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ビッグデータは、ビッグアイデアを滅ぼすか?
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ビッグデータは、ビッグアイデアを滅ぼすか?

1. 街灯の下で鍵を探す男の話

ある日、警官が夜の見回りをしていると、住宅街の小道で不審な男を見かけた。男は酔っ払っており、街灯の下で何やら探し物をしている様子。警官が「落し物ですか?」と訊ねると、男は「そうなんです。鍵を落としてしまって…」と答えた。気の毒に思った警官は一緒に探したが、何も見当たらない。そこで警官が「本当にここでなくしたんですか?」と改めて確認すると…男は赤ら顔を警官に向けて平然と答えたのだ。「いえ、落としたのはあっちの公園です。でも、明かりがここにしかないもので」。

これは欧米では”Streetlight Effect”、日本では「街灯の下で鍵を探す」という名前で知られるジョークです。「見るべきこと」よりも「見えること」を優先してしまう人間の性質を揶揄しています。文化の違いでしょうか、ジョークとしては日本人にはあまり笑えません。でも、広告やマーケティングに関わる人間にとっては別の理由でも笑えない話なのです。
いま、データドリブンマーケティングは花盛り。新しいデータが手に入るたびに、大勢の人が金脈を見つけたかのように群がってプランを練ろうとしています。こうした努力はもちろん賞賛されるべきでしょう。より正確に、より無駄なく、日々効率を高めることはマーケティングに関わる人であれば誰もが意識するべきことですから。
しかしその一方、効率化を推し進めるだけで優れたブランドがつくれるという思い込みが生まれているとしたら危険です。私たちがデータから「ユーザーの意思」を読み解くことに熱中するとき、「ブランドの意思」は後回しになります。また、「いまここ」の最適解を優先するとき、長期的戦略が犠牲になることも少なくありません。データをうまく運用するほど、必然的にブランドの行動は「刹那的」かつ「御用聞き的」になっていくのです。
では、ブランドを見失うことなく、データを活用するにはどうすれば良いのでしょうか。その手がかりを考える上で、広告業界が無自覚的に忘れかけているひとつの言葉を拾い上げたいと思います。それが「ビッグアイデア」という概念です。

2. データがあればアイデアなんて要らない?

かつて広告業界は、「ビッグアイデア」をよく議論していました。ビッグアイデアとは「ブランドがこれからも世の中に存在するべき理由」を言語化したものです。ビッグアイデアと混同される言葉に、「コアアイデア」という言葉があります。コアアイデアは広告・マーケティングの個別施策の軸となる考え方です。ビッグアイデアとコアアイデアの関係は図2のように表現することができるでしょう。ビッグアイデアというしっかりとした土台があるからこそ、多様なコアアイデアに一貫性を与えることができるのです。

図2

たとえばスポーツブランドが「すべての人をアスリートにする」というビッグアイデアを掲げたら、そのフィールドの中で「みんなに履きやすいスポーツシューズをつくる」や「みんなが運動したくなるデバイスをつくる」「シニア向けのプログラムを開発する」といったコアアイデアが展開されていきます。化粧品会社が仮に「すべての女性が自信を持って生きられるように」というビッグアイデアを持つとしたら、「高品質な化粧品を安く提供する」とか「自信をもたらすカウンセリングを行う」とか「女子大で新しい講座をつくる」などというコアアイデアが展開されていく。世界を代表するブランドの多くは、10年、20年の単位でブレない「ビッグアイデア」を求心力として活用し成功を収めてきました。
ところが、ビッグデータがひとつの流行語となった頃から、ビッグアイデアはビッグデータに取って代わられるようになったのです。データを使ったごく標準的なプランニングでは、図3のようにまず「販売数1万個」といったビジネス目標を定め、統合されたデータからターゲットを定め、効率を最大化すべく予算配分を決め、プログラマティックの設計をし、メッセージを最適化していくという手順を辿ります。

図3

施策に方向性を与えるビッグアイデアが不在の中、細分化されたコアアイデアが増殖していく状態なのです。目先の効率だけを向上させる運用をしたとき、ブランドは生活者にとってどう見えるでしょう。「このブランドは一体何者なの?」「何がしたいの?」と腑に落ちない感覚を持たれたとしても不思議ではありません。

3. ビッグデータの先にあるビッグアイデアを見つけよう

では「もういちど、ビッグアイデアの時代だ!」とデータ主義に反旗を翻すのか、というとそれも時代錯誤でしかありません。大切なのはビッグデータかビッグアイデアかという二律背反の「OR発想」に陥ることなく、両者を掛け算する「AND発想」を持つことです。

図4

ビッグアイデアとビッグデータは、相互に補完的な機能を果たします。図4で整理した通り、ビッグアイデアは「なぜやるのか?」を規定し、「理想の目的地」を示し、ブランドの「可能性」を広げる。一方でビッグデータが「何をするべきか?」を規定し、「最初の一歩」を示し、活動の「確実性」を担保する。2つの力を推進力にしてブランドは長期的に望ましい方向へ一歩ずつ着実に進むことができます。これは単なる理想論ではありません。ビッグデータで世界を変えたと讃えられている企業をよく研究すれば、世界中の人々を鼓舞する物語、つまりビッグアイデアを意識的に活用してきたことが分かります。
例えば、オンラインでの動画配信サービスを例にとりましょう。多くの動画配信サービスは店舗型のレンタルサービスに対して「わざわざ返しにいく手間が省ける」ということを価値としていました。次の段階として、彼らはビッグデータを活用し始めます。するとユーザーの個人的な嗜好に合わせて、観るべきコンテンツを正確にレコメンドすることができるようになる。これが「高性能レコメンドエンジン付き動画配信事業」と呼べる段階です。

図5

ここで立ち止まってしまっては動画配信サービス市場の現在の隆盛はなかったはずです。彼らは、生活者の視点に立ってデータがもたらす生活変化をより解像度高く思い描き、ひとつの結論にたどり着きます。それが、ひとりにひとつのチャンネル、つまり「パーソナライズド・チャネル」を提供するというビッグアイデアです。私たちは長いこと番組表に合わせて行動をしてきました。データを活用したコンテンツのレコメンデーションは、その主従を反転させます。個人の生活スケジュールに合わせ、理想の番組表をつくることができるのです。では、もしもデータが導き出す最適なコンテンツがまだ世界になかったとしたらどうすればいいのでしょう?当然、自らコンテンツ制作に乗り出すというコアアイデアにたどり着くわけです。いま動画配信サービスは、配信だけでなく映像製作においても大きな存在感を示しています。実際、2019年のアカデミー賞では、複数の動画配信サービスの作品がノミネートされて話題となりました。

4. 領域侵犯で新しい価値をつくれ

もともとの事業をまずビッグデータでアップデートさせる。さらにその先の生活ストーリーを創造するビッグアイデアで事業変革を構想する。このシンプルな掛け算は、多くの企業でマーケティング変革に応用できるのではないでしょうか。
まずは、既存事業にビッグデータを掛け算することで何を可能にしたいのかを明確にする必要があります。より効率的に顧客にアプローチする、潜在ニーズを見つけて商品開発に活かす、レコメンド機能を搭載させる、などできる限り具体的に記述できるよう企業目線で徹底的に考えるべきです。
次に視点を「生活者」に変えます。データの活用が、生活者にとってどのような生活変化をもたらすのか、人々を歓喜させる物語はどう紡げるのかと考えるのです。その答えとなる新しい存在理由(=ビッグアイデア)が生活者にとっての価値となっていなくてはいけません。

図6

ビッグデータとビッグアイデアを掛け算する。言葉にすれば簡単ですが、現場ではそうはいきません。データを扱ういわば「数字」の部門とブランド価値を担う「物語」の部門は分かれていることが多いからです。成功の鍵を握るのは、お互いの領域侵犯です。データを扱う職種は与えられた課題に対して疑いもなく運用するだけでなく、データを使ってどのように企業や生活や世界を変えられるか?と逆上がりしてストーリーを考えることが求められます。またクリエイティブ、ストラテジー、ブランドマネジャーもデータの細かいことは専門家に任せよう、と考えるのは避けましょう。強度の高いビッグアイデアを考えながら、それをデータの力で実現するところまで責任を持たなくてはなりません。長期的な物語と、1to1の小さな物語をつなぐ役割を認識して引き受ける態度が必要不可欠です。
物語を数字へと翻訳する。数字から物語を構想する。この文理の垣根を超えた高度な往復運動が、これからのブランドをつくっていく。もうしばらくのうちはこの仕事、AIに任せられそうにありません。

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  • TBWA\HAKUHODO
    シニアクリエイティブディレクター
    博報堂入社後、米国のTBWA\CHIAT\DAYを経て現職。自動車、通信、保険、スポーツ、アパレルなどのグローバルブランドを担う一方、多くの企業において経営者のパートナーとなり企業ビジョンや事業・商品コンセプトの策定に関わってきた。2016年と2018年にはCampaign誌によるNorth Asia Creator of the Year、およびアジアのマーケティング業界を代表する40歳以下の40人(40 UNDER 40)に選出。その他、カンヌ金賞、スパイクスアジアグランプリ、Clioグランプリ、ACCグランプリなど国内外で受賞多数。著書に「未来は言葉でつくられる」(ダイヤモンド社)などがある。