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【第9回】宇宙産業”第四フェーズ突入”から見通す、社会課題型新規事業の糸口──東大・中須賀真一教授×博報堂ミライの事業室(後編)
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【第9回】宇宙産業”第四フェーズ突入”から見通す、社会課題型新規事業の糸口──東大・中須賀真一教授×博報堂ミライの事業室(後編)

人類の宇宙へのチャレンジを、中須賀教授は「好奇心」と「エントロピー」という言葉で説明します。なぜ、私たちは宇宙を目指すのか。そこにはどのような可能性があるのか──。そんな問いからも、新規事業のヒントが見えてくるスリリングな対話。その後編をお届けします。

中須賀 真一氏
東京大学大学院工学系研究科 航空宇宙工学専攻 教授

吉田 充志
博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ
ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター

諸岡 孟
博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ
ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター

月面探査に学ぶ、新規事業のアセットづくりの重要性

諸岡
年々、宇宙に関するニュースが増えているような印象があります。前澤友作さんによる日本の民間人初となる国際宇宙ステーション滞在、国内宇宙ビジネス拡大にむけた政府による10年1兆円規模のJAXA宇宙戦略基金設置、重力波直接検出の貢献者へのノーベル物理学賞など、サイエンスからエンジニアリング、ビジネスまで宇宙に関する幅広い話題が飛び交っています。
中須賀
宇宙に関する話題で世の中が賑わっているのをみると、うれしく思います。プレイヤーの数が増え、宇宙産業のすそ野が広がっていることのあらわれですね。

諸岡
いち生活者の目線においても、身近な月に関して各国が周回計画や月面着陸、月資源探査などをそれぞれ進めています。長期的に見れば、月や火星の活用もどこかで僕たちの生活に結びついていくかもしれません。月や火星の可能性について、先生はどうお考えですか。
中須賀
月を人が居住する場所にするのは難しいと思いますね。完全な閉鎖環境をつくらなければなりませんから。僕が可能性を感じているのは、火星やさらに遠くの星に向かう際の中継地点として月を利用する方法です。
吉田
月と言えば、NASAを中心に国際連携で有人月面着陸をめざすアルテミス計画がありますね。
中須賀
アメリカはかつてのアポロ計画によって、1969年に月面着陸に成功しました。あのときの世の中の興奮はすさまじく、僕が宇宙分野に進もうと思ったきっかけでもあります。偉業とされていますが、冷静に俯瞰してみると、僕はあれによって宇宙開発がやや逸れた方向に向かってしまったと考えています。アポロ計画では、必要なものをすべてロケットに乗せて月に向かい、そのまま帰ってきました。あの方法だと、次のプロジェクトの際にまた一から始めなければならなくなります。
諸岡
単発になってしまった、ということでしょうか?
中須賀
そうです。僕はむしろ、アポロ計画に投じた予算の何割かを宇宙ステーションの建設に充てて、宇宙へのアクセスをしやすくするべきだったと思います。その発想があれば、1970年代には宇宙ステーションが完成し、宇宙のインフラになっていたはずです。

宇宙ステーションを宇宙への第一の中継点とし、月へのアクセスを容易にして、月を第二の中継点とする。そうすれば、毎回地球からたくさんのものを宇宙に運ぶ必要がなくなります。地球は重力の底ですから、地球からいろいろなものを積んで宇宙に出ていくのはとてもたいへんです。しかし、月を次の場所に向かうベースキャンプとすることができれば、そこから火星やさらに遠い宇宙を目指すことができるようになります。それが、僕が抱いている今後の月活用のイメージです。

諸岡
その点は新規事業に取り組む僕らも共感しますね。将来にわたり役立つアセットづくりというのは、新規事業でも重要なテーマです。
吉田
特に大企業の新規事業開発においては、アセット戦略は欠かせません。早期にアセット化することで、効率的な横展開が可能になるとともに、後発プレイヤーに対する参入障壁にもなります。アセットづくりに割ける体力がある、という大企業なりの強みを活かした戦略です。

中須賀
サイエンスやアカデミアの活動でも、そうしたビジネス的な考え方を取り入れるべきシーンがあると思います。戦略は大切ですから。

エントロピーの考え方が、社会課題と生活者発想を結びつける

諸岡
せっかくなので、ぜひ僕の素朴な疑問を取り上げさせてください。ひとはなぜ宇宙を目指すのでしょうか?
中須賀
僕自身もよくそんな質問をされます。でも、理由なんかないんですよ(笑)。あるのはただの好奇心です。僕はそれを、エントロピーを用いた仮説で説明しています。エントロピーとは、簡単に言えば、さまざまな変化の結果生まれる「混沌」の状態を意味します。閉鎖系の中では、エントロピーはどんどん増えていきます。エントロピーが増大すると人は気持ちが悪くなります。
諸岡
宇宙の話でエントロピーが登場するとは思いませんでした。興味深い考え方です。

中須賀
エントロピー増大による気持ち悪さを解消するために、閉鎖系の外に出て、新しい世界に身を置きたいと思う。これを別の言葉にすれば「好奇心」ということになるのだと考えています。人間の成長のドライバーの1つはエントロピーを下げたいという欲求であり、その欲求がそのまま宇宙進出につながっている。そう僕は考えています。
吉田
「エントロピーを下げる」というのは、とても重要なキーワードですね。宇宙開発から一人ひとりの生活まで、あらゆる場面に当てはまりそうな考え方だと思います。新しい生活を始めることも、新しい人間関係をつくっていくことも、新しいビジネスにチャレンジすることも、宇宙の新たな活用法を模索していくことも、すべてエントロピーを下げることにつながるわけですよね。
中須賀
そのとおりです。ここで問題となるのが、たとえば、再生紙の生産は「製紙」という限られた領域だけで見れば、木の伐採が減ってエントロピーを下げることになりますが、再生紙をつくるために別のエネルギーや薬品が必要になります。結果、トータルのエントロピーは増えてしまうのです。だから、ローカルにエントロピーを下げようとしてもうまくいかないんですよ。
吉田
部分最適と全体最適の観点がでてくるわけですね。

中須賀
そうです。これからの時代は、部分的にパッチをあてるのではなく、「トータルなエントロピーを下げる」という観点で物事を考えていく必要があると思います。例えば、地球温暖化は、地球のエントロピーが増え過ぎたことの表れととらえることもできます。水蒸気量、二酸化炭素、マイクロプラスチック公害、核廃棄物──。さまざまなテーマをエントロピーの考え方で問題定義し、その全体をいかに下げていくか。社会課題はどれも難問ですが、人類全体で解決に取り組んでいかなければならないのです。
吉田
欲望に従って生きるのも人間の1つのあり方だと思いますし、一方で、エントロピーを増やさずに生きるというのも人間の本質的な一面だと思います。人間の本質にいくつかの側面がある中で、今の時代にどれを重視すべきか。そんなふうに考えてみたいですね。
中須賀
おっしゃるとおりです。人間にはどうしたって欲望はあります。美味しいものを食べたいし、楽をしたいし、快適に過ごしたいと誰でも思います。しかし、それ以外の欲求もある。それは、自己実現や自己達成だと僕は思います。うまいものを食べる喜びと、自分がやりたかったことを実現したり何かを達したりする喜び。そのどちらも大切だけれど、その中でできるだけエントロピーが増えない方向性を選んでいくことによって、結果的にその人自身も世の中もハッピーになっていく。そんな流れをつくれるといいと思いますね。

諸岡
いま、エントロピーが繋ぎ目となって、社会課題と博報堂のフィロソフィーである生活者発想が結びついた感覚がありました。僕ら「ミライの事業室」や博報堂全社が社会課題への取組を強化するうえで、エントロピーの考え方を取り入れて生活者発想をアップデートしていくことができれば、大きな強みになると思います。
中須賀
歴史的に見れば、日本人はエントロピーを増やさない生活の仕方をしてきたわけですよね。自然環境を人間の用途に合わせて変えていく欧米とは違い、日本では自然と共存して、循環型の生活をし、エントロピーが増えないようにしてきました。地球全体のエントロピーの収支を考えなきゃいけないというときに、日本の伝統的な生活のあり方は大いに手本になるのではないかと思います。まさに、エントロピーを軸とした生活や社会の再構築です。

人類が宇宙を目指せるのは、地球のサステナビリティが前提にあるから

諸岡
エントロピーを増やさないような生活、というものを考え始めると、地球環境をどう維持するかという避けては通れない社会テーマに直面します。
中須賀
世界のエネルギー消費量は1960年代の頃の3倍近くに増えています。気体は水温が上昇すると溶けづらくなりますから、温暖化で海水温が上昇すると海洋中に溶け込んだCO2の一部が大気中に漏れ出てきます。すると温暖化がますます進み、ますます海洋中のCO2が漏れ出てきます。そうなると、もう止められないループに陥ってしまいます。
吉田
はじめは緩やかな環境変化であっても、ループが回り始めると急角度で進行するようになってしまいます。

中須賀
その通りです。だから、人類の英知をいまこそ地球の維持に、地球のサステナビリティ向上のために集中すべきだと思います。地球のように素晴らしく環境が整っている星でさえ十分にマネジメントできていない人類が、火星やほかの星に出て行って簡単に生活環境をつくることなどできるわけがないのです。
諸岡
人類全体が、言い換えれば生活者ひとり一人がもっと自分事として取り組むべき巨大な社会課題です。生活者発想をフィロソフィーとする博報堂こそ、率先して世の中を動かしていく役割を担うべき存在だと、僕個人は思いました。
中須賀
地球が存続しない限り、人類は宇宙を目指せないのです。もちろん、現代社会の経済活動をストップすることは不可能ですから、どうすればサステナビリティとエコノミーの両立を成り立たせられるかをもっともっと議論すべきだと思います。宇宙*○○○という考え方も、宇宙産業だけのアイディアや人材だけでなく、他産業他業界のアセットを結集して立ち向かうべきという思いを込めています。

社会課題と産学官連携、カギとなるのはパーパスドリブンなアプローチ

諸岡
中須賀先生は宇宙工学の専門家でいらっしゃるわけですが、本当に多角的な視点をもって社会や生活者を見ています。実際、「学」以外にいくつの立場をお持ちなのでしょうか?

中須賀
「学」のほかに、政府の宇宙政策委員としての活動があり、これは「官」の視点ですね。そして、企業主導で宇宙産業発展を推進するコミュニティSPACETIDEの立ち上げに加わっていて、これが「産」の視点です。さらに、立場や分野の違いを超えて宇宙ビジネス共創をめざす一般社団法人クロスユーの理事長を務めているので、産学官の視点をミックスしていることにもなりますね。
諸岡
長年にわたり産学官それぞれの立場で宇宙産業をリードしてきた中須賀先生から見て、今後の産業発展には何が大切だと感じますか?
中須賀
まずひとつは、産学官が一体になることでしょうね。それぞれ得意なことや苦手なことが違います。強みを持ち寄り、弱みを補い合うこと。そしてスムーズに連携すること。バラバラにやっていても、なかなか難しいと思います。産業が発展していく過程では、ルールを適切に見直したりガイドラインを制定したりするタイミングがおとずれますが、産学官による一体的な推進が欠かせません。そのためには、立場の違いを超えてベクトルを合わせる必要があります。
諸岡
それぞれの立場で目指すゴールが違うので、よりよい社会をめざして一丸になろう、という掛け声だけではなかなかまとまらないケースもありそうです。
吉田
そういったシーンこそ、博報堂の出番かもしれませんね。博報堂では、さまざまなステークホルダーを呼び込んで大きなワンチームを組成し社会課題に挑戦する取組が増えてきていますが、全員の向きを合わせてチームを一体運営していく際に重宝しているのが「パーパス」です。
中須賀
近頃では、宇宙分野に限らずあらゆる分野において、ダイバーシティの重要性が増してきていると思います。そうしたダイバーシティに富む大きな集団が、パーパスをうまく活用してベクトルを合わせていくケースが、今後ますます増えそうです。

吉田
パーパスのコアとなる概念を見いだし、ことばにして、全体に浸透させ、うまく活用していく。博報堂のこうしたパーパスドリブンなアプローチは、産学官連携による産業発展にも有用だと感じています。
中須賀
産業発展には異業種からの参入が進むことも大切ですが、そうした外部プレイヤーと既存プレイヤーがともに産業発展を目指せるような、産業としてのパーパスもあるといいですね。
諸岡
博報堂はいろいろな企業とのおつき合いがあるので、ぜひ広くお声がけをして、外部からの参加を募っていきたいですね。宇宙とそれぞれの企業のビジネスを結びつけるだけでなく、「宇宙を上手に活用することによって生活がこう変わるのでは?」といったアイデアを一緒に膨らませていければいいと思います。
吉田
宇宙を単に投資の対象と捉えるよりも、宇宙の活用について一緒に考えていくチームをつくることのほうが、これからは大事になっていくのかもしれません。「宇宙技術を使えばこんなこともできますか?」といったディスカッションもたくさん生まれそうです。

中須賀
「宇宙って、なんだかワクワクするよね」という声をよく聞きます。多くの生活者、多くの企業関係者が宇宙に関心を持ってくれているのです。そういう意味では得をしていると思います。ワクワクする自分の気持ちに素直になって、宇宙好き同士で集まり気軽に対話できるクロスユーのような場をもっと増やしていきたいです。
諸岡
中須賀先生が登場されている書籍「東大教授が語り合う10の未来予測(大和書房)」でもワクワク感について言及されていましたね。僕もそのワクワクに共感しています。
吉田
今日はさまざまなテーマで対話させていただきましたが、博報堂と中須賀先生による連携のヒントをいくつもみつけることができたと感じています。どうもありがとうございました!
中須賀
もちろんです、ぜひ継続協議しましょう!
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  • 中須賀 真一氏
    中須賀 真一氏
    東京大学大学院工学系研究科 航空宇宙工学専攻 教授
    1988年東京大学大学院博士課程修了、工学博士。同年、日本アイ・ビー・エム東京基礎研究所入社。1990年より東京大学講師、助教授を経て、2004年より航空宇宙工学専攻教授。日本航空宇宙学会、SICE、IAA等会員, IFAC元航空宇宙部会部門長、およびUNISEC-GLOBALは設立時より委員長。超小型人工衛星、宇宙システムの知能化・自律化、革新的宇宙システム、宇宙機の航法誘導制御等に関する研究・教育に従事。2003年の世界初のCubeSatの打ち上げ成功を含む超小型衛星15機の開発・打ち上げに成功。いくつかの宇宙ベンチャー会社数社の設立に貢献し、アジアをはじめ多くの国の超小型衛星をベースにした宇宙工学教育も実施。2012年~2022年に政府の宇宙政策委員会委員。複数の省の宇宙関連プログラムの委員長も多数務める。
  • 博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ ミライの事業室
    第一事業開発グループ ビジネスデザインディレクター
    2003年入社。営業局、マーケティング局、人事局、TH経営企画室、社長秘書役を経て、2020年に独立系ベンチャーキャピタルである伊藤忠テクノロジーベンチャーズへ出向し、ベンチャーキャピタリスト業務に従事。2022年よりミライの事業室にて、新規事業立ち上げを担いつつ、日本テレビとの合弁会社Spotlightにて投資業務を兼務する。
  • 博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター
    1983年生まれ。東大計数工学科・大学院にて機械学習やXR、IoT、音声画像解析などを中心に数理・物理・情報工学を専攻し、ITエンジニアを経て博報堂入社。データ分析やシステム開発、事業開発の経験を積み、2019年「ミライの事業室」発足時より現職。技術・ビジネス双方の知見を活かした橋渡し役として、アカデミアやディープテック系スタートアップとの協業を通じた新規事業アセットの獲得に取り組む。東京大学大学院修士課程修了(情報理工学)。

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