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【第8回】新しい市場をつくり出す経済学の手法「マーケットデザイン」と新規事業──東大・小島武仁教授×博報堂ミライの事業室(前編)
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【第8回】新しい市場をつくり出す経済学の手法「マーケットデザイン」と新規事業──東大・小島武仁教授×博報堂ミライの事業室(前編)

さまざまなパートナーとの連携によって新領域の事業創出を目指す博報堂ミライの事業室。そのメンバーが東京大学の先端分野の研究者の皆さんと語り合う連載コンテンツの第8回は、経済学の一分野であるマーケットデザイン研究の第一人者である小島武仁教授をお招きして、マーケットデザインの概要とその具体的な取り組み、新市場創出におけるルールメイキングの重要性などについて対話をしました。前後編の2回に分けてお届けします。

小島 武仁氏
東京大学大学院経済学研究科 教授
東京大学マーケットデザインセンター センター長

秋本 義朗
博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ
ミライの事業室 第一事業開発グループ グループマネージャー

諸岡 孟
博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ
ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター

すすむ人文社会科学分野の社会実装

諸岡
これまで民間企業とアカデミアの連携は、理工系、情報系、医療創薬系といったいわゆる理系分野での取り組みが主流でした。しかし、2021年度から運用がはじまっている国の「第6期科学技術・イノベーション基本計画」では、人文科学や社会科学など文系分野の知の積極活用も進めていく方針が掲げられています。近年、文理融合や学際領域などのキーワードが飛び交っていましたが、これから理系文系の境界が薄れていく流れはいっそう加速していきそうですし、もちろん僕らの取組でも人文科学・社会科学との掛け算をいろいろ仕込んでいこうとしています。その一環として、今回は経済学の一分野である「マーケットデザイン」を専門とされている小島先生の研究室にお邪魔しています。今日は、そのマーケットデザインと僕らの新規事業との掛け合わせについていろいろお話をできればと思っています。

小島先生の研究室でまず目を引くのが、壁一面のホワイトボードを埋め尽くすものすごい量の数式の数々!これは壮観ですね。小島先生はもともと学生時代に理系から経済学に進学されたと聞きました。

小島
そうなんです。学部では数学を専攻しようと思っていたのですが、あるとき友人が貸してくれたゲーム理論の本との出合いがきっかけで経済のおもしろさを知り、そのまま経済学部に進学しました。その後ハーバード大学の大学院に進学し、アルヴィン・ロス教授の下でマッチング理論の研究をスタートしました。

諸岡
小島先生とマッチング理論の出合いを演出されたアルヴィン・ロス教授は、その後2012年にノーベル経済学賞を受賞されていますね。ロス教授や小島教授の研究分野は、まさに経済学のホットトピックだと感じています。そのことは、スタンフォード大学で教授職だった小島先生が東大からラブコールを受けて東大教授に就任した際、東大がUTMD:東京大学マーケットデザインセンターという機関を新たに発足したことからも明らかです。
小島
日本に帰るか迷っていた時期もありましたが、東大が親身になって対応してくれまして、おかげさまで妻(高木悠貴先生)とともに東大で働くことができています。

「マーケットデザイン」のポテンシャル

秋本
小島先生がセンター長を務める東京大学マーケットデザインセンターですが、そもそもマーケットデザインという言葉や考え方は日本ではまだあまり知られていないようにも思います。あらためて概要をおしえてください。
小島
あまり知られていないですよね(笑)。大きな流れとして、まずは理学としての経済学の発展があります。たとえば私が学部時代に没頭したゲーム理論は経済学の一分野ですが、これは人々の利害関係を分析する方法論であり、社会や経済のさまざまな諸問題に適用されました。その積み重ねを通じて、与えられた制度(ゲームのルール)の下で人々がどう行動するかについて知見を蓄積してきました。つまり、ゲーム理論は現実を説明する「理学」として成熟してきたと言えます。
次に、工学としての経済学の発展があります。これまでの理学的アプローチを逆転させ、人々にとって望ましい結果を獲得するにはどのような制度をデザインすればよいか、理論による制度設計を現実問題に実装する「工学」的な応用を目指す領域が発展してきています。この領域が「マーケットデザイン」という学問です。

東京大学マーケットデザインセンターの詳細はこちら →→ https://www.mdc.e.u-tokyo.ac.jp/

秋本
マーケットデザインという分野において、小島先生は特にマッチング理論の研究と応用を専門とされています。たとえばどのようなテーマを扱っているのでしょうか?

小島
企業における人事配属や研修医の配属制度、災害時の避難先、コロナワクチン配布など、人と人・場所・モノをマッチングすること、つまり人と何かをよりよく組み合わせる最適化の方法論の研究と応用です。
秋本
マッチングにはどのような要素が関わってくるのでしょうか?
小島
たとえば企業の新入社員の人事配属を考えると、登場人物はマッチング対象である新入社員と配属先部署、およびマッチング運営者としての人事部門です。そして、最適な配属プランを得るためには社員と部署に関するデータや数理アルゴリズム、コンピュータサイエンスなどが必要です。よりよい人事配属のために、既存制度の見直しや新規制度の提案もセットで行います。
諸岡
先ほどの経済学の発展背景をうかがうと、マーケットデザインは思い切り実学寄りという印象を受けました。東京大学マーケットデザインセンターは経済学の理論と知の社会実装をまさに最前線で進めている主体だと思います。

小島
人文社会科学系の研究には、世の中の役に立たないというイメージが以前はありました。その半分は誤解であり、半分は真実であったと思います。たとえば、経済学が自然科学分野の研究と比べて精緻な研究結果を出せないのは事実です。そもそも経済学は、人間の行動を大まかに捉えて経済現象や人々の行動を考察する学問です。また、経済は世の中の仕組みによって大きく左右されます。そういった仕組みはとても複雑なので、数理モデル化することがたいへん難しいという事情があります。結果、どうしても分析可能な限られた対象について研究をすることになってしまいます。経済学では「市場」という用語をよく目にすると思います。市場は、アダム・スミスの時代から一種の抽象概念でした。実際の世の中には、町内会のバザーから現代ではオンライン取引まで、さまざまな規模や種類の市場があります。そういうものをひと括りにして「市場」と言ってきたのがこれまでの経済学です。非常に解像度の粗い定義であったと言っていいと思います。

しかし、それも徐々に変わりつつあります。たとえば、ゲーム理論を使ってオンラインマーケットを分析したり、人々の動きを予測したりする取り組みが行われるようになっています。抽象的な市場ではなく、個々の現実的な市場を分析する手法が生まれてきているわけです。マーケットデザインは、そういった新しい手法を活用して、市場をうまく運用したり、制度設計をしたりする研究分野ととらえることもできます。

アカデミアならではの社会課題への対峙

諸岡
小島先生が東大就任後さまざまなメディアに登場されていたおかげで、僕もマーケットデザインについて知ることができました。世の中への認知拡大ということも意図していたんですよね?
小島
その通りです。僕以外にも取り組んでいる方々はいらっしゃいますが、日本で本格的に広まっていくのはこれからではないでしょうか。アメリカでマーケットデザインが経済学の分野としてある程度成立したのは20年ほど前で、現在までかなりの数の成功事例が生まれています。今後は日本でも成功事例を増やしていきたいですね。
秋本
我々ふくめ企業の目線でも、小島先生やマーケットデザイン分野は連携を具体的に検討しやすいと思います。まずはとにかく実学ベースで実際の世の中の課題を扱っていることです。
諸岡
僕は、数理アルゴリズムを駆使して人間の感情や行動というかなり不確かなものに挑むところに、理工学にはない深みや広がりを感じています。同じ数理アルゴリズムでも、倉庫にどの商品在庫をどこに配置しておくと倉庫ロボットのオペレーションが効率的になるか、といった問題とはフィールドが異なりますね。
秋本
社会的テーマ×アルゴリズムデザイン×制度デザインという、非常に大きなベクトルを掛け合わせている点もおもしろいです。
小島
そうですね。大学が取り組むからこそ、企業単独では着手しづらいような社会的テーマや難解な課題にチャレンジできると思っています。

マーケットデザインを成り立たせるために

秋本
マーケットデザインの研究は、モデルづくりから始まるケースと具体的な社会課題を入り口とするケースのどちらが多いのですか。
小島
純粋な研究としてシーズ志向でスタートする場合もありますが、具体的な課題解決のニーズから取り組みが始まるケースの方が多いですね。とくに多いのが、以前は市場とは捉えられていなかった領域にいかに市場を形成していくかといった課題を入り口とするケースです。

たとえば、米国で行われている「臓器交換市場」の試みが挙げられます。腎臓病にかかった人が家族や親族から腎移植を受けるケースは以前からありますが、中には血液型の不適合などによって近親者からの移植が難しいこともあります。つまり、ドナー(提供者)とレシピエント(被提供者)のマッチングが近親者の間でうまくいかないケースです。しかし、第三者のドナーの腎臓が適合する可能性もあります。そこで、近親者間でドナーとレシピエントが不適合であったペアをたくさん集めて、その集合の中でマッチングを行うという方法が考えられました。いわば腎臓を交換する疑似的な市場(マーケット)をつくるわけです。

諸岡
人が集まればそれは市場である、という経済学の考え方ですね。「疑似的」としているのはどういった理由でしょうか?

小島
「疑似的」と言っているのは、このケースではお金を介在させないためです。臓器を金銭で取り引きする市場を実現させるべきである、と主張する経済学者もいたと思いますが、実際には大多数の国で臓器売買は禁じられています。主に倫理的観点、あるいは犯罪防止の観点からです。お金で臓器を取り引きするようになれば、他人の臓器を暴力的にむりやり手に入れようとしたり、自分の臓器が借金の担保にされてしまうような事件が起こるおそれがありますよね。そこで米国では、金銭を伴わない臓器交換プログラムが2005年に考案され、実際にそこで臓器の交換が行われています。血液型などのデータをもとにしたアルゴリズムをつくり、ドナーとレシピエントをマッチングさせるというのがそのプログラムの基本的な考え方です。
諸岡
自分がドナーとして臓器を第三者に提供することによって市場に参加し、市場の第三者から臓器提供を受けて家族や親族を救うことができる。それが臓器交換におけるドナーのインセンティブになるわけですね。
小島
そのとおりです。いわゆる物々等価交換の仕組みです。しかし、このプログラムをうまく機能させるのは簡単ではありません。等価交換を成立させるには、医療チームを集めたうえで、腎臓摘出チームと腎臓移植チームが複数ドナー・複数レシピエントの手術を同時に進行しなければならないからです。なぜ同時かというと、もしタイムラグがあると、先に腎臓提供を受けることができたファミリーは、自分たち身内からの腎臓提供を「やっぱり嫌だ」とドタキャンする可能性があるからです。通常の市場であれば契約違反に伴う違約金の支払いが抑止力となってこうした事態の予防に作用しますが、臓器交換市場では金銭を導入していないため、そうした金銭的ペナルティを課すことができません。ですから、ドタキャンを防ぐために摘出と移植をすべて同時に行うというルールを制定し、かつ同時手術を可能にするための十分な量・質を備えた手術施設や医療スタッフ、医療物資などの医療ロジスティクスのための体制も合わせて構築する必要があり、実現を阻むハードルになりえてしまうわけです。
秋本
マッチングのためのコスト拠出は回避しつつ、ベネフィットだけをかすめ取っていくという事態が起こり得てしまう。人間の感情や行動が絡むことで不履行リスクを内在してしまうわけですね。

小島
この臓器交換プログラムは、アメリカでは年間1000単位の臓器移植につながっており成果を上げていますが、そのポテンシャルに比べるとまだまだ規模が小さく、そこにはもう一つ大きな課題があります。臓器移植は、各地域の医療機関が行っています。臓器交換プログラムでよりよいマッチングを実現するためには、全地域のドナーとレシピエントの情報をすべて収集し、その母集団全体でマッチングしていくことが理想的です。しかし運営者である医療機関の目線に立つと、自分の地域内である程度マッチングが実現してしまえば、あえて全国規模のプログラムに参加しようとは思いません。なぜならインセンティブがないからです。それどころか、手間や時間といったデメリットが増える可能性すらあります。先ほどの移植のドタキャンはマッチング対象者(ドナー・レシピエント)に起因するリスクですが、こちらはマッチング運営者(各地域の医療機関)に起因するリスクです。何か医療機関にむけたインセンティブを設計できればいいですが、金銭というわかりやすい方法は先述の通り用いることはできません。では、どうすればいいか。そこが大きな悩みどころとなっています。
諸岡
ルールを制定すればいい、よりよい数理アルゴリズムを考えればよい、という話では済まないわけですね。

(後編に続く)

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  • 小島 武仁氏
    小島 武仁氏
    東京大学大学院経済学研究科 教授
    東京大学マーケットデザインセンター センター長
    1979年東京都生まれ。東京大学経済学部経済学科を卒業(卒業生総代)。ハーバード大学でPh.D.(経済学専攻)取得後、イェール大学コウルズ財団博士研究員、コロンビア大学経済学部・客員助教授、スタンフォード大学経済学部・教授を経て、2020年9月より現職。研究分野はマーケットデザイン、マッチング理論、ゲーム理論。学外においては、経済同友会代表幹事特別顧問、Econometric Society終身会員などを務める。
  • 博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ
    ミライの事業室 第一事業開発グループ グループマネージャー
    慶応義塾大学法学部卒業。2002年博報堂入社、ビジネスプロデュース職として、大手日用品メーカー、通信会社を中心にマーケティング・コミュニケーション全体のプロデュース・提案に従事。2022年ベンチャーキャピタルWiLへの出向を経て、「ミライの事業室」に着任。
  • 博報堂/博報堂DYメディアパートナーズ ミライの事業室 ビジネスデザインディレクター
    1983年生まれ。東大計数工学科・大学院にて機械学習やXR、IoT、音声画像解析などを中心に数理・物理・情報工学を専攻し、ITエンジニアを経て博報堂入社。データ分析やシステム開発、事業開発の経験を積み、2019年「ミライの事業室」発足時より現職。技術・ビジネス双方の知見を活かした橋渡し役として、アカデミアやディープテック系スタートアップとの協業を通じた新規事業アセットの獲得に取り組む。東京大学大学院修士課程修了(情報理工学)。