共創を通じた価値創造が不可欠です。

例えばスマートシティのAI活用では、開発者と自治体だけでなく市民も巻き込むべきでしょう。

佐藤
私たちが取り組んでいるのは、国家機密や企業の重要情報、医療・金融データなど高い秘匿性を持つデータの安全な活用です。これらの領域では、データ活用のニーズがあってもプライバシーリスクから二の足を踏むケースが多いんです。

プライバシーテックで安全性と有用性を両立できれば、新たな価値創造が可能になります。

高橋
Appleのような大企業だけでなく、あらゆる組織がプライバシーを保護しながらAIを活用できる環境を整えていけたらいいですね。日本の技術的蓄積を活かして、グローバルでの競争力獲得につなげられると信じています。

プライベートな視点から見るテクノロジーと社会

最近興味を持っていることや趣味について教えてください。
高橋
私はポケモンの対戦が趣味で、一時期は世界ランキング10番台に入るほど熱中していました。実はポケモン対戦では環境分析や相手の戦略予測など、ビジネスと似た思考が求められるんです。しかし興味深いのは、上級者になるほど個性よりも強さを追求し、結果的に皆が同じパラメータのポケモンを使うようになる点です。

これは技術の標準化とプライバシーの関係にも通じるかもしれません。

ポケモンとAIの類似性は面白いですね。どちらも「学習して成長する」という共通点があり、多様性と標準化のバランスという課題も共通しています。AIでも特定の学習方法が主流になると、結果の多様性が失われる可能性がありますね。
佐藤
私はNetflixのドキュメンタリーをよく見るのですが、「ケンブリッジ・アナリティカ」の事例は私たちの仕事と直結していて衝撃的でした。大量の個人データが政治キャンペーンに利用され、「投票に行かない」運動を特定層に仕掛けるなど、テクノロジーの危険な使われ方が明らかになりました。

こういう事例を見ると、プライバシーテックの社会的責任の重さを再認識します。

プライバシーテックが開く未来

最後に、皆さんの今後の展望を教えてください。
西村
データの活用と保護は表裏一体です。Acompanyさんとの協業を通じて、安心・安全なデータ活用のエコシステム構築に貢献していきたいと考えています。今回の実証実験で得られた知見を実用化へとつなげていきたいですね。
佐藤
統計合成データの実証実験は一つのマイルストーンですが、まだ可能性の一部を示したに過ぎません。技術と法律の両面からアプローチし、社会実装を進めていきます。
高橋
秘密計算や合成データといったプライバシーテックを活用し、データ利活用とプライバシー保護の両立を支援していきます。
今日の対談を通じて、プライバシーテックがAIの可能性を広げる鍵だと実感しました。博報堂DYグループとしても、生活者視点からこの課題に取り組んでいきます。

本日はありがとうございました。

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  • 高橋 亮祐
    高橋 亮祐
    株式会社Acompany 代表取締役CEO 
    名古屋大学 在学中に株式会社Acompanyを創業。セキュアマルチパーティ計算による秘密計算の実用化に注力。2021年Forbes 30 Under 30 JAPANに選出。22年には「Forbes 30 Under 30 Asia(アジアを代表する30歳未満の30人)」へ選出。同年、プライバシーテック協会を設立し、会長に就任。
  • 佐藤 礼司
    佐藤 礼司
    株式会社Acompany 取締役COO 
    アクセンチュア株式会社に入社後、約10年間でICT戦略の立案から情報システムの開発・運用を幅広く経験。財務コンサルティング会社を経て、2019年3月株式会社エクサウィザーズに入社し、事業開発を担当。22年2月より現職。
  • 株式会社博報堂DYホールディングス 執行役員/CAIO
    Human-Centered AI Institute代表
    外資系コンサルティング会社、インターネット企業を経て、グローバルプロフェッショナルファームにてAIおよび先端技術を活用したDX、企業支援、産業支援に従事。東京大学 協創プラットフォーム開発 顧問、慶應義塾大学 X Dignity(クロス・ディグニティ)アドバイザリーボードメンバー、日本ディープラーニング協会 顧問。著訳書に、『ウェブ大変化 パワーシフトの始まり』(近代セールス社)、『グローバルAI活用企業動向調査 第5版』(共訳、デロイト トーマツ社)、『信頼できるAIへのアプローチ』(監訳、共立出版)など多数。
  • 株式会社博報堂DYホールディングス
    Human-Centered AI Institute所長補佐
    The University of York, M.Sc. in Environmental Economics and Environmental Management修了、およびCentral Saint Martins College of Art & Design, M.A. in Design Studies修了。
    株式会社博報堂コンサルティングにてブランド戦略および事業戦略に関するコンサルティングに従事。株式会社博報堂ネットプリズムの設立、エグゼクティブ・マネージャーを経て、2018年より博報堂DYホールディングスにて研究開発および事業開発に従事。

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