【WE AT連載・産官学で挑む社会課題とビジネス 第1回】 生成AIで沸く半導体にみる社会課題と産業の結節点(後編)
博報堂ミライの事業室は、新規事業開発をさらに推し進める一手として、東大や京大などと共同で一般社団法人WE AT(ウィーアット)を設立しました。WE ATは、グローバルな社会課題に挑むスタートアップや未来の起業家を産学官連携で後押しするためのイノベーションエコシステムづくりを進める法人です。本連載では、WE ATの理念や取組に共感いただいているゲストとの対話を通じて、社会課題解決の新規事業を両立するヒントを探ります。第一回は、生成AIで注目を集める半導体分野の第一人者として、2024年度から東大特別教授に就任された黒田忠広先生と同研究室の小菅敦丈先生を訪ね、ミライの事業室でスタートアップ協業やエコシステム推進に取り組む秋本とWE AT事務局長諸岡が、社会課題やエコシステム、産業づくりについて語らいました。
前編はこちら
黒田 忠広氏
東京大学 特別教授
小菅 敦丈氏
東京大学大学院工学系研究科
附属システムデザイン研究センター 講師
秋本 義朗
博報堂 ミライの事業室 室長補佐兼事業開発部長
諸岡 孟
博報堂 ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター
一般社団法人WE AT事務局長
九州から世界へ、東京から世界へ
- 秋本
- 熊本にはTSMCだけでなく、国内の半導体メーカーの工場もあります。半導体関連の拠点が熊本ふくむ九州に集積しているのは、どのような背景があるのでしょうか?
- 黒田
- 地理的な要因が大きいですね。熊本から半径2500kmの円を描くと、台北、ソウル、北京、上海、東京、千歳がその円にすっぽり入ります。深圳まで入れようとすると半径をもう少し大きくしないといけないけれど、それでもアジアのハイテク産業や交通の要衝がほぼすべて入ってしまいます。各都市の時差は1時間以内です。かたや、アメリカで半導体投資が進んでいるアリゾナを中心に円を描こうとすると、先端半導体の研究開発拠点がある東海岸を入れるには4500kmくらいの半径にしなければなりません。しかも時差は3時間あります。つまり、アジアの半導体産業は非常にコンパクトにまとまっていて、その中心に九州があるということです。九州は昔からアジアに開かれた日本の玄関でした。その底力が、半導体が再びの春の時代を迎えて発揮されつつあるということです。
- 諸岡
- 熊本・九州を拠点に国内をネットワークしつつグローバルへ。半導体はグローバル産業ですから、世界にむけての拠点づくりが重要ということですね。
- 黒田
- 熊本県立大学は「地域に生き、世界に伸びる」というスローガンを掲げています。英語で言えば、「Think globally, act locally」です。素晴らしいスローガンですが、実践することは簡単ではありません。熊本に生きることとグローバルに活躍することをどう両立すればいいのか。その答えが見つかりつつあります。熊本が世界の半導体製造の1つの中心地となったからです。熊本という地域にいながら、世界に向けて伸びていける環境がようやく整ったわけです。熊本県立大学の理事長という立場で、その環境のポテンシャルを大いに生かしていきたいと思っています。
- 諸岡
- 僕らWE ATとしてぜひ参考にしたい考え方です。WE ATの「T」はTokyoを表していて、東京を拠点に国内をつなぎつつ世界へと向かい、グローバルな社会課題に対峙することを掲げています。その実現に重要な役割を果たすのが戦略パートナーであるTIBとJETROです。TIBは、東京都の運営する国内外スタートアップやその支援者が結節する一大拠点「Tokyo Innovation Base」であり、5月のWE AT発足の際はTIBとの共同開催イベントを行いました。JETROはかねてより国内外スタートアップの往来を支援しているプロフェッショナルです。WE ATはこうしたパートナーと二人三脚で、世界とつながるエコシステム拠点づくりを進めています。
DIYのように半導体をつくれたら?民主化が叶える産業の広がり
- 秋本
- アカデミアの取り組みをどうやって具体的なビジネスにつなげていくか。それが今後は大きな課題になっていくと思います。その流れをうまくつくっていかないと、優れた技術があってもそれを日本の資産にしていくことはできません。その点で、アカデミアと僕たちのような民間企業のコラボレーションは今後ますます重要になっていきそうです。
- 黒田
- 知的価値をマネタイズしていくということですよね。確かに、それはこれからの課題だと思います。モノにはそれぞれに価値があります。モノの価値は重さで測れます。重量単価と出荷重量を掛け合わせると、市場が求まる。これは昔から変わっていません。かたや半導体はどうか。重量単価は変わっていないのですが、微細化の研究開発を繰り返すことで、市場が拡大している。AIチップの時代になると、重量単価も価格は上がっています。つまり、半導体はもはやモノではないということです。半導体市場を支えているのは知的価値です。誰もシリコンにお金を払っているわけではありません。半導体が生み出す知的価値にお金を払っているのです。半導体はスマートフォンに搭載されることで、さまざまな知的価値を生み出しました。では、どうすれば次の新しい知的価値を創出することができるか。それを考えるのは、これからの時代を切り拓く皆さんの役割です。
- 秋本
- 黒田先生は「半導体の民主化」という考え方を提唱されています。これまで半導体業界に関わって来なかった人たちに半導体が開放されることで、今まで想像もしなかったユースケースが生まれ、半導体産業が拡大していく。それが半導体の民主化ということですね。
- 黒田
- そのとおりです。現在進行しているのは半導体の独占化です。これに対抗するのが半導体の民主化という考え方です。多様なプレーヤーがそれぞれのニーズに応じて自分たちの半導体をつくり、独自に活用していこう。言わば、みんなが「俺の半導体」を手にできるようになろう。そんな考え方です。一方、専用半導体を独自に開発できるプレーヤーは限られています。数百億円規模のコストがかかるからです。また、それを設計して実装できるようになるまでには、現在では最低でも2年はかかります。目の前のニーズが叶うのは2年後というのではあまりに遅すぎます。お金と時間。この2つのハードルをいかに越えるか。その研究に取り組んでいるのが小菅先生です。
- 小菅
- 黒田先生がおっしゃるように、半導体チップをつくるには膨大なお金がかかります。アメリカの大学でも、教授が巨額の予算を獲得することができれば研究室で独自の半導体づくりができますが、予算がなければどうしようもありません。
今僕たちが取り組んでいるのは、できるだけ少ないコストで半導体を開発できる仕組みづくりです。1つの試みは、ベースとなる部分をつくっておいて、そこからユーザーがカスタマイズしていくという方法です。つまり、一から開発するのではなく、「半カスタム」「半テーラーメイド」で独自の半導体をつくっていくという考え方です。この方法であれば、コストは従来の10分の1程度に圧縮できます。このプロジェクトを文部科学省が支援してくれることになり、研究室の学生が自分のチップをつくれる環境が整いました。
もう1つお金がかかるのは、半導体設計に必要なソフトウェアです。現状では、設計用ソフトはほぼ2社による寡占状態となっていて、非常に高い価格で提供されています。そこで僕たちは、オープンソースEDA(Electronic Design Automation)と呼ばれるオープンソフトを使うことで、その課題を解決しようと考えています。しかし、オープンソフトは性能が格段に劣るので、AIなどのテクノロジーを活用してそれをカバーしなければなりません。それがうまくいけば、半導体の民主化は一気に加速すると考えています。
- 黒田
- 今は、それほど専門的な教育を受けた人でなくても、ソフトウェアのプログラムを書いたり、プラットフォーム上でアプリをつくったりできるようになっていますよね。DIYという言葉がありますが、普通に働いている人が休みの日に半導体をつくって、それを必要としている人に届けて、その半導体を手に入れた人がそれを活用して知的価値を生み出す。そんな世界を僕は思い描いています。それを実現するためには、半導体のフィールドへの参加者を増やしていかなければなりません。たくさんの脳が集まり、アイデアとアイデアが結びついて新しいものが生まれる。それがイノベーションです。
- 諸岡
- 思いもよらない用途が考案され、DIYの半導体で次々と実現されている。そんな光景が日常茶飯事になれば、産業規模はいっきに広がっていきそうです。
生成AIの普及がもたらす環境エネルギー問題
- 諸岡
- 現在の半導体の多くは汎用的なもので、いろんなことに使える反面、個々の用途から見ればオーバースペックであり、エネルギー効率も悪いという面があるわけですよね。特に最近では生成AIの普及で将来の電力不足が懸念されていますが、用途を絞った専用半導体を開発できれば、スペックを最適化しエネルギー消費を抑えることができるのでしょうか?
- 黒田
- 2030年ぐらいまでに、世界の電力消費量が供給量を上回ることが確実視されています。とくに電力が足りなくなると考えられているのがアジアです。現在の電力の構造を何とかしないと、そこら中でしばしば停電が発生する世の中が早晩やってきます。地球環境のことを考えても、エネルギー効率を改善することは必須です。
僕は半導体の専門家なので、半導体の領域でその取り組みを進めたいと思っています。個々の用途に合わせた専用半導体ならば、エネルギー効率を10倍も100倍も高めることができます。
- 諸岡
- WE ATにおいても、地球環境問題は主要テーマの一つとして挙げています。前編でお話したグローバルピッチイベント「WE AT CHALLENGE 2024」では、3つの重要分野を設定してエントリーを募集しました。そのうち1つは「GLOBAL LIVEABILITY」と題し、地球温暖化の解決に資するビジネスの提案を募ったところ、想定を上回る数の熱量高いエントリーを国内外からいただくことができました。
WE AT CHALLENGE 2024「GLOBAL LIVEABILITY」の詳細はこちら →→ https://we-at.tokyo/challenge/
大切なことは、環境意識が高いといわれる欧米だけでなく、いまや日本においても、環境問題が社会的責任やコストとして位置付けられてしまう時代から、ビジネスチャンスとしてポジティブに取り組む時代に情勢が移り変わってきているということです。
- 黒田
- 半導体においては、その製造プロセスも環境問題とは切っても切り離せない関係にあります。半導体は、表面を加工するたびに純度の高い水で洗浄しなければなりません。その工程を何十回も繰り返すので、大量の水が必要とされるのです。熊本県にTSMCが工場をつくったのは、水が豊富にあるからです。熊本には阿蘇山の火山灰が堆積してできた地層があって、その層で濾過された雨水が地中に大量に蓄えられています。その環境が半導体生産に適しているわけです。
しかし、無尽蔵に水を使い続ければ、いずれ地下水は枯渇してしまうかもしれない。そうならないようにするためには、環境を理解し、環境を守りながら工場を稼働させていく仕組みをつくらなければなりません。その実現に資するアセットとして、僕が理事長を務める熊本県立大学にある環境共生学部という学部があります。熊本の地下にはどのくらいの水があるのか。どうすれば水を節約できるのか。水以外の液体を使うことはできないか──。そういったことは、工学部の研究テーマにはなりませんが、環境共生学部にとってはど真ん中のテーマです。環境共生学部で半導体づくりと環境保護の両立について学習した人材が半導体業界に入ることで、日本の半導体産業を未来に向けて大きく成長させることができる。僕はそう考えています。
大学が起点となり主体となって新たなイノベーションの形がうまれる
- 諸岡
- これからの時代、各地の大学が、熊本県立大学のように独自の個性を追求していくことが必要になりそうですね。
- 黒田
- 長らく日本の大学のベースとなっていたのは、富国強兵の思想でした。集団で働く人材を大量に育成することが国を強くするという思想です。しかし繰り返しになりますが、これからの日本に求められるのは多様性です。多様な人材を育成するには、大学自体も多様になっていかなければなりません。おっしゃるように、それぞれの大学が独自の価値を追求していくことがこれからは求められると思いますね。
- 諸岡
- 僕たちはこれまで、東大の研究者の皆さんのお話をうかがって、新規事業や新しい価値の創出の可能性を探ってきました。そしてWE ATには、東大に加えて京大および旧東京医科歯科大(2024年10月に東京科学大に統合)が社団法人の発起人として参画していますし、さらに日本中および海外の大学との連携も進めているところです。今後はいろいろなアカデミアの方々と対話をしていくことで、そこから多様な視点を得てこれまでになかった事業のタネを生んでいきたいと思います。
- 小菅
- 大学の果たす役割は拡張しつつあると思います。学生むけ起業プログラムや起業後のスタートアップ支援なども、さまざまな種類のものが登場しています。起業に関心をもつ学生、起業を通じて研究を社会に還元したいと考える研究者も増えてきているように感じます。大学が起点となり主体となってスタートアップや新規事業などイノベーションがうみだされる光景が、今後はもっともっと見られるようになるでしょう。
- 秋本
- そうした取り組みは日本中にまもなく浸透するでしょうし、その結果イノベーション界隈の力学が変わっていくと考えています。新しい形、新しい種類のイノベーションが登場してくると思います。
- 黒田
- 東大のような場所から1人の突出した人材が育って、その人が新しいビジネスを生み出し、場合によっては国の先行きに影響を及ぼすことはありえます。台湾ではモリス・チャンがそういう人でした。TSMCという巨大企業をつくり上げ、その企業が台湾に大きな国益をもたらしています。国や産業の未来を切り開いていくには、そういう人材も確かに必要です。しかし、そういう人はめったに出てこないし、そういう人が1人だけいても世の中は変わっていきません。多様な人材が多様なアイデアを持ち寄って、いろいろなことを試しながら、新しい価値を生み出していくこと。多様性に富んだ「森」をつくっていくこと。それがこれからの日本には求められると思います。
- 諸岡
- そうした多様性ゆたかな森づくりこそWE ATの果たすべき役割であり、そのためには多くの立場の人たちとの対話やアクションの積み重ねで実現していきたいと考えています。本日は貴重な対話の機会をありがとうございました!次はWE ATの森づくりの現場でお会いしましょう。
- 黒田
- はい、WE ATとの連携も楽しみにしています。ありがとうございました。
- 秋本
- 本日はありがとうございました!
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黒田 忠広 氏東京大学 特別教授
熊本県立大学 理事長東芝研究員、慶應義塾大学教授、カリフォルニア大学バークレー校教授、東京大学教授を歴任。研究センターd.labと技術研究組合RaaSを設立。技術研究組合LSTCの設計技術開発部門長。福岡半導体リスキリングセンター長。2024年より東京大学特別教授、および熊本県立大学理事長。米国電気電子学会と電子情報通信学会のフェロー。半導体のオリンピックと称される国際会議ISSCCで60年間に最も多くの論文を発表した世界の研究者10人に選ばれる。著書の『半導体超進化論』は、英語、中国語(簡体字と繁体字)、韓国語に翻訳されている。
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小菅 敦丈 氏東京大学大学院工学系研究科附属システムデザイン研究センター 講師慶應義塾大学電子工学科にて近接場結合を用いた半導体集積回路設計技術の研究に従事。2016年9月に博士課程を修了。日本学術振興会特別研究員を経て、2017年4月に株式会社日立製作所入社。ロボットや産業機器向けエッジ AI技術の研究開発に従事。2020年にソニー株式会社入社。新規イメージセンサ向け AI技術の開発に従事。2021年より東京大学大学院工学系研究科附属システムデザイン研究センター講師。AIが招く電力危機を解決するべく低消費電力 AIプロセッサ技術、3次元チップ集積技術の研究開発に取り組む。慶應義塾大学大学院博士課程修了、博士(工学)
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博報堂
ミライの事業室 室長補佐兼事業開発部長慶応義塾大学法学部卒業。2002年博報堂入社、ビジネスプロデュース職として、大手日用品メーカー、通信会社を中心にマーケティング・コミュニケーション全体のプロデュース・提案に従事。2022年ベンチャーキャピタルWiLへの出向を経て、「ミライの事業室」に着任。
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博報堂 ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター
一般社団法人WE AT 事務局長1983年生まれ。東大計数工学科・大学院にて機械学習やXR、IoT、音声画像解析などを中心に数理・物理・情報工学を専攻し、ITエンジニアを経て博報堂入社。データ分析やシステム開発、事業開発の経験を積み、2019年「ミライの事業室」発足時より現職。技術・ビジネス双方の知見を活かした橋渡し役として、アカデミアやディープテック系スタートアップとの協業を通じた新規事業アセットの獲得に取り組む。東京大学大学院修士課程修了(情報理工学)。