
シリコンバレー投資家が語る日本企業が取るべき戦略とは(前編)
目次
博報堂DYホールディングス 執行役員/CAIO 兼 Human-Centered AI Institute代表の森正弥が、業界をリードするトップ人材と語り合うシリーズ対談「Human-Centered AI Insights」。
今回は、NSVのパートナーとしてシリコンバレーの新興VCへのファンド投資、スタートアップへの直接投資を担う柴田 尚樹氏をお迎えし、2025年8月に出版された著書『アフターAI』や生成AIに対する日本とアメリカの違いについてもお伺いしました。
「一勝一敗」の起業経験が投資家としての基盤になっている
- 森
- まずは柴田さんのこれまでのご経歴や、現在注力されている事業についてお聞かせください。
- 柴田
- 私は日本生まれ日本育ちで、現在はシリコンバレーを拠点にベンチャーキャピタルの仕事をしています。キャリアのスタートは楽天で、フィンテックをはじめ、多くのインターネット関連ビジネスに携わり、短期間で色々なプロジェクトに関わることができました。20代のうちから新規事業の立ち上げや投資・M&A案件に関与することができたのは、他では得られない経験を積ませてもらったと感じています。
その後、東京大学で教員ポストを得て、コンピュータサイエンス系の分野の研究員としてスタンフォード大学へ2年間留学した後、現地で起業に挑戦する道を選び、2012年に自分で会社を立ち上げました。
起業家としては、1社の売却と1社の清算を経験し、いわば「一勝一敗」という結果でした。アメリカ人の採用や解雇など、人材マネジメントはひと通り経験しましたし、会社の売却や清算のプロセスも自分で最後までやり切ったことで、滅多にない学びを得られたと思っています。
2023年以降から少しずつ新しいことをやろうと考えるようになって、次のステージとして「投資」に挑戦しようとエンジェル投資の事業を始めました。最初は小規模のVCを経営している知人に声をかけ、スタートアップの投資案件を紹介してもらい、少しずつ信頼と実績を積み重ねていきました。
そして1年後には、複数のVCから月100件ほどの案件が届くようになり、その中から月2~4件を精査して投資するようになりました。これまで累計100社以上のスタートアップに投資し、投資先の中から次のラウンドに進む会社が出始めるなど、思っていた以上に良い案件への投資ができていたと実感しています。現在は、シリコンバレーに本拠を置くNSV Wolf Capitalにパートナーとして関わっています。
- 森
- インターネット企業での新規事業開発や大学での研究員、起業を通じて得られた経営のライフサイクル、投資家として多数のスタートアップへの投資など、柴田さんは様々な経験をお持ちだからこそ、新たなビジネスや産業の変化をリアルタイムで知見として積み上げていると感じました。色々な投資を経験してきたと思うのですが、生き残るスタートアップにはどのような共通項があるのでしょうか?
- 柴田
- 「どのスタートアップが生き残るか」を見極めるのは本当に難しいんですよ。もちろん、これまで多くの起業家やスタートアップを見てきて、「うまくいくパターン」と「失敗するパターン」を認識しようと努めていますが、正直なところ初めのプレシードの段階ではほとんどわからないのが現状です。絶対に成長すると思って投資した会社が外部環境や内部要因で失敗することもあるし、その逆もしかりでグロースが難しそうな案件が大化けすることもあります。
また、シリコンバレーは世界中から起業家が集まってくるところで、人によって育った環境やバックグラウンドも違うため、本当に信頼できるのか、事業をやり抜く実行力があるのかを人間性だけで判断するのはリスクが大きいと考えています。
そのため、私はあまり人物像だけで投資判断をしないようにしています。ネガティブな要素のチェックは徹底しつつ、ある程度の数字やKPIが出始めたシード期以降のスタートアップにおいては、なんとなくその会社の光景が思い浮かぶんですよ。
この業界は非常にクローズドな世界です。基本は「貸し借り」で成り立っているので、良い投資案件を持ってきてくれたVCとの関係性や信頼性が極めて重要になります。結局のところ、人を見るよりも「数字」と「ネットワーク」が投資判断の軸になっているというのが私のスタンスですね。
日本の「新卒一括採用」がAI活用に活きる理由
- 森
- 柴田さんの『決算が読めるようになるノート』は書籍化もされベストセラーにもなりましたが、決算書の数字から会社の立体的な状況やストーリー、成長の文脈までを分析することで、感覚的に会社の状態や将来像がわかること。さらに、数字の分析だけでなく、多様な人種が集まるシリコンバレーでも人間関係やネットワークを把握し、信頼を築いてこられたのが大きな強みになっていると感じました。
こうしたなか、今回このタイミングで『アフターAI』を出版された背景やタイトルに込めた思いをお聞かせください。
- 柴田
- スタンフォード大学で研究員をしていた際に、機械学習を学んでいたのですが、当時はニューラルネットワークの技術がどこまで知性を生み出せるのか懐疑的に思っていました。あくまでスマホの予測変換の延長のようなものに過ぎず、どんなに高性能なGPUで大規模化したとしても、「本物の知性は生まれないだろう」と考えていたのです。
ところが、OpenAIが開発したGPT-3や3.5が出てきたあたりから、その予想は大きく覆されました。単なる確率的な推論ではなく、ある種の知性や実用的な推論能力があることを目の当たりにし、自分の認識の甘さを痛感しました。それ以来、AIスタートアップを真剣に投資対象として見るようになったわけです。
私はこれまでに生成AIスタートアップを1,000社以上見てきました。アメリカのスタートアップの半分以上がAI関連であり、社会的インパクトの大きい波が来ていると思っています。そんな中で、なぜ日本語で本を出したかというと、生成AIにおける日本の現状に大きな可能性を感じたからです。
日本はスマホやクラウドが登場した時代に出遅れ、結果として「デジタル赤字」が生じ、アメリカのデジタル植民地になってしまった。しかし、今回の生成AIに関しては、日本でもグローバルに勝負できるチャンスがあると見ており、その可能性を多くの人に伝えたいと考えたのです。
半導体チップやLLMのような基盤レイヤーの開発は、アメリカや中国が先行しているので、日本企業がそこで勝負するのはかなりハードルが高いです。しかし、特定の業界向けに特化した「バーティカルAI」の分野であれば、日本企業でも国内のみならず世界市場で勝てる可能性があります。その理由のひとつとして挙げられるのが、日本は「課題先進国」だからです。少子高齢化や労働者不足、さらには大量のインバウンドの受け入れなど、将来的に先進国が直面する社会課題を日本が先んじて経験しているのは、逆に言うと大きなチャンスになり得るのです。
- 森
- 今後の先進国が必ず経験するであろうことを真っ先に経験している日本だからこそ、実は今起きている課題はリソースなんじゃないかということですね。
- 柴田
- そうなんです。日本はどの国よりも早く社会課題を経験しているので、それを解決するAIを作るノウハウをいち早く蓄積することができる。そして、日本企業が「バーティカルAI」の分野において世界市場で勝てる可能性のもう一つの理由として、未だに「新卒一括採用」を行ってことが挙げられます。これは世界を見渡しても稀有な存在なんですね。新卒社員は高い能力を持っていても、入社時点では業務の知識がないため、研修やOJTで育成していくプロセスを通じて、仕事に必要な知識を身につけていきます。
LLMも同じで、基礎知識はあっても業務知識を持っていないため、日本企業が新人社員を育てるプロセスをそのままLLMに適用すれば、世界で通用する高度なAIエージェントを作れる可能性が高いのではと考えています。
営業にAIを導入して売上を倍増させるアメリカ企業の共通点
- 柴田
- 私は「AIを皆さんの部署に入ってきた新入社員だと思って接してください」とよくお伝えしています。新入社員であれば当然ミスをすることもありますし、次からは間違えないように教えてあげればいいのに、AIがちょっと間違えただけで「ハルシネーションだ」と切り捨ててしまうのは、むしろAIにとっても気の毒だと思うんですよ。
なので、AIをブラックボックスの単なるソフトウェアとしてではなく、人間に近い存在として接してあげること。少しずつ鍛えて育てていくことが、実は一番うまく活用する方法なんじゃないかと考えています。
そうしたなかで、AIをうまく活用している企業には大きく2つのパターンがあります。ひとつはAIを使い、社内の生産性向上を図っているケースです。例えばエンジニアはAIツールを活用してコーディング効率を高め、営業はAIを導入することで営業担当者1人あたりの売上が大幅に伸びるといった事例です。
アメリカで上場しているSaaS企業の決算を見ていると、通常なら企業規模が大きくなると成長率は鈍化するはずなのに、最近の四半期では一気に売上成長が加速している会社が出てきています。これは、営業にAIを導入したことで、新規顧客の獲得や既存顧客へのアップセルが進み、直接的に売上を押し上げている状況を作り出しているからです。
もうひとつはプロダクトへAI機能を組み込むケースです。既存の製品や新しいサービスにAIを組み込むことで、顧客単価を引き上げています。この2軸で成長を加速させているのが、今の時代でうまくいっている企業の共通点です。
- 森
- 実際、日本でもChatGPT 3.5が登場し、RAGが話題になった頃から、営業の現場でAIを取り入れる動きは出てきています。ただし、多くの場合は「情報の検索」や「資料作成の効率化」といった使い方にとどまっていて、どうしても省力化ツールの域を出ていないケースが多いと感じています。
一方で、アメリカ企業が成果を出しているのは、AIを使って営業担当者一人あたりの売上を伸ばし、さらにアップセルやクロスセルの機会を増やしているからで、「営業のアップスケールをどう考えるか」という視点をもっと持つべきだと思いますが、日本企業について、もしアドバイスがあればお伺いしたいです。
- 柴田
- ビジネス形態や顧客ターゲットによっても異なると思いますが、営業におけるAI活用は、やり方次第で担当者1人あたりの生産性を大きく押し上げられます。例えば、リード生成の段階でAIを使い、ウェブ上の情報をリサーチして条件に合った見込み客リストを自動作成することで、メールや手紙、電話なども含めて、各顧客にパーソナライズしたアプローチを行うことが可能です。
さらに、初回ミーティングの設定もAIで自動化することで、営業担当者が介在せずに商談が次々とスケジューリングされます。実際の商談は人間が行う必要がありますが、資料作成もAIが各顧客向けにカスタマイズできますし、商談内容を録音して書き起こし、TODOリストやフォローアップメールの自動生成までAIで行うことが可能です。
こうした業務フローを導入すると、営業担当者が実際に行える商談数は過去よりも倍に増やせると思うんですよ。仮にクローズ率が多少下がったとしても、全体の売上や成果は1.5倍以上に伸ばせる可能性があるわけです。
- 森
- つまり、営業活動の一連の流れをリード獲得からきちんと洗い出して、「どの部分にAIをどのように活用できるか」を細かく設計して実行することが大事ということでしょうか。
- 柴田
- おっしゃる通りです。AIは外部ツールを活用しても、自社内でLLMをカスタマイズしても構わないので、営業プロセスをステップごとに丁寧に分解し、それぞれの段階に最適なAIを当てはめることが重要ですね。また、商談時の会話の中に自社のサービスの中で改善すべきポイントがたくさんありますが、それ以外にもLLMを活用すればカスタマーサポートや電話で得られる情報など、あらゆる顧客接点のデータを一元管理・分析できます。
つまり、AIをフルに活用することで、これまで人間が担っていた「考える部分」を大幅に拡張できるため、データを最大限に活用して自社プロダクトの改善点や課題を抽出している会社は非常に強いということになります。
日本企業が世界で勝つには「バーティカルAI」が鍵になる
- 森
- 普段、柴田さんはシリコンバレーを拠点に活動されていますが、アメリカと日本のAIスタートアップを取り巻く熱量やエコシステムにはどう違いを感じていますか?
- 柴田
- アメリカにおけるAI関連ビジネスの伸長は資金面や売上面でも非常に大きく、特にLLMレイヤーの分野では、日本がアメリカや中国に圧倒的な差をつけられているのが実情です。チップ、LLM、アプリケーションの3つのレイヤーの中でアプリケーション分野は日本でも参入できますが、LLM自体を作れる人材は世界中で争奪戦となっており、報酬的にも環境的にも日本企業が勝つのは難しい。
一方で、バーティカルAIの分野は、LLM自体を開発する必要はなく、ファインチューニングやアプリケーション開発が中心になります。この領域であれば、日本の企業でも十分に世界に挑戦できると感じています。
現在、日本ではAIに関するイベントやカンファレンスが盛んに行われるようになりましたが、これは従来のタイムラグと比べれば大きな差はなく、アメリカの盛り上がりの約1年前ぐらいに相当します。ですので、そこまで悲観する必要はなく、むしろ今が追い上げるチャンスだと考えていいでしょう。
- 森
- 「バーティカルAI」についても著書の中で言及されていますが、今後生成AIが活躍すると考えられる領域や、日本企業が強みを発揮できる可能性を教えてください。
- 柴田
- やはりAIを導入するなら、「ペインポイントが大きい業界」ほどビジネス成果が出るスピードも早くなると思います。人材不足や労働環境が過酷な職場では、AIがあまり完璧でなくても人手不足を補うだけで大きな価値になります。アメリカ企業の例を挙げると、ヘルスケア領域では医師や看護師の書類作業をAIがサポートすることで、労働負荷を減らし、離職率の改善や病院経営の安定にもつなげているスタートアップが伸びています。
- 森
- 課題が切迫している現場ほどAI導入の必然性が高く、そのぶん活用が加速するということですね。
- 柴田
- まさに、そのパターンが一番ビジネスの立ち上がりが早いんですよ。当然、最初は学習データも十分ではないので、AIによるハルシネーションも一定発生しますが、そのあたりは実際に導入して運用しながら改善していけば精度も上がっていきます。そのほかの事例をいくつか紹介すると、ゴミ処理場の分別作業時にベルトコンベア上の不適切なゴミを除去するAIロボットを提供するスタートアップが、人手不足で悩む会社に重宝されています。
また、高齢化が深刻なアメリカの会計士業界では、事業継承ができずに人材不足で過酷な労働環境が強いられている現状がありますが、そこに帳票を写真で読み取り、自動で会計ソフトに入力することで、会計士業務を効率化するソリューションを提供するスタートアップが成長しています。
後編へ続く
この記事はいかがでしたか?
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柴田 尚樹NSV Wolf Capital パートナーNSV Wolf Capital パートナー。シリコンバレーの新興VCへのファンド投資、スタートアップへの直接投資を担う。楽天執行役員、東京大学助教を経て、スタンフォード大学の客員研究員として渡米。AppGrooves共同創業者、「決算が読めるようになるノート」創業者(2022年に事業譲渡)。東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻 博士課程修了(工学博士)。著書に『アフターAI』『テクノロジーの地政学』(日経BP)など
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博報堂DYホールディングス執行役員Chief AI Officer、
Human-Centered AI Institute代表1998年、慶應義塾大学経済学部卒業。外資系コンサルティング会社、インターネット企業を経て、グローバルプロフェッショナルファームにてAIおよび先端技術を活用した企業支援、産業支援に従事。
内閣府AI戦略専門調査会委員、経産省GENIAC-PRIZE審査員、日本ディープラーニング協会顧問、慶應義塾大学 xDignity (クロスディグニティ)センター アドバイザリーボードメンバー 。
著訳書に『ウェブ大変化パワーシフトの始まり』(近代セールス社)、『グローバルAI活用企業動向調査 第5版』(共訳、デロイトトーマツ社)、『信頼できるAIへのアプローチ』(監訳、共立出版)など多数。