メディアとメタバース ―「コンテクスト」「コンテンツ」「コミュニティー」による新たな「場」づくり
島野 真
博報堂DYメディアパートナーズ
メディア環境研究所所長
2020年から新型コロナウイルス禍によって外出や人と直接会うことが制限されたことで、「生活のデジタル化」が一気に進みました。インターネットショッピング、有料動画配信サービス、オンラインライブ、テレビ電話会議などの利用が加速し、生活者の意識や行動に大きな変化をもたらしました。
幅広い定義
そうした中で急速に注目が高まってきたものの一つに「メタバース」があります。さまざまな将来性が示されるようになり、「メタバース時代は『本当に到来するのか』という議論は終わり、『いつ到来するのか』が問題だ」などとも言われています。
仕事、友人・知人との交流、ショッピング、エンターテインメント、教育などの場として、現実の世界からメタバースへ、生活者が「滞在」する時間の一部が移行すると見込まれています。そして滞在時間とともに、情報収集、興味関心を持つきっかけ、世論が醸成される場などとして、メタバースの影響力は大きくなるとみられています。
ここではメタバースを「通信ネットワーク上に作成された、多人数が参加可能な三次元の仮想空間。参加者がその中でさまざまな目的を持ち、自由に行動できる」ととらえています。ただし、現時点でメタバースの定義は確定したものではなく、企業や人によりさまざまな解釈もされており、統一されたものはありません。
一例として、経済産業省が21年7月に発表したリポートでは、仮想空間を「多人数が参加可能で、参加者がその中で自由に行動できるインターネット上に構築される仮想の三次元空間。ユーザーはアバターと呼ばれる分身を操作して空間内を移動し、他の参加者と交流する。ゲーム内空間やバーチャル上でのイベント空間が対象となる」と定義されました。
そのうえで、メタバースは「一つの仮想空間内において、様々な領域(例:ゲーム・教育・医療など)のサービスやコンテンツが生産者から消費者へ提供」されるものと紹介されています。
メタバースの定義に幅があるのは、メタバースの特徴のどの部分に大きく期待するかに幅があるからです。例えば、技術的な側面に注目すると、3Dゴーグルによって、三次元空間上で現実と遜色ない感覚をストレスなく得ることができ、物理的な制約から解き放たれた体験ができることを満たしているものがメタバースとなります。
一方で、現実世界のさまざまな制約を超えて、気の合う人と交流できるコミュニティーとしての側面に注目すると、必ずしも3Dゴーグルを必要としない現在のオンラインゲームなども十分に「メタバース的」と考えることができます。例えば、コロナ禍で、放課後に公園で自由に遊べなかった小学生たちが「宿題終わったらいつもの場所に集合ね」と家庭用オンラインゲームの中で集合し、友人らとゲームをするだけでなくコミュニケーション自体を楽しんでいる様子などはメタバース的です。
軽量で高画質な3Dゴーグルが安価に提供できるようにならなくてはメタバースは実現しない、と捉えるのではなく、3Dゴーグルなどの「技術」がまだ未成熟でもメタバースの「価値」は提供できるのかもしれないと考えた方がよさそうです。
また、一つの企業が中央集権的に提供する三次元空間もメタバースと捉えるか、複数のサービスやプラットフォームが非中央集権的につながって相互に乗り入れることが可能なものを真の意味でのメタバースと捉えるかという点でも議論が分かれています。
技術が急速に発展し、さまざまな利用シーンが生み出されている現時点では、あまり厳密に定義を意識するのではなく、メタバースを大きな概念として受け止めておく方がよいようです。
急速に高まった注目度
メタバースという言葉が初めて登場したのは1992年、米SF作家ニール・スティーブンスンが発表したSF小説「スノー・クラッシュ(Snow Crash)」と言われています。また、2018年に公開されたスティーブン・スピルバーグ監督の映画「レディ・プレイヤー1」では2045年のメタバース(公開時は「VRワールド」と紹介されました)を舞台に、その特徴や価値が分かりやすく描かれていました。
最近になってメタバースという言葉が大きく注目されたきっかけは、旧フェイスブック(現Meta〈メタ〉)のマーク・ザッカーバーグCEOが21年7月の決算会見で「今後数年のうちに、当社はソーシャルメディアを主とする企業から、メタバースの企業になる」と発言、10月には社名をメタに変更したことでした。
これと前後する形で、他の企業でも経営幹部がメタバースについて多く言及。米オンライン運営会社Roblox(ロブロックス)のデービッド・バズッキCEOは21年3月に「ロブロックスはメタバースの『羊飼い』だ」、同じく世界的な人気ゲーム「フォートナイト」運営会社「Epic Games(エピックゲームス)」のティム・スウィーニーCEOは21年3月に「エピックがメタバースの構築に向けて投資しているのは、公然の事実だ」、マイクロソフトのサティア・ナデラCEOは21年7月に「デジタルとリアルの世界が融合していく中で、メタバースの先陣を切っていく」などとし、各社がメタバースを次の経営の核として訴え始めました。
新聞記事におけるメタバースの出現頻度も21年から急上昇。これまで仮想空間、仮想世界などさまざまな言葉で表されていた概念がメタバースというキーワードのもとに集約されたことで、注目度がより高まりました。
インターネット上の三次元空間に没入し、さまざまな体験を得ることができるサービスとして、日本では07年にサービスが開始された「セカンドライフ」を想起される方も多いのではないでしょうか。当初は大きく話題になったものの、その後一般に定着するまでには至りませんでした。
理由として、当時のPCの処理能力やネットの通信速度では十分な没入感が得にくかったことや、一度に参加できる人数にも限りがあったことが挙げられます。多くの人にとって「ストレスなく体験できる環境」ではなく、また「ここでしかできない体験」を実感することができませんでした。
当時と比べ、現在では通信速度や端末の処理速度の飛躍的な向上、スマートフォンやSNSによる常時接続感覚への慣れ、3Dゲームやテレビ電話会議による「テレプレゼンス」(遠隔地において、あたかも現地にいるような臨場感を提供する技術)体験の浸透などが進み、技術的に受け入れられやすい環境は整ってきました。
多層化・多場化・多己化の流れ
一方で、高品質な仮想の三次元空間の中で没入感を得られることや、ストレスなく操作できることは必要条件でしかありません。
最近のメタバースをめぐる動きでは、テクノロジーやそこから生まれる新たなビジネスについての議論がやや先行していますが、生活者の間に定着するためには、リアルでは得られない「メタバースならではの体験」によって強い動機を生む価値を提供することが重要になります。
博報堂DYメディアパートナーズ・メディア環境研究所は7月、今後のメディア環境の変化に関する長期予測「MORE MEDIA 2040 ―メディアは、体験し、過ごす空間へ」を発表しました。
各領域のさまざまな有識者への取材などを通じて、技術・生活・ビジネスの側面から分析。メタバースや人工知能(AI)技術などの進化も背景に、これからの生活者環境とメディア環境の変化を「多層化」「多場化」「多己化」という三つのキーワードで表しました。
〈多層化〉 さまざまなオンライン環境と現実の世界を、境界を意識することなく、目的や気分に応じて自由に行き来し、それら全てが新しい「リアル」となる。
〈多場化〉 多層になった空間で生活者は居心地の良さや好きなことを追い求め、オンライン空間や現実の中で複数の「居場所」を持ち、さまざまな関係性をより自由に持つようになる。
〈多己化〉 現実の環境や見た目などに左右されず、居場所に応じてさまざまなパーソナリティーを主体的に持ち、自由に使い分けるようになる。
現実の世界では、国や地域、人種や民族、年代や性別、ハンディキャプの有無、家族・職場・学校などでの人間関係、職業や所得などにより、行動や交流にさまざまな制約が生じています。メタバースなどの新たな技術によってこのような制約から少しでも解放され、より自分らしく、より豊かで創造的な生活や人生を実現するようになっていくと期待されています。
3つのCに関する知見を活用して
「多層化」「多場化」「多己化」を前提に魅力的なメタバースとするための具体的な提供価値を検討していくには、「コンテクスト」「コンテンツ」「コミュニティー」の三つのCで整理することが有効です。
1 コンテクスト
メタバースの「世界観」を形作るための文脈や状況、背景です。
メタバースの領域や場はどのような価値観や雰囲気を持ち、どのような居心地を提供するのか。集まる人にどのような過ごし方や楽しみ方を提供するのか。メタバースの一般化とともにさまざまな「場」が生まれる中で、生活者に選ばれ、永続的なお気に入りの場となるためにまず重要になります。
2 コンテンツ
人が集まり関係を深めるための目的や触媒として核になるもの。今行くきっかけをつくるもの。
現在もメタバース上ではさまざまなイベントが行われ、その時間になると人が多く集まり、楽しむ様子が見られます。これを散発的なものにとどめず常時型としていくためには、コンテンツの充実とともに、ユーザー参加型のコンテンツ開発体制やAIの活用などが求められていくと考えます。
3 コミュニティー
メタバースの拡大とともに、運営側だけがコンテンツを提供し続けるのではなく、集まる人自体がコンテンツとして価値を持ち、参加する動機となっていくことが重要になると考えます。興味関心に応じて参加者同士をつないだり、話題を提供したりする役割や、新参を古参が温かく受け入れる雰囲気など、コミュニティーとして質を高めることが求められます。
メタバースが日常に浸透し、生活者の滞在時間や興味関心がメタバースに広がっていく中で、メディアが読者や視聴者とともにこれまで培ってきた「コンテクスト」「コンテンツ」「コミュニティー」に関する知見を、メタバースに合わせた形で活用していくことが期待されます。
これは、従来メディアが発信していた情報をメタバースという空間でも発信していくということだけを意味しません。
「居心地の良い世界観の中に、いつでも楽しめて役に立つコンテンツがあり、それらを核にしてさまざまな人と出会い、交流して豊かな時間を得ることができる」というメタバースの特性を生かし、オーディエンスとの新たな「場」づくりから関与していくことに新しい機会がありそうです。
使い勝手の良い安価な3Dゴーグルの開発や操作性の改善、フェイクニュース対策や著作権保護などの法律やルールの整備といった課題もあり、メタバースが一般的になるまでにはまだ時間が必要そうですが、「多層化」「多場化」「多己化」という大きな流れは加速していくでしょう。その中でメディアは「見る・聞く存在」としてだけではなく、「体験し、過ごす空間」へと役割を拡大していくと考えます。未来に向けて今から取り組んでいくことが重要と言えそうです。
メディア環境研究所サイト(mekanken.com)では「MORE MEDIA 2040(2040 PROJECT)」をはじめ、メディア環境にまつわるさまざまな研究成果を公開しています。ぜひご覧ください。
<本記事は日本新聞協会「新聞研究2022年12月号」に掲載された記事を転載したものです>
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博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所 所長1991年博報堂入社。主にマーケティング部門に在籍し、飲料、通信、自動車、サービスなど各企業の事業・商品開発、統合コミュニケーション開発、ブランディング業務を担当。2012年よりデータドリブンマーケティング領域で、マーケティングとメディアを統合した戦略立案・推進の高度化、DX推進に従事。2020年より博報堂DYメディアパートナーズ ナレッジイノベーション局 局長 兼 メディア環境研究所 所長 兼 メディアイノベーションラボ。共著:『基礎から学べる広告の総合講座』(日経広告研究所)