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スポーツデータ×AI活用、未知の領域へ ──Sports Technology Labのチャレンジ
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スポーツデータ×AI活用、未知の領域へ ──Sports Technology Labのチャレンジ

博報堂DYホールディングスと博報堂DYメディアパートナーズは、2019年1月にスポーツテクノロジーの研究・開発を行う株式会社Sports Technology Lab(以下、STL)を設立しました。その第一弾のプロダクトが、世界トップレベルのディープラーニング技術をもつPreferred Networks(以下、PFN)と共同で開発した「PitchBrain」です。データやテクノロジー活用がいよいよ重視されるようになっているスポーツ界に、STLはどのように一石を投じようとしているのか──。STLの木下陽介、加藤健太、PFNの鈴尾大地氏の3人のキーパーソンに話を聞きました。

「オフ・ザ・ボール」のプレイをAIで分析する

木下
博報堂DYグループはこれまで、広告・マーケティングをはじめとするさまざまな領域でデータ活用を進めてきました。その知見をスポーツの領域にいかすために設立したのがSTLです。さまざまなスポーツ競技のデータの収集・蓄積・分析を行っている、博報堂DYグループのデータスタジアムと協力しながら、スポーツ界におけるデータ活用やAI活用を推進していくことを目指しています。

──現在はサッカーをテーマにした取り組みを進めているとのことですが、まずサッカーにフォーカスした理由は何だったのですか?

木下
これまで、サッカーの試合における選手の評価は「オン・ザ・ボール」、つまりボールをコントロールしている選手、ボールに触れている選手を対象にしたものにほぼ限られていました。しかし、一試合のうちに一人の選手がボールに触れている時間は平均で1~2分程度しかないと言われています。相手選手をマークして動きを封じたり、パスコースまで走ったりする「オフ・ザ・ボール」のプレイのほうが、圧倒的に長いんです。しかし、そのプレイを分析する手法はこれまでほとんどありませんでした。
加藤
スタジアムに数台のカメラをつけて、両チームの選手の動きを捉えたトラッキングデータはありますが、ピッチにいる22人全員の動きを分析することは、海外のクラブチームでも実現できていないのが現状です。
木下
そこで、オフ・ザ・ボールも含めた選手の動きをAIのディープラーニングを使って分析できないかと考え、世界トップレベルのディープラーニング技術を持つPFNに相談させていただきました。
鈴尾
私たちとしても、ディープラーニング技術をさまざまな領域に適応させて、新しいソリューションやサービスをつくっていきたいと考えていたところだったので、「ぜひ!」という感じでした。私自身スポーツがとても好きなこともあって、エンジニアとしてこのプロジェクトに参加させていただきました。

──それぞれの役割についてもお聞かせください。

加藤
AIを活用するには大量の教師データが必要になります。そのデータを用意するのがデータスタジアムの役割です。
鈴尾
私たちは、そのデータを使ってサッカーにおけるディープラーニング活用のモデルをつくりました。これまでなかったモデルなので、どういうデータが有効かを木下さんや加藤さんらと話し合いながら、一からモデルをつくっていきました。
木下
私の役割は、データとAI技術とサッカーのそれぞれを結びつけて、適切な問題設定をしていくことでした。STLを立ち上げてから欧州に何度か行ってスポーツ関係者の話を聞いたのですが、データとテクノロジーとスポーツの3つをつなげることができる人は実は非常に少ないことがわかりました。博報堂DYグループは主にマーケティングの領域で、「さまざまな専門分野をもつ人たちが、互いに理解し合える共通言語をつくること」に一貫して取り組んできました。そのノウハウがこの分野でも使えることがわかりました。
鈴尾
スポーツと技術の両方について真剣に議論できるのが、この取り組みの面白いところですよね。広告会社でありながら、テクノロジーにも精通している。そこが博報堂DYグループならではだと感じています。

2つのアルゴリズムと3つの機能

木下
この4月にSTLの第一弾プロダクトである「PitchBrain」のβ版を発表しました。これは「類似度判定」と「姿勢推定」という2つのアルゴリズムと、それをもとにした3つの機能、すなわち「動画シーンの検出」「チームスタイルの判定」「パスコースの判定」を実現するツールです。
まず、「類似度判定」ですが、これは22人の選手の位置を把握するだけで、今どんなプレイが行われようとしているのかを自動的に判定するものです。
鈴尾
「局面を理解するアルゴリズム」と言えばわかりやすいかもしれません。サッカーの局面は「攻撃」「攻撃から守備」「守備」「守備から攻撃」といった4種類に大別できます。それらをさらに細分化して状況を理解するために、例えば、ポゼッションしているのかサイドチェンジをしているのか、あるいはプレッシングをしているのかリトリートしているのかなど、攻撃や守備の状況変化を選手の位置から推定し、その「局面の意味」を言い当てることができるわけです。
木下
そのアルゴリズムを活用した機能が「動画シーンの検出」です。これまでは、チームのアナリストが動画を見ながら、一つ一つのシーンにタグを人力でつけて検索できるようにしていました。その作業には、一試合で7時間くらいかかると言われています。しかし、「PitchBrain」を使えば、30分くらいでシーンの検出が可能になります。それによって業務が効率化し、より深い分析に時間を充てることができるようになります。
加藤
「類似度判定」を活用したもう一つの機能が「チームスタイルの判定」です。欧州のクラブチームでは、試合における選手の動きをさきほどの4つの局面に当てはめチームのスタイルを定義するという方法論を用いています。その分析を自動的にできるのが、「PitchBrain」の特長です。

──二つめの「姿勢推定」はどのようなアルゴリズムなのですか。

加藤
選手の体の向きを自動的に判定できる技術です。これまでは、映像から選手の「位置」をトラッキングしたデータはありましたが、それぞれの選手が「どの方向を向いているか」を把握できるデータはありませんでした。それを選手の骨格分析から明らかにするのが「姿勢推定」のアルゴリズムです。
木下
選手の向きがわかれば、どの選手にパスを出せるかがわかりますよね。それが「パスコースの判定機能」です。

──これらのアルゴリズムと機能を実現するに当たって、最も難しかったことは何でしたか。

鈴尾
プレイによって試合の中での出現率や出現する長さは異なります。例えばよく発生する味方との単純なパス交換のようなプレイと、比較的発生頻度の少ないサイドチェンジのようなプレイの比率は、試合によっては100対1から1000対1くらいになることさえあります。その両方のプレイを正しく判定できるモデルをつくるのが大変でしたね。
加藤
AIの精度を上げるには、大量の教師データが必要になります。発生頻度の高いプレイと低いプレイでは、教師データの量に圧倒的な差があるので、その精度を揃えるのは非常に難しいわけです。
鈴尾
しかもサッカーでは、発生頻度が少ないプレイが戦術的に重要ということが往々にしてあります。あらゆるプレイの分析に活用できる精度を実現すること。それが高いハードルだったと言えます。
木下
プレイの定義にも時間がかかりましたね。「ここからここまでがこのプレイ」と定義して、それに沿って教師データを抽出して、アルゴリズムを開発するという作業に試行錯誤しながら取り組みました。

選手の客観的評価を実現するテクノロジー

木下
「PitchBrain」は主に3タイプのユーザーにお使いいただけると考えています。まず、クラブチームのアナリストです。次の対戦相手を分析したり、自チームの現在の戦術がうまく機能しているかを把握したりするのに「PitchBrain」は非常に有効です。
次に想定されるのが、クラブチームのGM(ゼネラルマネジャー)です。GMの重要な役割はチームの選手を評価することですが、これまで選手の評価は多くの場合、属人的でした。得点数や一試合における走行距離といった定量的な指標もありますが、それ以外の指標はほとんどありませんでした。
加藤
とくにオフ・ザ・ボールのプレイを評価する指標はほぼなかったと言えます。例えば、「パスの引き出し方がうまい」とか「マークの外し方がうまい」といった評価はあっても、その多くは主観的な評価です。
木下
「PitchBrain」を使えば、さまざまなプレイの成果を可視化し、定量化して、全選手を公平かつ正確に評価できます。可視化されたデータに基づいた評価軸ができれば、選手の移籍や獲得に役立てることが可能になることを期待しています。

──移籍市場に大きなインパクトを与える可能性のある技術と言えそうですね。

木下
まさにおっしゃるとおりで、よく報道されるとおり、サッカー選手の移籍市場では非常に大きなお金が動きます。そこにおける判断軸を提供できるのはとても意義のあることであると考えています。
さらに、放送業界やメディアの皆さんにもお使いいただけると考えています。試合をレポートする際に「PitchBrain」の動画シーン抽出機能を使えば、ゴールやシュートシーン以外で何が起こったかをすぐ検索できるので、番組制作の支援につながると思っておりますし、パスコース分析などによりパスコースを作るのが上手な選手の指標としてメディアで取り上げていただくことも想定しています。

──現在はβ版とのことですが、今後追加されていく機能もあるのでしょうか。

加藤
個々の選手を評価する機能をさらに強化していきたいと考えています。試合中の選手の位置情報に、例えば心拍数などのバイタルデータ(生体情報)を組み合わせることができれば、選手のパフォーマンスをより緻密に分析することが可能になります。さらにそこから選手の市場価値の推定や、若い選手が将来的にどのくらいバリューアップしていくかの予測などができるようになれば、チームにとってかなり有用なツールになるはずです。
木下
来年(2020年)のJリーグ開幕までには、正式な国内版のサービスローンチをしたいと考えています。さらに、海外のデータがある程度揃った時点で、海外リーグやクラブチーム向けの製品も販売していく見通しです。

世界で戦えるソリューション

木下
今後、「PitchBrain」はいろいろな競技への横展開をしたいと考えています。とくに、バスケットボール、ラグビー、ホッケーといったチーム競技への応用が可能だと思います。
加藤
スポーツにおけるデータ活用はどの競技でも必須になっています。とくに近年はハードやソフトの発達でデータを取りやすくなっていることもあって、データ活用の可能性が広がっています。
しかし、野球、テニス、バレーボールなど、プレイが途中でブレイクする競技に比べて、サッカーやラグビーなど、試合時間中の中断が少ない競技はデータ活用が難しいとこれまでは言われてきました。また、サッカーやラグビー、バスケには「相手選手とのぶつかり合い」という要素もあります。つまり、相手選手の動きがプレイを大きく左右するわけです。それがパフォーマンス分析を難しくしていました。
そのようなハードルを越えて、さまざまな競技のデータ活用に道を開くのが「PitchBrain」であると私たちは考えています。今までのスポーツデータアナリティクスにはなかった未知の領域に進んでいるという実感がありますね。
鈴尾
ディープラーニング技術の活用という点から見ても、これまでになかった方法を実現できていると思います。世界中に優れた技術はたくさんあるのですが、それをどう応用していくかというところに一つ大きなハードルがあります。STLの強みは、三社の協業によってそのハードルを越えていける点にあると思います。これからもスポーツにおける新しいディープラーニング活用に取り組んでいきたいですね。
木下
欧州でいろいろな人と話してきて、「PitchBrain」は世界で戦えるソリューションであると実感しています。世界を視野に入れて、これからもチャレンジを続けていきたいと思います。
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  • Sports Technology Lab
    2002年博報堂入社。以来、マーケティング職・コンサルタント職として、コミュニケーション戦略、ブランド戦略、ダイレクトビジネス戦略業務に携わる。2010年より現職で、データ・デジタルマーケティング領域、AI、ARVR領域に関わるサービスソリューション開発、アライアンス推進業務にも従事。また、コンテンツ起点のビジネス設計支援チーム「コンテンツビジネスラボ」のリーダーとして、特にスポーツと音楽を中心としたコンテンツビジネスの専門家としても活動中。2018年11月よりSportsTechnologyLabのchief product officer/analistとして従事。
  • Sports Technology Lab
    1981年生まれ。東京大学卒業後、システムインテグレーターにてSEとして官公庁向けシステムの開発に従事。その後、ITベンチャー企業にてCTOとしてモバイルWebサービスの開発に携わり、2014年1月にデータスタジアムへ入社。現在は、サッカーのチーム向けに提供する分析データやソフトウェアの製作/提供、データの管理および分析用データの抽出/生成などを担当している。2018年11月よりSports Technology Labを兼務する。
  • 鈴尾 大地
    鈴尾 大地
    Preferred Networks
    1989年生まれ。2014年名古屋大学大学院博士前期課程修了後、大手Web企業を経て2016年9月Preferred Networks入社。エンジニアとして自動運転のためのコンピュータビジョン技術の研究開発、組み込み実装のための検討等に従事。現在はスポーツ解析プロジェクトで主にサッカーの局面理解アルゴリズムの研究開発に取り組む。